第72話 一人の少女
「真実を語ろう」
黒瀬宗一郎はSpesを優しく撫でた。
「全ては、一人の少女に恋をした日から始まった」
黒瀬宗一郎は口を開く。
——四十年ほど前
黒瀬宗一郎が十歳を迎えるよりも前、黒瀬はある奇跡を目の当たりにした。
当時から黒瀬は天才であり、他の子供とは一線を画す頭脳を持っていた。そのため、一人で行動する事が多かった。周りの子達からは、忌避され、いじめも受けていた。
そんなある日、いつもと同じように帰路についていると、いじめ集団が黒瀬を取り囲む。
「おい!黒瀬!ちょっと賢いからって調子乗んなよ!」
いじめっ子のリーダーは大きい体で黒瀬を威圧する。黒瀬は散々痛めつけられ、ボロボロの姿で帰る。
「また喧嘩か」
家に着くと父親からの冷たい言葉。父親は医者。母親は研究者であった。そのため、両親からは常に成績を求められ、愛などかけられたこともなかった。幸いなことに成績は常にトップだったため、素行に関して何かを言われたこともない。
そんな日々を過ごし、いじめに飽きたのか誰も黒瀬に構わなくなっていった頃、帰路で傷を負った猫を見つける。
「お前、動けないのか」
黒瀬は猫に語りかける。猫に語るなど非科学的だが、この一言が世界を変える。
「猫さんと話しできるの?」
背後からの声に黒瀬は驚き、尻もちをつき、後ろを見ると、そこには艶のある黒髪を一つにくくり、知らない制服を着た、目がキリッとした少女がいた。
「あなた、猫さんと話せるの?」
「い、いや、これは」
突然のことで動揺していると少女は猫の方を覗き込み、
「あ、怪我してるのね」
そういいながら、猫を抱く。こっちを見ながら、
「君、目を瞑って!」
「え、どうゆうこと?」
「いいから!」
そう言われ、黒瀬は言われるがまま目を瞑る。しかし、少年心がその目を少し開けさせる。すると少女の手から白い光が現れ、そして猫の怪我を治していく。
白い光は、すぐさま消え、猫は元気に鳴き声をあげてその場を去っていく。
少女は
「あー。行っちゃった。ま、元気になったしいいか!もう目開けてもいいよ!」
そう言われ、半目だった目を開けると、太陽のような笑顔をこちらへ向けている。
黒瀬は初めて、自分の心臓がうるさいと思った。少女に聞こえるほど大きいのではないかと錯覚する。
「い、今のは…?」
黒瀬は目の前で起きたことを率直に聞いてしまう。
「あ、まさか見たの!?うーん。内緒!言っちゃダメだよ!」
人差し指を口の前に立てて黒瀬へ言う。そのまま去ろうとする少女へ黒瀬は叫ぶ。
「君のな、名前は!?」
こちらへ振り返り、少女は手を口の周りに当てて、大きな声で答える。
「のぞみ!!!」
笑顔で手を振り、そのまま駆けて行った。
黒瀬はその場に立ち尽くした。
胸が熱い。
心臓が速い。
呼吸が乱れる。
自分の身体に起きている現象を、どれだけ分析しても答えは出なかった。
「この感情は……なんだ……」
この奇跡の瞬間から、黒瀬の全てが変わり始める。
——「お父さんはこの幼い時に母さんと出会っていたんだよ。透。素敵だと思わないか?」
黒瀬は、かつてのことを思い出しているのか、恍惚な表情で[Spes]を撫でている。
「そんなことはどうでもいい!なんで母さんを殺したんだ!」
「焦るな、透」
黒瀬は微笑む。
「恋というものは、人を変える。私も例外ではなかった。少しずつ傍聴席も埋まってきている」
俺の言葉を宥めるように、黒瀬は俺の後ろを見ながら話す。嫌な予感がして、後ろを見ると、四角い、透明なケースの中に、椅子が並べられている。そこに、風間さんと、北見さんが座らされている。何かを叫んでいるが、こちらには聞こえない。
「お前の仲間はもうすぐあそこに全て集まる。今のエゴの能力は誰にも防げない」
「黒瀬ぇ…。」
俺は憤怒を拳に乗せるが、後ろを見て思いとどまる。
「透、私に攻撃すれば、彼らは死ぬ。分かるだろう?そんな簡単なこと。私達の息子なら」
そうだ。目の前にいるのは父親ではあるが、最悪の犯罪者だ。そんな奴がなんの理由もなく、みんなを捉えるはずがない。
「どうすればいい」
「話が早いな。さすがだ。このまま真実を聞いて、最後に一つ聞こう。その答え次第では、お前と仲間達を助け、私は大人しく、捕まろうじゃないか」
俺は、どうしようもないこの状況で、冷静に話を聞くことにした。いずれ、真さん、朧さん、豪さんがあの中に入れば突破口も開けるはずだ。と思いながら。
「話を続けろよ」
「よろしい。それでは出会いから私の変化についてだな」




