1章10 Shoot the breeze ⑤
水無瀬は自身の親友を優しく諭す。
「じゃあ、弥堂くんにごめんなさいしようね?」
「ぐっ、ぐぬぬぬぬぬ…………っ!」
希咲は歯を食いしばり葛藤する。
こんなクズ男に謝るなんて嫌だ。
屈辱的であるし、なにより自分は絶対に悪くない。
そもそも謝る理由などないのだ。
しかし。
しかしだ。
ここで『絶対謝りたくない!』などと言い張っては、自身の親友である愛苗ちゃんに、『あ、この子、ごめんなさい出来ない子なんだ』などと思われてしまうかもしれない。
そしてそこからさらに、これはまぁ基本ないことだし、というか絶対にありえないことだが、万が一それで彼女に嫌われてしまうようなことになれば、自分はもう生きてはいけないだろう。
致命傷まで至らなかったとしても、よくてひきこもりだ。毎日インターネットを通して自分を何処かへ逃がすだけの生き物になる。
「…………」
それよりはマシと、必死に抵抗を訴える自身のプライドを宥め心中で言い聞かせる。
そして――
「…………ごめん」
彼女は今日も屈した。
しかし、その瞳の奥には反逆の意思を確かに宿していた。
水無瀬からは死角になっていて見えない、弥堂を見る希咲の目は完全に殺る目だ。
だが、そんな殺気を浴びても弥堂は動じない。
それどころか――
「……フッ」
身長差の影響で自然とそうなる部分もあるのだが、存分に上から見下ろして鼻で嘲笑った。
「こんにゃろ! ぶっとばしてやるー!」
「めっ! ななみちゃん、めっだよ!」
すかさず弥堂に襲いかかろうとした希咲だったが、再び水無瀬に『めっ』されて止められる。
傍から見たら弥堂に掴みかかる希咲を水無瀬が背後から抑えている構図だ。
しかし実際は、七海ちゃんのお腹に負担をかけてはいけないと、背後から彼女の腰に腕をまわした水無瀬の拘束はゆるゆるで。
急に動いて愛苗ちゃんが転んでしまってはいけないと、腰にしがみつく彼女を引きずらないように希咲は上半身だけでじたじたする。
そしてそれを見切った弥堂は、下半身の位置を固定した希咲の手がギリギリ届かない位置にポジショニングし、本気で止める気のない水無瀬と、本気で振り払う気のない希咲が絡み合う姿を見下す。
こいつらただ抱き合いたいだけじゃないのかと彼女らへ疑惑の眼差しを向けた。
ややすると、「よくごめんなさいできたね? えらいね?」と水無瀬によしよしされた希咲が落ち着きを取り戻す。
そのまま彼女たちは弥堂の目の前で、弥堂をそっちのけに向かい合って何やらごにょごにょし始める。
「あのね、私もね、ななみちゃんにね、謝らなきゃいけないことがあるの……」
水無瀬さんはもじもじとした。
「えっ? あたしに? なにか…………あっ! ……あ、あのね……? あたしも愛苗に謝んなきゃいけないことが……」
希咲さんもハッとしてからもじもじした。
「今は時間ないね」「放課後は?」「今日は無理かも」「じゃあ旅行帰ったら」「お泊り会しようね」「一緒に寝ようね」「その時お話しようね」と、目の前でイチャイチャしながら約束を交わす少女たちを見て弥堂は一抹の虚しさのようなものを覚えた。
「…………もういいか?」
うんざりとした気持ちで弥堂が声をかけると二人はハッとしてこちらの世界へ帰ってくる。
「ご、ごめんね弥堂くん。ほったらかしにしちゃって……」
「なに? あんたかまってほしいわけ? うざいんだけど」
「むしろ続けてていいから俺をもう放っといてくれないか」
もう解放してくれという意味合いで言ったのだが、違う意味で受け取られ弥堂は苛立つ。
そしてそんな彼に追い打ちが入っていく。
「じゃあ今度は弥堂くんの番だねっ」
「…………あ?」
「あんたそれやめろっつったでしょ。女の子に『あ?』っつーな」
水無瀬の発言の意図が気に掛かるが、先にイチャモンをつけてきた希咲を黙らせようと無言で彼女の顏に手を伸ばす。
その手はあっけなく抑えられ逆に爪をたてられる。
「弥堂くんもななみちゃんにゴメンなさいしよーね」
「…………なんだと?」
希咲と押し合いをしている間に告げられた水無瀬の言葉に、弥堂は不可解さから眉根を寄せ、希咲はその瞳を輝かせた。
「ななみちゃんがゴメンなさいしてくれたでしょ? だから弥堂くんもゴメンなさいしてあげようね?」
「そうよ。謝んなさいよ。ほら。早く」
「何故俺が謝らねばならない」
水無瀬の脇で調子づいたように煽ってくる希咲に苛つきながら問う。
「ななみちゃんの髪ぐちゃぐちゃにしちゃったの謝ろ?」
「そうよ。あたしとっても傷ついたわ。あーつらい」
「それはお前が悪かったとさっき自分で言ってただろうが」
別に謝ってやってもよかったのだが、希咲の態度が癇に障るので弥堂はとりあえず屁理屈をこねて抵抗を試みる。
「うん。私が悪かった。ゴメンね? でもね昨日、なでなでする時は髪型崩さないように優しくしようねって言ったよね? それは謝ってあげよう?」
「あーあ。これセットするために早起きしてるのにー。こんな目にあうなんてー。かなしーよー。あたし泣いちゃうー」
「ななみちゃんも私もゴメンなさいしたから、今度は弥堂くんの番だよ? みんなでゴメンなさいして、おあいこにしよ? ね?」
「びとーくんひどいよー、えーん」
水無瀬に両手をやんわりと握られ、見た目が幼げな彼女にまるで幼児を諭すようなことを言われ弥堂は強い屈辱を感じた。
隣で雑な泣き真似をする希咲の半笑いの勝ち誇った顏もその苛立ちに拍車をかける。
弥堂は瞑目し眉間を揉み解しながら天を仰ぐ。
そして記憶の中の記録を探る。
現在のこの屈辱的な状況を乗り切るために、過去に起こったより屈辱的な出来事を思い出すためだ。
今回の屈辱コレクションはこれだ。
以前にエルフィーネと組んで仕事をしていた時に、彼女の所属する宗教団体から異端認定を受けた時のことだ。
指名手配をされ街中が敵になった。
当然そうなっては表を出歩くことは出来ない。
しかし弥堂には他にやることがある為あまり長々と足止めをされるわけにはいかなかった。
強行突破で街を脱出しようとする弥堂をエルフィーネは止めた。
「危険です。外に出てはいけません」と言う彼女の制止を振り払って外出しようとした結果、あの頭のおかしいクソメイドに両手両足を圧し折られて地下室の壁に磔にされた。
疑う余地もない程の監禁であった。
当然そのような状態では自分で用を足すことも出来ない。
便所へ行くついでに逃げようと彼女へ便意を訴えたが、残念ながらエルフィーネは弥堂の言葉を一切信用していない。
いつもならそれでも気を遣って適度に騙されてくれるのだが、この時の彼女は強硬だった。
自身の所属する宗教組織の苛烈さを彼女が誰よりもわかっていたからだろう。
「私があなたを守ります」などと意味のわからないことを口走る女は手ずから弥堂におしめを穿かせた。
そしてそのおしめを換え、餌を与え、またおしめを換え、彼女は甲斐甲斐しく弥堂を飼育した。
相手が年上だからとはいえ、自分よりも小柄で童顔な女に手も足もでない状態で力づくで抑え込まれながらおしめを交換されるというのは、ロクでもない記憶ばかりを積み重ねてきた弥堂の人生の中でもトップクラスに鮮烈な出来事であった。
もう少しで脳が破壊され、この状況に適合する為に人として行ってはいけない方向へ進化を遂げるところであった。
しかし、弥堂とてやられっぱなしではなかった。
手も足も出なくとも口は出る。
おしめを換えられながらエルフィーネの人格を崩壊させるつもりで徹底的に彼女を詰め倒したが、その結果出来上がったのは、手足が折れている以外は至って健康な青年のおしめを号泣しながら交換するメイド女という地獄だった。
彼女のメンタルはなかなかに強靭だった。
あの時の経験に比べれば、こんなJKなどという者どもに少々ナメた口をきかれる程度、どうという程のことでもないと、弥堂は精神の安定を取り戻した。
弥堂は目を開きとるに足らない小娘二人を見下ろして「フッ」と鼻で嘲笑った。




