1章10 Shoot the breeze ④
苛烈に責め立ててくる希咲を黙らさせるために、また彼女の髪をグチャグチャにしてやろうと弥堂は席を立とうとしたが、それよりも先に希咲を止める者があった。
「ななみちゃん、あのね…………私が悪いの…………っ」
水無瀬だ。
デリカシーゼロのクソ男が無遠慮に希咲の髪に触れてきたのは、自分が悪いのだと主張する彼女の言葉に希咲は戸惑う。
しかし、大好きな愛苗ちゃんを邪険には扱えないので、ここは一旦怒りを沈めて彼女の話を聞いてあげることにする。
「なんで愛苗のせいになるの? こいつがおバカなのが悪いのよ?」
「ううん…………あのね、私が昨日約束しちゃったの……」
「約束?」
話が見えてこないと首を傾げてキョトンとする希咲に水無瀬は説明を試みる。
「昨日ね、弥堂くんに『ななみちゃんの頭ナデナデさせてもらえるようにお願いしてあげるね』って私勝手に約束しちゃったの……」
「は?」
「あ?」
予想だにしない内容の水無瀬の告白に希咲が疑問符を浮かべると、その約束とやらをした相手のはずの男も何故か同様のリアクションをとった。
希咲は弥堂へ向ける目を細める。
――どういうことよ?
――知るか。
弥堂は肩を竦めた。
「ごめんね、弥堂くん。忘れちゃってたわけじゃないんだけど、私まだななみちゃんにお願いしてなかったの……」
「まるで俺がこいつの髪に触れたがっているかのような物言いはやめてもらおうか」
「ごめんね、ななみちゃん。私がもっと早く言ってればよかったの。だから弥堂くんは悪くないの」
「そうだ。お前が悪い。もっと希咲に謝れ」
「うるさいっ! あんたは黙ってて! …………えっとね、愛苗……? そもそもどうしてこいつとそんな話になったの?」
話がわかっていないながらも機会があればすかさず他人に責任を押し付けようとするクズ男を一喝して黙らせてから、希咲は出来るだけ優しい瞳で水無瀬をじっとみつめ真意を問う。
「あのね、私ね、ななみちゃんのこと大好きでね、それで弥堂くんのことも大好きじゃない?」
「うん………………うん……? んん……?」
「大好きって言った? 今告った?」
「シッ、愛苗ちゃんが一生懸命喋っているのよ。邪魔をしてはいけないわ」
水無瀬被告の供述は開幕から希咲を混乱させ周囲をざわつかせた。
「だからね、ななみちゃんと弥堂くんもなかよしになれれば、みんななかよしで楽しくなるかなって思って……」
「……うん…………うん…………うーーーーーん…………」
とっても可愛らしい犯行動機であったが、それを実現させてあげるにあたって希咲には大変な葛藤があった。
「それでね、弥堂くんにななみちゃんのいいところをいっぱい知ってもらおうと思ってね、ななみちゃんのカッコよくてスゴイとことか、とってもカワイイとことか頑張ってお話したの!」
「うっ…………それは……」
『イヤなんだけど』とは言えなかった。
彼女の親友である自分にはわかっているが、彼女は100%善意でこうしている。
それに、このように勝手に交友を拡げられることを嫌う者も中にはいるだろうが、自分に関してはそこまで嫌というわけでもない。
男子にあまり気安くしたくないという気持ちはあるものの、何が何でも絶対に御免だ、というほどでもない。
(相手がこいつでさえなければ……っ!)
もちろん、それをそのまま水無瀬に言葉にして伝えるわけにはいかないので、ギンッと眼差しを強めて弥堂へ八つ当たりの念を送る。
奴は自分にも関わる話であるはずなのにまったく興味がないのか、なにもない宙空を見てボーッとしている。
(ホント……っ! こいつマジきらいっ!)
希咲は強い憤りを感じた。
「私がななみちゃんにナデナデさせてあげてってお願いするのが遅かったのが悪いの。まさか弥堂くんがそんなにななみちゃんナデナデしたかったなんて知らなかったから……」
「おい待て。誤解を招く発言をするな。俺は別にこいつを撫でたいなどと思っていない」
「ちょっと待って愛苗」
我関せずでボーっとしていた男が、聞き捨てならないとばかりに反応を示したのはちょっと面白かったが、それよりも希咲には問い質さねばならないことがあった。
「あのね、間が飛んでる。一応あたしとこいつを仲良くさせようとしたってとこまではわかった。でも、それでなんでこいつにあたしの髪を撫でさせるって話になるわけ?」
「あ、そっか」
言われて初めて自身の言葉足らずに水無瀬は気付き、経緯を思い出しながら説明を再開する。
「えっとね…………私がね、ななみちゃんカワイイんだよって言ったらね。弥堂くんもななみちゃんカワイイって言ってて……」
「は?」
「あ?」
「クンクンしたらいいニオイしたって言ってたし、ななみちゃんのニオイ好きって弥堂くんが。あとお顔も可愛くて好きって言ってた!」
「…………」
「待て水無瀬。お前は何の話をしている?」
「だからね、私、ななみちゃん髪の毛もいいニオイして触り心地もいいんだよって教えてあげて。今度お願いしてあげるから一緒にななみちゃんナデナデしようねって約束したの!」
「…………」
「…………」
水無瀬は事のあらましを過不足なく伝えきることが出来たと一定の満足感を得た。
弥堂としては全く身に覚えのない事実無根な話なのだが、諦めの早い彼はどうせ何を言っても駄目なパターンだろうと自ら誤解を解くことを早々に断念する。
しかし、希咲 七海といえば水無瀬 愛苗に関する専門家だ。
彼女なら、水無瀬の言葉足らず&勘違いを察しているのではないかと、もしかしたらワンチャンあるのではと彼女の方を見てみる。
視界に写った希咲は顔を青褪めさせ鳥肌をたてていた。
パチッと弥堂と目が合うと希咲はザザザッとわかりやすく身を退かせる。
やはり駄目なパターンであったと、弥堂は自身の状況を見立てる判断能力に一定の満足感を得た。
「――キモいんだけど……」
希咲が第一声を発すると、弥堂はその優れた判断能力をもって先読みをし両耳に指を突っこんだ。
「キモいんだけどキモいんだけどキモいんだけどっ――‼‼」
音波兵器も斯くやといった希咲の大声により、緊急災害に備える訓練を積んでいるサバイバル部員の弥堂以外の者のお耳がないなった。
「ありえないんだけどっ!――って、なに耳塞いでんだバカやろー!」
一気に捲し立てていこうとした希咲だったが、怒りをぶつける相手である変態野郎が不誠実にも耳を塞いでいることに気が付き、勢いよく席を立つとズカズカと彼に近寄り両腕を掴んで無理矢理降ろさせる。
「少しは申し訳なさそうな態度しなさいよっ! ひとの居ないとこで勝手なこと言って! マジありえない! なんとか言ってみなさいよっ!」
「…………お前は馬鹿だ」
「あんだとこのやろーー! あんたの方がバカでしょ! このクソへんたいっ!」
釈明を求められた弥堂は口を開いて何かを言いかけたが、彼女の誤解を解くことはとっくに無理であろうと判断していたので特に何も思いつかず、仕方ないので勝手に勘違いをしては大袈裟に騒ぎ立てる馬鹿な女を罵ってみた。
当然七海ちゃんは激おこだ。
「逆ギレすんじゃないわよ! よりにもよって愛苗になんてこと言ってんのよ! ホントありえないし、マジでキモイっ!」
そんな怒り心頭の彼女に異議を申し立てる者があった。
「ダメだよ、ななみちゃんっ!」
「えっ……?」
まさか水無瀬に自分が非難されることがあるなどとは夢にも思っていなかった希咲は動揺する。
「そんなヒドイこと言っちゃダメなんだよ! 弥堂くんがかわいそうだよ」
「えっ…………だって、愛苗……そんな、あたし…………」
何が起こっているのかわからない。
半ば自失したように意味の宿らない言葉を譫言のように唇の間から漏らす彼女の瞳からは輝きが失われる。
そして、希咲はそんなハイライトの消えた瞳を弥堂へ向けた。
弥堂は反射的に大きくバックステップを踏みそうになるが辛うじて自制した。
「ななみちゃん? なんで弥堂くんにイジワルするの?」
「してないもん……っ! だって……! あいつ……! セクハラ……っ!」
「弥堂くんはななみちゃんのこと褒めてたんだよ?」
「セクハラだもん! ニオイとか……か、かわ……とかっ! 変態だもんっ!」
「変態とかキモイとか言っちゃかわいそうだよ。弥堂くんにゴメンなさいしよ……?」
「なんであたしが⁉」
まさか自分が謝るはめになるとはと希咲は頭を抱える。
「そうだぞ、希咲。お前が悪い。謝れ」
「うっさい! チョーシのんな! ぶっとばすぞボケぇっ!」
「ななみちゃん! めっ!」
「そんな……っ⁉」
大好きな親友の愛苗ちゃんに『めっ』をされて、七海ちゃんはガーンとショックを受ける。
何故二日も続けて、罪過もないのに謝らされねばならないのかと彼女は表情に絶望の色を浮かべた。




