ー2ー
天気予報の宣言通り、開店後一時間もすると、肌にべったりと張り付くような暑さが外売り場を囲んだ。何とか品出しを終わらせ、首に掛けていたタオルで顔を覆う。毎年九月を過ぎるまでは、どんなにしっかりメイクをして家を出ても、帰る頃にはノーメイクというのが落ちだ。今年は最初から諦めて、日焼け止めの上にチークという軽装備で出勤している。顔色が無さすぎて、周りに心配されてしまうので、昔からチークは欠かせない。
ペットボトルの水を半分ほど飲んだ。プレハブ屋外レジの中で、瞼を半分閉じたまま売り場を眺めていたバイトの子に声を掛け、店内に入る。自動ドアが開いた途端、拭ききれていない汗が一気に冷えて、全身がザリザリした。
「サボり?」
「うわっ」
肩口から突き出てきた顔に、飛び退く。
「もう、やめてよ。違うし」
店内はいつもより静かだ。レジに立っている学生さんなんかは、あくびを噛み殺している。
「佐倉さんこそ、暇なら手伝って。午前中に終わんない」
持っていた布巾の一つを突き出す。
「暇じゃないけど、手伝ってやるかぁ」
小さな観葉植物の陳列された棚は、こまめに見ていないとすぐに埃を被ってしまう。最近セールでお互い忙しかったから、彼女とこうやって話をするのは、あのランチの日以来だ。
「架純、すごく楽しかったみたい。良かったら、また付き合って」
「もちろん。休みの日なんて、猫としか会話してないんだから」
「猫と会話できるのが、村主さんっぽいよね。あ、そう言えば」
佐倉さんは、棚の奥に手を突っ込みながら言った。
「あの日、ちゃんと帰れた? いつもとは違う方向に向かって行ってたから、どうしたのかなと思って」
耳元の髪が、空調の風で揺れた。
伸びかけた手を止め、布巾を持つ手に力を入れる。
「久しぶりにあっち方面行ったから、ちょっと散策をね」
「そうなんだ。何か見つかった? マッサージ屋さんとか」
突然、軽快に流れていた店内BGMの音量がぐっと下がった。すぐにチャイム音が鳴り、女性の声で館内放送が流れ始める。
『係員は、電動工具売り場までお願いします。繰り返します……』
わたしは、目の前の葉脈を数えきろうとするようににじっと見た。
「まさか。結局すぐバスに乗って帰ったよ」
「遠回りした意味ないじゃーん」
佐倉さんの無邪気な笑い声が両肩に乗っかって、無駄に首を鳴らした。喉の所まで出かかっているあの出来事は、カズラにさえ話していない。
十五号鉢を抱え、無心を装って磨いていると、再び佐倉さんのお喋りが開始した。
「ねぇ。村主さんって、自宅でどんな植物育ててるの? やっぱり、こういう観葉植物で溢れかえってる?」
ホッと息をついて、佐倉さんに目線を合わせる。
「観葉植物は、貰い物のウンベラータくらいだよ。ベランダに季節の花が幾つかあって、あとは白木蓮の鉢があるかな」
「白木蓮?」
目の前の鼻の穴が広がった。
「庭とか沿道に植わってる、あれ?」
「そう、あれ」
さすがだねぇ、なんて言いつつ、あからさまに呆れ笑いが浮かんでいる。
「マンションで育てられるとは思わなかったよ」
「うち、日当たりがいいからちゃんと咲くし。そうそう。今朝、一つだけ咲きそうな蕾を見つけてね」
木蓮はよく季節を間違って咲く花だけど、この時期は珍しい。そもそも地植えじゃないし、狂い咲きする要因が見つからない。
青々とした葉の隙間から顔を覗かせていた、ふっくらとした花芽。
思い出した途端、体の芯が温かくなった。湯気で視界が遮られたみたいに、頭の中がぼうっとしてくる。
――そんなのどうでも良い。もうすぐあの花に会える。
「知っている? 木蓮って、蕾も綺麗なのよ。銀の産毛に包まれて、シュッと上を向いていてね」
目を閉じると、鮮やかに咲く大ぶりの花が脳裏を埋め尽くした。溶けるような空の下、初めて見た時の衝撃と胸の高鳴りは忘れていない。記憶の中の甘やかな匂いを吸い込む。
「早く咲かないかしら」
「なんか、恋人に会うみたいだねぇ」
呆れた声音に、無意識に閉じていた目を開けた。数度、瞬きをする。
「あぁ……まぁね。昔から好きなんだ」
その時、十二時を知らせる館内放送が、目覚まし時計のような音量で鳴り響いた。佐倉さんはピタリと手を止めて、掃除道具をそそくさと片付け始めた。




