第644話 迷宮に立ち昇る湯気
「ユキノ以外にも、誰かの階位を上げたかったですわ」
「いいじゃない。わたしはこういう方が好みよ」
「そうなんですの? リン」
「明日は何人も一度に上がるでしょ」
ティアさんと、それに付き合う中宮さんの会話が迷宮に響く。
今夜の宿泊部屋を目指し、『一年一組』の面々はペルマ迷宮の三層を歩いている最中だ。時刻はすでに夜の七時を回り、冒険者とすれ違うこともない。
前回の古韮みたいに誰かひとりに経験値を集中させるのも燃えるものがあるが、ある程度平等に分散させてポコポコレベルアップ者が出るのもまた楽しい。
この辺りは中宮さんの言うように、個人の好みの問題だ。
「素材、結構捨てちまったなあ」
「仕方ないよ」
四層魔獣の群れを削る作業、というかギリギリのエンカウントは、今日だけで三回もあった。まあ二度目と三度目は敢えて突っ込んだのだが。
連戦に次ぐ連戦ともなれば、いちいち素材を採取したり拾い直していては戦闘に支障をきたす。よって、丸太作戦を何度も繰り出し、時には魔獣の死骸を積み上げたりしながら戦ったのだ。途中からは忍者な草間による【気配察知】ロスト防止も、海藤の短槍キープ以外ではヤメにした。
そんな戦法を採ったものだから捨てた素材も大量で、目を離すことで迷宮に吸われたものも多かった。結局は全部が迷宮に呑み込まれるので吸われるのも捨てるのも一緒ではあるけれど。
それでも俺たちの背中や肩、腰回りには素材が満載されている。今日だけで四百体以上の魔獣を狩ったのもあり、捨てたところでこのありさまだ。
素材の投棄は職業冒険者として余りよろしくないとされている行為ではあるが、そこはそれ。現状のペルマ迷宮四層では、魔獣を減らすことも立派な仕事とされている。
まあ俺たちの場合、レベリング重視の結果なんだけどな。
「そろそろかな」
「待たせていたら申し訳ないわね」
俺の呟きにパンパンになった革袋を担いだ綿原さんが、振り向くこともなく答えてくれた。
両脇に赤紫の双頭サメが護衛のように控える姿は【鮫術師】の本領だな。
組合の名前を借りてこそこそ動いた前回の迷宮とは違い、今日と明日の迷宮泊は堂々とした冒険者活動だ。組合事務所の狩場マップには『一年一組』の木札がちゃんとぶら下げてある。
さらにはマクターナさんの手配で、本日の荷運びも申し込み済み。待ち合わせの部屋はもうすぐだ。
ちなみに拠点の警備は『ジャーク組』がやってくれている。『一年一組』が襲撃を受けたことを知っていたデスタクス組長や『ホーシロ隊』の人たちは、我がことのように俺たちの無事を喜んでくれた。
「あ、来てるね。二十人くらいかな」
本日【気配察知】を使いまくった草間が、目的地の二部屋前で冒険者の集団を探知したようだ。
◇◇◇
「んぐっ!? おいおい、随分と急な話じゃないか!」
藍城委員長から『一年一組』がペルメッダを離れることをことを聞かされた『ハレーバ隊』のお兄さんが、手にしたヒヨドリ串を取り落としそうになるくらいの驚き声を上げた。
すぐ傍では『担い手』のマトアグル・サメッグ組長が目を細めている。
マクターナさんを経由して今日の荷運びを請け負ってくれたのは『サメッグ組』だった。総勢二十二人という大所帯だが、その中には元アウローニヤ流民で構成された『ハレーバ隊』の人たちも混じっている。
彼らもまた俺たちの無事を『ジャーク組』と同じように大喜びしてくれた。
で、素材の引き渡しに合わせ、料理番の上杉さんと佩丘が急いでまかない料理を作るあいだに、委員長が『一年一組』の今後をかいつまんで説明したというわけだ。
朝イチで時間も無かったこともあり、この件は『ジャーク組』にはまだ話していない。つまりマクターナさんたち組合職員を除けば、『一年一組』の方針を知った一般の冒険者は『サメッグ組』が最初ということになる。
「いや、これは……、朗報なんだな」
「はい」
困惑した『ハレーバ隊』のお兄さんの言葉に対し、委員長は晴れやかに答えてみせた。
サメッグ組長と『ハレーバ隊』は和解のために開催された合同運動会で、委員長の慟哭染みた帰郷を願う言葉を聞いている。俺たちの思いを理解している人たちなんだ。
それでも委員長は魔族や魔王国という単語は持ち出さなかった。帰還へのヒントが耳に入ったので、『隣国』に移動するとだけで濁したのだ。
普通ならアウローニヤに向かうんだと思うよなあ。『ペルマ七剣』にして白髪おじいちゃんなサメッグ組長に通用しているかは不明だけど。一瞬だけど眉毛が動いていたし。
聖法国に襲われたばっかりの俺たちがいきなりペルメッダからの出立を言い出すのは避難とも受け止められる。付け加えるならタァンたち魔族が助力してくれたことくらいサメッグ組長なら掴んでいるだろう。
となれば『一年一組』の赴く先が見えてしまっても仕方がないか。
「そう、か。それっていいことだ。お前たちが望んだ通りの……」
「はい。そうなります」
未練を残す人たちに、委員長は真っ直ぐな笑顔で返す。
そんな会話がなされる中、迷宮の床に座るティアさんとメーラさんはシレっとした顔をしているけれど……、ああ、サメッグ組長が鋭い視線でチラ見した。これは二人の離脱までバレたかな。
それでもサメッグ組長は何も言わない。好感度マウント合戦ではアレだったけど、この人が良識派であることは『ホーシロ隊』と『一年一組』がトラブった際の対応で身に染みている。
「寂しくなるな」
そんな感想をこぼしつつ、ティアさんたちについては触れないサメッグ組長の気遣いには、感謝するしかないんだろう。
「改めて挨拶はさせてもらうが、騒がしくも楽しい時間であったよ。黙っていなくなったりだけは、しないでほしい」
どこか達観した様子のサメッグ組長は、おじいちゃんっぽく寂し気な笑みを浮かべたのだ。
◇◇◇
「笹見様々だなあ」
「崇めてもいいんだよ?」
茶化す海藤に対し、熱を操る笹見さんが自慢げに軽口を叩く。
山盛りの素材を担いだ『サメッグ組』が立ち去ってから三十分程、俺たちは晩飯もとい、パーティの準備に勤しんでいた。
まかないだけで済ませてしまった『サメッグ組』の人たちには申し訳ないけれど、料理の材料を人数分揃えるのがちょっと……。
そんなまかないをフライングしてつまみ食いしていたクラスメイトもいたんだけどな。ミアとか春さんとか。
「へいへい。風呂に料理に、いつも感謝しかしてないって」
「まあいいさ。本日の主役様はドンと構えてな」
「おうよ」
笹見さんの勧めで、海藤は胡坐をかき直す。両者共に笑顔なのがいい感じだ。
さておき、今日で俺たちが異世界に飛ばされて百十四日目。日本換算で八月一日は、ピッチャー海藤の誕生日だったりする。
もう八月なんだよな。山士幌では麦の刈り入れ真っ只中の時期か。
一年一組は滝沢先生も含めて二十二人の集団だけど、これで誕生日を迎えてしまったのは九人目。異世界での生活が四か月近くにもなれば、か。
「へっへー、待ち遠しいぜ」
カチカチと箸を鳴らす海藤は俺の郷愁とは無縁の笑顔だ。合同運動会でもそうだったけど、アイツはサバっとした性格をしている。
主役だからと準備を免除された海藤の目の前に置かれているのは、二枚のバックラーを向かい合わせに被せたものだ。見た目だけなら二枚貝みたいだな。
メイスで組んだ脚の上に乗せられたバックラーの下では、数本の木炭がオレンジ色に光っている。要するに今回バックラーが担う役割りは鍋とその蓋というワケだ。俺ご自慢のジンギスカン鍋バックラーはサイズが違うので使用されていない。残念無念。
代わりと言っては何だが、ジンギスカン鍋の上に並べられているのは薄切りにされた牛肉だ。
このまま焼くのではなく陳列皿として使っているが、こういうのって専用の名前があるのかな。行ったことはないけど高級な焼き肉店だと確か、肉の上にどこそこの牛っていう札が乗っかっている感じのヤツが。画像でなら見たことはある。
うん。生まれてこの方、縁の無い世界だ。
『醤油が手に入ったんだから、大根おろしと合わせたいな』
誕生日パーティの料理について問われた海藤は、調理担当者たちにそんな注文を付けた。ついでに肉料理が嬉しいとも。実に体育会系な考えの持ち主である。
「うん。やっぱりコレだよな」
スタンバイも終了して仲間たちが着席していく中、タレの入った小皿を持ち上げた海藤が香りを楽しむように笑顔を浮かべている。
本日のパーティ料理は『牛しゃぶ』だ。タレはアウローニヤからの荷物に混じっていた大根をおろしたものに、タァンからもらった醤油をたらしてある。お好みでトウガラシっぽいアウローニヤスパイスや、ペルマ迷宮で採れるスダチをトッピングしてもいい。
鍋の代わりに使っているバックラーの中身は迷宮の浄水にコンブ粉と少々の塩を投入して、笹見さんが温めた。なんでも沸騰させないのが肝なのだとか。
炭火が置かれているのはあくまで保温のためでしかない。
そんなバックラー鍋と蓋が五セット。お陰で迷宮に持ち込んだバックラーは普段より数枚多い。
和風ステーキでもよかったのだが、分厚い肉については馬那の誕生日でやったから二番煎じになる。海藤はそれでも構わないと言っていたが、被るのはなあ。
誕生日が増えるにつれて選択肢が狭まっていっているような気もするが、そこは料理番たちの腕の見せ所でもある。
「魚が良かったのに」
隣に座っている綿原さんが未練がましいコトを言っているけど、理解できなくもない。
大根おろしに醤油とくれば、塩焼きの魚が真っ先に思い浮かぶもんな。ペルマ迷宮名産のタイならどうだという話もあったのだ。目出度いだけに。
まあ、海藤が肉を望んだのだから魚は地上に戻ってからだ。
ついでに言えば魔王国には海があるのが確定しているし、もしかしたらもっとダイレクトな海産物が手に入るかもしれない。
「『しゃぶしゃぶ』というのですわね。あらかじめ肉を入れていないのが面白いですわ」
すっかり箸の扱いが上手になったティアさんが、未だ蓋が被せられたままのバックラー鍋と奇麗に並べられた肉に視線を走らせる。
「準備できたよな? じゃあ始めようか。海藤、十六歳おめでとう!」
「よっしゃあ!」
何故か海藤から名指しでプレゼンターにされてしまった俺は、待ち切れないとばかりに箸と鉄製の小皿を構える連中に向けてパーティの開催を宣言した。手短にしておかないと怒られそうだし、俺自身、長話は得意ではない。
歓声を上げた仲間たちが続々と蓋を外し、迷宮三層の宿泊部屋に湯気が立ち昇る。
コンブ粉により薄く濁った湯の中には、あらかじめ投入してあった白菜が泳いでいるが、誰もそれに手を付けようとはしない。皆がジンギスカン鍋バックラーに乗せられた牛肉に我先にと箸を伸ばしていく。
肉だ。まずは肉なのだ。
「しゃ~ぶ、しゃぶ」
「しゃぶしゃぶー」
「しゃぶしゃぶと唱えるのですわね?」
「これが美味しくなるコツなんデス!」
箸で引っ掴んだ肉を、皆が湯に潜らせる。見よう見まねでティアさんやメーラさんもそれに続いた。
適当なコトをぬかしているミアはさておき、コールのためにひとりだけ立ち上がっていたものだから、俺だけ出遅れてしまったのが悔しいところだ。
ともあれ、どこか狂乱含みではあるものの、海藤の誕生日パーティが始まった。
「うんっ! 美味いな。これ!」
当の海藤が湯に肉を泳がせて楽しそうに笑っているから、騒がしいくらいの方がふさわしいか。
どれ、俺も。
「しゃっぶしゃぶ、っと」
自分の席に腰を落ち着け、赤い肉をひとつまみ。湯気が立ち昇るバックラー鍋にすっと泳がせれば、みるみると薄茶色になっていく。
迷宮内で採れた素材は、地上に持ち出さない限りは腐ることがない。すなわち微生物が存在していないということになるわけで、生食も可能だ。
それでもやはり、ちゃんと調理されているっていう感覚が大切なんだよな。副料理長の佩丘は焼き加減にうるさいし。
などという無粋な思考は、今は不要か。
ほんの数秒で変色した肉を湯からすくい上げ、大根おろしと醤油だけのシンプルならタレに付ける。そしてそのまま口の中に放り込んだ。
「美味い……」
「醤油って最高よね」
思わずこぼれた声をこっちの様子を窺っていた綿原さんが拾う。
モチャっとした笑顔と食事時だからと白くしたサメが浮かんでいるのを見ると、それだけで美味しさが倍増した気分になる。卑怯だよな。最高の調味料じゃないか。
「しっかりと醤油を使った豚丼……」
なんか先生がブツブツ呟いているけど、料理番に頼めばいつでも作ってくれると思うんだけどなあ。妙なところで奥ゆかしい人なんだ。
「ふふっ。わたしから美野里に伝えておくわよ」
「醤油の在庫が切れる前に、だな」
先生の声はどうやら綿原さんにも聞こえていたらしい。
仲間たちがワイワイとする中、俺と綿原さんは悪い笑顔で頷き合った。
◇◇◇
「さて、ここからはメーラさんにお願いします」
「わたしですか」
用意した肉があらかた片付いたタイミングで俺は再び立ち上がり、メーラさんに声を掛ける。
小さく首を傾げるメーラさんだけど、表情が変わらないよなあ。サプライズなんだけど、これ。
「はい。これを海藤に手渡してあげてください」
「……わかりました」
俺は後ろ手に隠していた革袋をメーラさんに差し出した。
大きさは三十センチちょいで、入口は革紐を通して縛られている。誕生日のプレゼントなのだが、実用性を重視して飾り気の少ない無骨な造りだ。強いて言えば、袋の端に『海藤貴』と漢字が刺繍されているくらいか。
こういうので出しゃばりそうなティアさんは、口元を悪く歪めて何も言わない。なんだかんだでティアさんも、メーラさんが『一年一組』に参加してから自主性を見せるのを楽しんでいる風なんだよな。
事実、メーラさんを誘導するような俺の言動を咎めるようなことはしてこない。
「ほら海藤。ちゃんと立って受け取れ」
「当たり前だろ」
俺の声が届いた時には半分腰が浮いていた海藤はそのまま席を立ち、メーラさんに歩み寄る。
「どうぞ」
「す」
やたらと短いやり取りを経て、革袋は海藤の手に渡った。
「開けてみてもいいすか?」
「……どうぞ」
確認する海藤にメーラさんはこちらをチラ見し、俺が頷いてからゴーサインを出した。大人向けの語尾になっている海藤と合わせて微妙感が半端ない。
「へえ。こりゃいい!」
縛ってあった紐を解いて中身を取り出した海藤の声が大きくなる。
革袋の中に納められていたのは『ちゃんとしたグローブ』だ。
アウローニヤで軍用外套の端切れから急造したなんちゃってグローブではない。ペルマ=タの街で手に入る牛革から、思い出せる限りの要素をみんなで話し合って、それっぽいデザインを起こした。
メインで作業をやってくれたのは家事に強い佩丘だ。階位が上がっているものだから、分厚い牛革であってもチクチク裁縫するような感じで作り上げたんだよなあ。
実用性の高い鉄製バットをメイスの代わりに贈ろうかという話も上がったのだが、海藤は野球道具を戦闘にはあまり使いたがらない。当初は特製のボールにも微妙な表情だったし、そもそもピッチャーとして培った技術を戦いに持ち込んでいる現実を嫌っていることを、俺は良く知っている。
「って、ちょっと派手じゃないか?」
サウスポーだけに右手にグローブをはめた海藤は、ボールを受けない手の甲側を見て苦笑した。
そこに並ぶのは先生とみんなの名前だ。達筆な中宮さんが針で筋彫したところに黒インクを流し込んである。
もちろんティアさんとメーラさんの名前もあるぞ。しかもカタカナで。
そして親指にはひと際大きく海藤のフルネームが刺繍されている。器用な疋さんがあっという間に仕上げてくれた。
ついでに手首にはワッペンっぽい感じで『一年一組』だ。
「本当に俺専用なのか? これ」
「左利きはお前だけだろ」
名前の羅列にクラスの共有財産みたいなノリを感じたのか、海藤が半笑いとなり、製作者の佩丘がツッコミを入れる。
「あの、わたしは」
「あ、メーラさんは席に戻ってください。ありがとうございました」
喜びで変なテンションになった海藤に対し、メーラさんは所在無げだ。俺はティアさんの隣に手を向け着席を促した。
「祝ってくれてありがとす。メーラさん」
別れが近づいているというのに寂しさなどを一切表に出さず、屈託のない笑顔をみせる海藤は天然のお姉さんキラーだ。
メーラさんに通用しているかは不明だがな。
「ほれ、シメの雑炊始めるぞ」
「おおう!」
席に戻るメーラさんと海藤を見届けたところで佩丘の声が広間に響き、仲間たちが歓声を上げる。
さて、俺の役目はそろそろ終了かな。
最後となるかもしれないペルマ迷宮の一日目が更けていく。
次回の投稿は三日後か四日後を予定しています。私用が立て込んでいて、申し訳ありません。




