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わたしが忘れた紅い花  作者: 出原ミサ
くるいだす体温
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13/22

ー2ー

 天気予報の宣言通り、開店後一時間もすると、肌にべったりと張り付くような暑さが外売り場を囲んだ。何とか品出しを終わらせ、首に掛けていたタオルで顔を覆う。毎年九月を過ぎるまでは、どんなにしっかりメイクをして家を出ても、帰る頃にはノーメイクというのが落ちだ。今年は最初から諦めて、日焼け止めの上にチークという軽装備で出勤している。顔色が無さすぎて、周りに心配されてしまうので、昔からチークは欠かせない。

 ペットボトルの水を半分ほど飲んだ。プレハブ屋外レジの中で、瞼を半分閉じたまま売り場を眺めていたバイトの子に声を掛け、店内に入る。自動ドアが開いた途端、拭ききれていない汗が一気に冷えて、全身がザリザリした。

「サボり?」

「うわっ」

 肩口から突き出てきた顔に、飛び退く。

「もう、やめてよ。違うし」

 店内はいつもより静かだ。レジに立っている学生さんなんかは、あくびを噛み殺している。

「佐倉《さくら》さんこそ、暇なら手伝って。午前中に終わんない」

 持っていた布巾の一つを突き出す。

「暇じゃないけど、手伝ってやるかぁ」

 小さな観葉植物の陳列された棚は、こまめに見ていないとすぐに埃を被ってしまう。最近セールでお互い忙しかったから、彼女とこうやって話をするのは、あのランチの日以来だ。

「架純《かすみ》、すごく楽しかったみたい。良かったら、また付き合って」

「もちろん。休みの日なんて、猫としか会話してないんだから」

「猫と会話できるのが、村主《すぐり》さんっぽいよね。あ、そう言えば」

 佐倉さんは、棚の奥に手を突っ込みながら言った。

「あの日、ちゃんと帰れた? いつもとは違う方向に向かって行ってたから、どうしたのかなと思って」

 耳元の髪が、空調の風で揺れた。

 伸びかけた手を止め、布巾を持つ手に力を入れる。

「久しぶりにあっち方面行ったから、ちょっと散策をね」

「そうなんだ。何か見つかった? マッサージ屋さんとか」

 突然、軽快に流れていた店内BGMの音量がぐっと下がった。すぐにチャイム音が鳴り、女性の声で館内放送が流れ始める。

『係員は、電動工具売り場までお願いします。繰り返します……』

 わたしは、目の前の葉脈を数えきろうとするようににじっと見た。

「まさか。結局すぐバスに乗って帰ったよ」

「遠回りした意味ないじゃーん」

 佐倉さんの無邪気な笑い声が両肩に乗っかって、無駄に首を鳴らした。喉の所まで出かかっているあの出来事は、カズラにさえ話していない。

 十五号鉢を抱え、無心を装って磨いていると、再び佐倉さんのお喋りが開始した。

「ねぇ。村主さんって、自宅でどんな植物育ててるの? やっぱり、こういう観葉植物で溢れかえってる?」

 ホッと息をついて、佐倉さんに目線を合わせる。

「観葉植物は、貰い物のウンベラータくらいだよ。ベランダに季節の花が幾つかあって、あとは白木蓮の鉢があるかな」

「白木蓮?」

 目の前の鼻の穴が広がった。

「庭とか沿道に植わってる、あれ?」

「そう、あれ」

 さすがだねぇ、なんて言いつつ、あからさまに呆れ笑いが浮かんでいる。

「マンションで育てられるとは思わなかったよ」

「うち、日当たりがいいからちゃんと咲くし。そうそう。今朝、一つだけ咲きそうな蕾を見つけてね」

 木蓮はよく季節を間違って咲く花だけど、この時期は珍しい。そもそも地植えじゃないし、狂い咲きする要因が見つからない。

 青々とした葉の隙間から顔を覗かせていた、ふっくらとした花芽。

 思い出した途端、体の芯が温かくなった。湯気で視界が遮られたみたいに、頭の中がぼうっとしてくる。

 ――そんなのどうでも良い。もうすぐあの花に会える。

「知っている? 木蓮って、蕾も綺麗なのよ。銀の産毛に包まれて、シュッと上を向いていてね」

 目を閉じると、鮮やかに咲く大ぶりの花が脳裏を埋め尽くした。溶けるような空の下、初めて見た時の衝撃と胸の高鳴りは忘れていない。記憶の中の甘やかな匂いを吸い込む。

「早く咲かないかしら」

「なんか、恋人に会うみたいだねぇ」

 呆れた声音に、無意識に閉じていた目を開けた。数度、瞬きをする。

「あぁ……まぁね。昔から好きなんだ」

 その時、十二時を知らせる館内放送が、目覚まし時計のような音量で鳴り響いた。佐倉さんはピタリと手を止めて、掃除道具をそそくさと片付け始めた。

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