3章17 5月12日 ④
弥堂との関係を修復――あるいは構築するにあたって。
その注意点を望莱が示す。
「弥堂せんぱいは確かに水無瀬先輩を守りました。美景の地も――」
それは事実として間違いがない。
「――ですが。彼は決して善人ではありません」
「……うん」
それもまた紛うことなき事実だ。
冷や水を浴びせられたかのように、希咲は声のトーンを落とし頷いた。
「そして今も……」
「愛苗の味方ではあるかもしれないけど、正義の味方なんかじゃないってことよね?」
「ですです」
彼女がそれをちゃんとわかっているようで、望莱も満足げに頷く。
「そのことはアムリタ事件に如実に表れています」
「…………」
希咲自身もその事件に関わっていた。
そして弥堂がその時に何をしたのかを実際に自分の目でも見た。
「龍脈暴走事件だけならまだよかったんです。あれだけなら彼はヒーロー扱いでした。でも、アムリタ事件の際の行動が彼の立場を余計に複雑なものにしてしまいました」
「人間と戦っちゃったから……?」
「はい。変な話ですよね? 悪魔を一万体殺したら英雄なのに、人間をたった百人ぽっち殺しただけで犯罪者だなんて。うふふ」
「それは、だって……」
わざと露悪的に笑う望莱に、希咲は何とも言えなくなる。
人の法は人の社会を守るためのモノに過ぎず。
それを守護する者が正義で、犯す者が悪だ。
当たり前の話なのだが、複雑な気持ちにもなる。
希咲にとって正義の基準は聖人だった。
そしてそれと敵対する者はいつも悪だった。
その為、その二分はわかりやすくもあった。
しかし、同一人物が場合によって英雄的行動をしたり、巨悪にも為ったりする――
それも身近な人物が。
希咲にとってこういった経験は初めてのことだった。
だから彼の扱いや接し方にずっと迷いを持っていたのだが――
「――でも、もう関係ない」
これ以上はないくらいの拗れ方をして、彼女はある種吹っ切れてもいた。
「正しいとか悪いとかであいつを考えるのはもうバカバカしいわ」
「うふふ」
「いいことしたから、あいつはいいヤツとか。悪いことしたから、あいつは悪いヤツとか。きっとそういうんじゃない。あのバカはそんなの関係なしに、あのまんまなのよ」
「まぁ。なんと愛に溢れたコメント。これもきっと二人がチュー――」
「――うっさい黙れ!」
揶揄ってくる望莱をパワハラで黙らせる。
望莱は一頻り笑って、表情を緩めたまま続きを口にした。
「幸か不幸か。龍脈暴走事件の功績でアムリタ事件でのことをチャラにする――そんな交渉も可能かもしれません。“せんぱい”自身がそれを明かす必要がありますが」
「でも――」
「――はい。そんなのは七海ちゃんと“せんぱい”の話がついてからのことです。それがどういう結果になるかを見た上で。それからこれらのことを含めて、今後彼とどう関係していくかを決めましょう」
「ん」
短く返事をして希咲が頷くと、望莱は次の注意点を告げる。
「あと、アムリタ事件のラストバトルはどこまで見ましたか?」
「え?」
「港の倉庫での戦いの一部始終をもう知っていますか?」
「あー、ううん。多分あたしが観たのはミラーさんが……、その……」
「なるほど」
最後まで言わせずに望莱は理解を示した。
「どうやら一番エグイとこを見ちゃったみたいですね」
「そう、かも……。でも、それがなんで?」
「一応、他の場面も見ておいてください。具体的には、弥堂せんぱいが妖と戦ってるところを」
「あ、妖も出てたんだ。あたしが観た場面にはいなかったわ」
「ある意味それもグロイんですけど、見ておいた方がいいです」
「わかった……、ていうか、あんたは何で知ってんの?」
「倉庫内の盗撮映像を通しで持ってます。わたしはそれを観ました」
「あんた……! それあたしに隠してたでしょ?」
「一応よかれと思ってのことで……」
「まぁ……、そうね。うん……」
みらいさんがふにゃっと眉を下げると、七海ちゃんはお口をもにょもにょさせた。
気を遣ってくれたのは嘘ではないだろう。
それがどうしてかというのも、今ならわかる。
「つか、動画あるんならそれ見せてくれればよくない? ベツに夢見じゃなくても」
「あー……」
希咲の提案に対して、今度は望莱がビミョーな顔になった。
「夢だと“せんぱい”の視点になるんですよね? そっちの方がオススメです」
「なんで? 弥堂視点だとイマイチ本人の動きとか様子がわかんないのよね」
「実は、その“せんぱい”本人がグロいことになってるんですよ。人によってはこっちの方がトラウマレベルで」
「あー……、ね……」
望莱の言いたいことを希咲は理解した。
夢で見たジルクフリードとの戦いを思い出す。
あれを余所から見ていたらどうなるかという話だ。
「さ、最初は夢で見てみよっかな……」
七海ちゃんは日和った。
ちなみに襲ってくる狼さんを逆に食べちゃったり、自分の腕を捥いじゃったり、女の人のおしっこを飲んじゃったりと――
実際にあったことは今彼女が想像していることよりも遥かにグロい。
勘が働いたわけではないが、英断だった。
「それで、肝心の何故それを見た方がいいか――なんですけど」
「あ、うん」
望莱が話を続けると希咲は思考を切り替える。
「もしかしたら、アムリタ事件の戦いを見れば、七海ちゃんの疑問のヒントになるかもです」
「え? あたしの? 疑問?」
だが、突如飛躍したような彼女の物言いに、希咲は首を傾げた。
望莱は意図して言葉を削る。
「七海ちゃん。さっき七海ちゃんと戦った時の弥堂せんぱいは、港で見た“勇者さま”でしたか?」
「あ――」
迂遠な言い回しだが、それで希咲にもピンとくる。
「答えなくていいです。これもまだ答え合わせしない方がいいことだと思います」
「……うん。わかった」
これはここまで話してきた中で、二人が別々のタイミングで持った同じ疑問だ。
望莱はそれを口にはせず、頭の中で考える。
(もしも“せんぱい”がさっきの説明通りの強さなら、七海ちゃんが勝てたはずがありません)
彼のチカラの正体にはまだカラクリがあるように思えた。
仮にその答えが弥堂にとって不利になる内容なら――
先程止めた話題と同様で、望莱はまだそれを知らないことにしておいた方がいいという判断だ。
希咲もその意図を汲んだ。
それ以上は言及せずに、二人は話を終わらせにかかる。
「というわけで」
「あたしの個人的なあいつとの関係と、あたしたちの異能者的な意味での関係は別ってこと」
「はい。まずは前段を解決してからです。解決といっても、必ずしも事が上手く運ぶ必要はないです。シロクロつきさえすればいいので、こっちには遠慮しないでください」
「ん。わかった。明日謝ってくる」
真剣に頷く希咲に、望莱は少し意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「おや? 今日じゃなく?」
「きょ、今日は……まだ、その……、ちょっと……」
そうすると希咲の耳が真っ赤になってしまい、彼女の歯切れも悪くなる。
その仕草に望莱がクスクスと笑うと、希咲は「むーっ」と頬を膨らませた。
その頬も少し紅い。
「とりあえず他のみんなには詳細はぼかして伝えておきます」
「う、うん……」
「七海ちゃんがチューしちゃったとだけ」
「なんでそっちを詳らかにすんのよ! 逆でしょ⁉」
「えー?」
「まったく……」
いつのもの望莱らしく惚けた冗談を言うと、希咲は呆れの溜息を洩らした。
「七海ちゃんが直接話をつけられるようになったので絶対に手を出すな――ってところでしょうか」
「うん。それでよろ」
「蛮くんあたりに強めに言っておきます」
「はぁ……。なんかまたみんなに言えないこと増えたみたいでサガるわ……」
「まぁ、別に幼馴染同士で初チューの報告なんてするものでもないですし」
「そうじゃないでしょ! そうだけどっ! でもなんか違うじゃん!」
二人の空気もいつもの砕けたものに戻ってきた。
ここらで一旦この話を締めることにする。
「じゃ、そろそろもっかい夢に戻るわ」
「そうですね。とりあえずこれ以上誤解が増えないように」
『チューした彼の夢に戻る』ってなんかエッチだなと思いつつ、みらいさんは無難な回答をした。
「うん。まずアムリタ事件のと、さっき見た夢の抜けてる部分とか見てみる」
「今はあまり広範囲を見ない方がいいですね」
「そうね。余計なことはしないようにするわ。あいつもイヤだろうし」
話を切り上げ、希咲はまた寝室へ戻っていった。
みらいさんは、寝具から七海ちゃんの寝汗だけを抽出する方法を考えながら彼女の背を見送る。
そして希咲がリビングを出ていったところで――
(――局面が変わりましたね)
――思考を変える。
これまでは弥堂との関係を決定づけるのは、この後に起こるはずだった自分たちと彼との戦いの結果に依るはずだった。
それが――
(――七海ちゃん次第に変わりました)
それほど単純でもないが、しかし要はそういうことになる。
そうなったのは希咲の暴走のせいなのだが――
(あながち暴走とも言えませんね……)
望莱のごく個人的な目標にしてみれば破綻もいいところだが。
しかしそれはもう昨夜に白紙にしたことだし、何より希咲が“あの時”に口にした『ゴール』
そこに向かうのであれば――
(これはそう悪くない)
そのようにも考えられる。
なんにせよ。今のこの構図は――
(なるほど。虹の懸け橋――夢魔っぽくないなと思ってましたが……)
存外彼女自身にピッタリな名前だなと、そんな風に思えた。
「――で、ですから……っ! 授業中に居眠りをしてはいけません!」
2年B組の教室は4時間目の授業が始まったところだ。
この時限は英語の時間。
担当教師はこの2年B組の担任でもある木ノ下 遥香先生だ。
2時間目の授業でこの教室から敗走した化学の増田先生だが。
職員室に戻ると、まだ年若く立場の弱い木ノ下先生に――
「お前のクラスの生徒は授業態度が悪い。なんとかしろ」
――的な八つ当たりをした。
なので、木ノ下先生は自身が受け持つ4時間目の英語が始まるなり、渋々弥堂に注意を与えているのである。
「ついウトウトしちゃのはしょうがないと先生も思います。ですが、それを指摘されたら素直にゴメンなさいしましょう?」
木ノ下先生は、大体の生徒が小学校で習ってきているはずの人としての常識を高校生に説く。
だが――
「――うるせぇな。寝てねぇつってんだろ」
――その生徒は決して自分の非を認めない。
彼はこれまでの人生で、例え自分が悪くとも絶対に非を認めてはいけないと学んできている。
異世界で。
だからこれはある意味異文化コミュニケーションであり、とても難しい問題なのかもしれない。
「それ以上口を開くなら、その口の中にベロつっこんで足腰立たなくさせるぞ」
「ななななな……っ⁉」
生徒からのド直球のセクハラ&脅迫に木ノ下先生は後退る。
ちなみに、彼の異世界でもここまで居直る人はそんなに居ない。
というわけで、4時間目の授業は開始早々に学級崩壊しかけていた。
そんな中――
(――ウ、ウソだろ……⁉)
弥堂の一つ後ろの席で興味なさそうにしながら、蛭子くんは内心で戦慄している。
彼は先月に進級してすぐに停学をくらっていたため、弥堂の授業態度を見たことがなかったのだ。
(ウワサは色々聞いてはいたが、こんな炎上レベルのDQNなのかよ……)
この人って怪しい身分なのを隠して生活してるんじゃなかったっけ?と、脳内に大量の疑問符を浮かべ困惑していた。
出自や悪さは多少隠せても、頭がおかしいことは隠せないのだった。
周囲を盗み見ると、どうやら動揺しているのは自分だけで、他の生徒は素知らぬフリ。
みんなは既に順応しているようだ。
誰も特別驚いていない。
(えぇ……)
学園最強の不良とか言われているヤンキーの蛭子くんは、そんなクラスにドン引きした。
この間にも、弥堂は若い女性教師を口汚く罵っている。
「いいか? 素人の貴様にはわからないだろうが、俺は周囲に他人が居る環境で眠ったりしない。絶対にだ」
「で、でも……」
「うるさい黙れ。女のくせに口答えをするな。大体、こんな場所で眠ったら殺してくれと言っているようなものだろうが。そこで俺が眠る? 貴様、俺を舐めているのか?」
「せ、先生そんなことは……」
(オイオイ……)
弥堂の発言内容と、すぐに涙ぐむ担任教師と。
その両方に蛭子が脳内でツッコミを入れた時――
「同じ事を何度も言わせるな。誰の差し金か知らんが、帰ってとっととこう伝えてこい。俺は絶対にねむら――」
「び、弥堂くんっ⁉」
喋っている途中でまるで糸の切れた操り人形のように、弥堂の上半身が突然倒れてゴンっと机に額を打ち付ける。
その様子と音に、先生だけでなく生徒さんたちもビックリだ。
「あ、あの……?」
木ノ下先生が恐る恐る声をかけるが、弥堂の反応はない。
蛭子は背後から慎重に弥堂の様子を窺った。
すると――
「あー……、寝てるぜ? センセ」
「えっ⁉」
どうやら弥堂は居眠りをしないと言い張りながら居眠りしてしまったようだ。
その旨を蛭子が伝えると、先生はさらに驚く。
流石に周囲の生徒さんたちもざわついた。
木ノ下先生は困ってしまってオロオロと視線を動かす。
すると学級委員の野崎さんと目があった。
野崎さんは聖母のような微笑みでコクリと頷く。
木ノ下先生は天井を見上げて「う~ん」と唸ると――
「――はい、それではみなさん教科書の55Pを開いてくださーい」
『は~いっ』
「えっ⁉」
みんなはなかったことにするようだ。
驚いているのは蛭子だけだ。
(イ、イヤイヤ、これ流石にヤバくね⁉)
喋ってる途中にいきなり意識が飛んで眠るなど、何かの病気じゃないのかと蛭子は焦る。
しかし、彼以外に疑問を抱いている者は誰もいないようだ。
どう考えても普通のことではないが、そんなことをいちいち気にしていたらこのクラスではやっていけない。
蛭子は異文化の中に1人取り残されたかのように心細くなった。
(――ん? 待てよ……?)
だが、そこで気が付く。
こんな不自然な眠り方をするのに心当たりがあったからだ。
(これってまさか……)
脳裏に1人のギャルが浮かぶ。
朝一で弥堂を呼び出して何かをしていたようだし、もしかしたら彼女が現在進行形で何かを仕掛けているのかもしれない。
(それにしたって……)
いくらなんでも授業中にスキルで何かを仕掛けるのは――と。
そんな考えも浮かぶが――
「…………」
――蛭子くんは黙したまま教科書の55Pを開いた。
新学年開始からずっと停学していたので、彼は他の生徒よりも授業に遅れをとっている。
故にこれ以上遅れたくない。
蛭子くんはテストの点数とか気にするタイプのヤンキーなのだ。
(サンキュー、七海――)
心中で幼馴染に礼を述べると窓の外の空に、指2本で投げキッスをしながらウィンクする七海ちゃんの幻影が浮かんだ気がした。
こうして問題児を黙らせたことで、2年B組の授業の平和は守られたのだった。
その為に乙女の大事なナニカが犠牲になったことを、平和を享受する者たちは誰一人知らない。




