↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
わたしが忘れた紅い花  作者: 出原ミサ
おもいの感触
PR
11/21

ー6ー

 一帯を艶やかに染める紅《あか》。豪快にうねる樹幹から、四方に広がる枝葉。その姿に圧倒されて、わたしはただ立ち尽くした。落ちた花びらが足元に集い、靴を覆う。

「綺麗でしょう」

 振り返ると、迎井《むかい》さんがいた。

「驚かせた?」

「すみません、なんか、すごくて……」

 大きく息を吐く。迎井さんが縁側を示し、足元が定まらないまま腰を下ろした。もらった麦茶に口をつける。心地よい温度が体の内側を上から下へと冷やしていく。庭に面したここは、まさにこの木を愛でるために造られたようだった。

「どんな手入れをされてるんですか?」

「特に、変わったことはしてないよ。祖父を真似て、伸びすぎた枝を切るくらい。しっかり根を張ってるんだって、祖父がよく言っていたな」

 脚立を使って枝切りバサミを扱う迎井さんを想像した。チグハグ過ぎて、頬が少し緩んだ。

「それにしても、すごい見応えです。仕事柄、色々見てきましたけど、一番かもしれません」

 尻込みしていた気持ちなんてすっかり忘れて、勢い込む。

「木が喜んでるのが分かるんです。きっと、迎井さんのことを好きなんだと思います。植物って、わたしたちのかけた愛情に応えてくれますから」

「うん、ぼくもそう思う」

 彼は隣に間隔を空けて座り、氷の音を響かせながら麦茶を飲んだ。広い庭には、この木以外何も植えられていない。迎井さんの横顔は、百日紅《ひゃくじつこう》と並んで庭のシンボルのように馴染んでいた。

「懐かしいな」

 ポツリと声が聞こえた。

 懐かしい……お祖父さんとの思い出だろうか。

 彼は続けた。

「夏は少し苦手なんだけど、きみとこうやって並んでいられるのなら、悪くないかもと思ってしまうね」

 眉をひそめる。さらりと言った言葉が、人を惑わすことだってある。

「そういうこと、軽々しく言っちゃいけないと思いますよ」

 迎井さんがこちらを見た。いつも以上に普段通りの笑顔が、そこにあった。喋りすぎた口をつぐみ、目線を落とす。

 足元にあったはずの花びらは、迎井さんの足元に集まっていた。白い制服のズボンが、花の色を反射して染まって見える。不思議と、紅がよく似合っていた。

「きみは夏が好きでしょう」

「何で知ってるんですか」

「……あぁ」

 横を見ると、彼はわたしをじぃっと見て視線を逸らした。体の中が揺さぶられる。耳を塞いだ。うるさくて仕方がない。

「あのっ、こんなにすごい百日紅を見せていただいて光栄なんですけど!」

 自分の声で蓋をするように、音量を上げる。

「この隣に植えるのも、百日紅ですよね! 最近は色ひとつとっても、たくさんあるんです。ベーシックなものをご希望なのは承知なんですけど、参考になれば。うちで毎年人気なのはこれです」

 少しの隙間も明け渡さないよう、スマホに保存しておいた写真を迎井さんに見せて、喋り続けた。

「ブラックパールっていうんです。葉が黒くて、花が散った後も楽しめる品種で。この葉っぱがすごく綺麗なんです」

 画面をスライドさせて、見やすいように迎井さんに体を寄せる。

「拡大して見ていただいても構いません。実物をお見せできないのは残念ですが。あぁ、でも矮性種《わいせいしゅ》だから。これだけ広いお庭だったら、高性種《こうせいしゅ》の方が映えますよね」

「そう」

 甘い香りが濃厚になり、ハッと我に返る。

 柔らかい笑みが目の前にあった。あの時みたいに、体が麻痺して動かなくなる。

「きみの髪色みたいだね」

 彼の指がわたしの髪に触れた。まるで葉の表面をこするように、幾度も撫でる。そして、息がかかるほど顔を寄せ、じっくり観察してから言った。

「綺麗だ」

 蝉の声がクリアに聞こえた。だけど、ここではないどこかで聞いた、蝉の声だった。百日紅の葉音と、何かの花木の葉音が重なる。

 涙が伝った。わたしには、覚えのない涙だった。

 迎井さんが大きく目を見開いた。唇を震わせ、頬を紅潮させ、心底嬉しそうに笑う。それから、小さな声で名前を呼んだ。

 わたしじゃない、何かの名前を。

「こんにちはー、ごめんくださーい」

 突然聞こえてきた第三者の声に、ヒュッと喉が鳴った。迎井さんが顔を逸らして家の中に向かって声を張る。

「はーい、お待ちくださーい」

 彼は、側に置いてあったタオルを額から頭に巻くと、顔を半分覆うくらいのマスクをつけた。

「次のお客さま、少し早めにいらしたみたいだ」

 ゆっくりと立ち上がり、いつもの穏やかな笑顔を添える。

「好きなだけいてくれていいよ。施療中は出られないし、帰る時も声かけは要らないから」

 ひらひらと振る指先が縁側から消えた後、訳も分からず涙の跡を拭った。そして、肩にかかる髪先を掴んだ。

「なに……」

 次の瞬間、一生分の感情を、早回しで再生させたような思いが流れ込んできた。体の輪郭が溶けていく感覚が蘇り、うずくまる。

「なにこれ……誰の……」

 風が吹いた。

 視線の先を、フリルの花びらがいくつか、ころころと転がっていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。