09.悪魔(2/2)
(……もしかして、ここにはいないのかもしれない)
アイリーンは1階の部屋を飛び出した。
契約者なら、きっとこの戦いを見ているに違いないと、必死に庭に面した部屋を探していく。
そして彼女は、会場の上の2階にある準備室に、1人の中年男性がしゃがみ込んでいるのを見つけた。
窓際に置いてあるテーブルの影に隠れて庭の様子を見ており、その背中から不思議な光が放たれている。
(見つけた! あれだわ!)
彼女は周囲を見回した。
料理人がその場で料理を作る用と思われる大きなフライパンを見つけると、柄の部分を握り締める。
そして、そろりそろりと背後から男に近づいた。
男は夢中で裏庭を見ており、カインが飛ばされるのを見て、よし、という風に拳を握る。
アイリーンは、震える手でフライパンを振り上げた。
ごめんなさいと思いながら、その頭に思い切り振り下ろす。
ガンッ
鈍い響くような音がして、男が頭を押さえてよろめいた。
振り返って、「申し訳ないですが、もう一度やらせていただきますわ」と再度フライパンを振り上げているアイリーンを見ると、彼は顔を引きつらせて叫んだ。
「来い、悪魔! 私を助けろ!」
その声に、カインと戦っていたレイチェルがぐるんと首を回した。
アイリーンを見て、赤い口を開けてニヤリと笑う。
そして、地面を蹴って物凄い勢いで迫ってきた。
(……っ!)
アイリーンは目を見開いた。
迫りくる脅威から逃げようとするも、恐怖で足が全く動かない。
そして、悪魔の赤い口と長い爪がすぐそばに迫り、思わずギュッと目をつぶった、そのとき。
「……お前の相手はこっちだ」
聞き覚えのある落ち着いた声が聞こえてきた。
ほぼ同時に、ザシュッ、という鈍い音がして、
ギヤアアア! というこの世の物とは思えない叫び声が響き渡る。
そして、周囲が静かになり、
アイリーンが恐る恐る目を開くと、そこには傷だらけのカインが立っていた。
倒れたレイチェルを踏みつけ、上から長く黒い爪を突き立てている。
カインは、レイチェルから爪を引き抜くと、どこからか出した何か煙のようなものでグルグル巻きにした。
ついでに辺境伯の目を見てぼんやりさせると、アイリーンが持っていた縄で同じようにグルグル巻きにする。
そして、「少し待っていて下さい」と言い残すと、ハチの巣をつついたような騒ぎになっている1階に飛び降りた。
何かしたのか、下から更に大きな叫び声が聞こえてくる。
そして、彼は2階に戻ってくると、大仕事を終え脱力してぺたんと座り込んでいるアイリーンに、
「大丈夫ですか」
と手を差し伸べた。
部屋の隅にあるソファに丁寧に彼女を座らせ、その前に跪くと微笑みかけた。
「あなたの機転がなければ危なかったかもしれません。最後に助けてもらってしまいましたね」
「……最後?」
アイリーンは、ぼんやりと目の前の悪魔を見た。
言っていることが理解できない。
そんな彼女の手を、悪魔が自分の大きな手で優しく包み込んだ。
「下の連中には都合が良いように思いこませています。ですから、お嬢様は適当に話を合わせてください。悪いようにはならないはずですから」
「……そう、なの?」
「ええ。もう悩むことも追い詰められることもなくなるはずです」
――と、その時。
突然、部屋の床に光る陣が浮かび上がった。
(……え!?)
思わず立ち上がってその陣を見て、アイリーンは目を見張った。
「帰還陣!」
「ええ、よくご存じですね。これはあの悪魔のものですが、私も一緒に戻ることにします」
悪魔がアイリーンを優しく見つめた。
「楽しかったですよ。私の長い生の中でこの3カ月は宝石のようでした。あなたは、私に人を愛することを教えてくれました」
悪魔は茫然とするアイリーンを、愛おしげに抱き締めた。
軽く身を屈めると、その唇に軽く口づけをする。
そして、再び抱き締めてその頭を優しく撫でると、額に口を付けた。
「お元気で。もう二度と悪魔を呼び出してはいけませんよ」
アイリーンから身を離し、帰還陣が放つ光の方へと歩いて行くカイン。
我に返ったアイリーンが叫んだ。
「ま、待って! わたくしもあなたのことが……」
必死に追いかけようとするものの、帰還陣から吹く風に邪魔されて進めず、叫び声も届かない。
そして、風と光の壁の向こうで、悪魔を抱えたカインが切なげに微笑みながら手を上げてーー
――気が付くと、荒れた部屋の中には、彼女と気絶した辺境伯がいるのみ。
魔法陣もカインの姿もどこにもなかった。




