思わぬ言葉
「一発殴って終わりにしよう」
余計なことに時間を割いている暇はない。やるべき事を心に決めた俺は声のする方へ足を向ける。落ち葉を踏み鳴らし、白いブナ林を進んでいくとようやく人影が見えた。
大きなブナの木に背中を預けた女性と、逃げられないように両手で左右を塞ぐ男。
「そんな格好して誘ってないっていう気? あんたもその気だったんだろ?」
都合のいい馬鹿野郎だな。嫌がってる時点で勘違いだって気づけよ。
「そんなつもりありません! 確かに気合いは入れたけど、別にあなたのためじゃ……」
気合い入れてたのかよ。それならどっちもどっちじゃないか?
まあ、色々と思うところはあるが。この現状。見過ごしたらどうなるか分からない。明日の朝、ブナ林で若い女性の死体を発見ってことになったら悪夢に苛まれそうだし。
マジでタイミング悪いな。俺は自分の運命を呪った。そして少し遠回りして男の背後にまわって問答無用で手にした本の角を頭に向けて振り下ろす。
ゴンッという鈍い音。だけどそれくらいで失神するはずもなく。男は涙目で頭を押さえて振り返った。
「いてえっ! なんだ!?」
「俺の夢見が悪くなるからどっかいけ」
「はあ!?」
その男の姿を目にした俺は顔を顰める。ベージュの制服にグリーンの帽子。こいつ、ここのベルボーイじゃないか。確か初日に案内してくれたのこいつだったよーな。
ここは宿泊客しか出入りできない場所だから相手は客だろ? いつもこうしてナンパしてんのか? よくやるよ。
「あんた、ここのスタッフだよな。いまからオーナーに通報してもいいんだけど」
「なっ……通報って。俺は何もしてないぞ」
「今のところはな」
冷めた目を男に向けてスマホを取り出し画面をタップすると、男は慌てた様子で大声をあげた。
「待てって。誤解だ! 俺はただお客さんを案内していただけで!」
「こんな場所に?」
どこに案内する気だよ。怪しさ満点だろうが。ジト目で睨みつけると、男は逆上したように顔を真っ赤にして走り去って行った。これ以上騒ぎになるとマズいと思ったんだろう。
あっという間に暗闇に消えた男を見送り、ホッとして小さくため息をはくと、
「彰くーーんッ!!」
「おわっ!?」
突然女に抱きつかれ、後ろから押し倒された。
背中に当たる弾力のある感触といい、この声といい。ガバッと振り返ると、そこには嬉々とした表情の浅見先生。俺は目を丸くする。
「浅見先生!? こんな所でなにしてんですか!!」
「聞いて〜! コテージにゴミが散乱しているから、ちゃんと片付けて下さいって呼び出しを受けたのよ。キチンと片付けたはずなのにおかしいなとは思ったんだけど、断る訳にもいかないでしょう? 夜遅いからお供しますよって言われて一緒に来たんだけど。そうしたら、こっちから行った方が近いって言われて……」
「それでホイホイ付いてきたんですか。あなた、馬鹿ですか」
「うっ……そう言わないでよ〜。まさかこうなるなんて思わなかったんだもの」
俺の背中に乗ったまま、情けない声をあげる先生。
まあ、引率者として宿泊施設からそう言われたら断ることもできないよな。上手い口実だと思う。そうやって二人きりになって口説くのが、あいつの手口なんだろう。
こういった場合、悪者は男と相場が決まっているが、俺はそこで少し異を唱えたい。確かに騙した男が悪い。それは間違いない。強引にこんな暗闇に連れてきて、嫌がる女を口説いたら恐怖を与えるだろうし。だけど。
俺は心を鬼にして口を開く。
「気持ちは分かりますけど。先生にも落ち度はありますよ。そんな格好してるから悪いんです」
「そんな……」
先生はショックを受けたように言葉に詰まった。
服装は自由だ。法に引っかからないレベルならどんな格好をしようとなんの問題もないし、俺が口を挟むことでもない。
実際、セクシーな服装をすることで男からの注目を狙う女もいるだろうし、単なるファッションとして楽しんでる人もいると思う。だから決して悪いことではないんだ。本人の意思に沿っているのならな。でも多分このひとは……
「先生はなんでそんな格好してきたんです?」
「……わたしの魅力に気付いて欲しくて……」
なにいってんだ? 普段でさえ目のやり場に困るっていうのに。いまさら十分過ぎるだろう。
「先生の魅力は全生徒が気付いてますから、大丈夫ですよ」
「違うの! わたしは……わたしは……っ彰くんに気付いて欲しくて!」
「気付いてますって」
初対面の時からその小玉スイカには目がいったからな。メガネの奥のセクシーな眼差しも、口の横にある小さなホクロも最初に発見した。その後発見した先生の魅力は、飛び出す程に度肝を抜かれるビックリ箱みたいだったけど。
「き、気付いてる?」
「はい」
「どこ?」
「どこって。髪の毛綺麗だし、見た目AVじゃね……セクシーだし、めちゃくちゃ料理上手になったし、ヒップホップまで踊れるじゃないですか。加えて生徒思い。あん時の恩、忘れてないっすから」
それより早くどけてくれませんか。重いんですけど。
だけど浅見先生は離れるどころか俺を抱きしめる手に力を込めて叫んだ。
「じゃ、じゃあ! わたしのこと好きになってくれる!?」
必死に訴えかけるその言葉。それは冗談でもなんでもなく、本気の。それが伝わってしまったからこそ。
俺の思考がピタリと止まる。
背中にかかる重さに歪めていた顔も、真顔に戻ったのが自分でも分かった。
「いまのどういう意味」
ゆっくりと先生を押し退けて振り返った俺の口から出た言葉は、思った以上に低いものだった。
いつもご覧頂きありがとうございます。
思いがけず浅見先生の口から飛び出した言葉。
彰の反応は……
今後、二人はどうなってしまうのか。
次回は明日更新です。




