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翼の主  作者:
初夏
36/36

卒業祝い

 その決心をしてから、毎日カレンダーを睨んでいるような気がする。


 人伝に、あの人が学院を去る日が決まった、と聞いた。母が連絡してきた、『道を開ける事ができる日』と同じなのは偶然だろう。だが、その偶然が、私の背中を強く押した。


「無事のご卒業、おめでとうございます」

 寮の談話室で、一人寛いでいるところを狙って声をかける。

「ん? ……ああ、どうもありが……」

 声をかけてきたのが私だと判ると、あの人は驚いて目を丸くした。驚きのあまり座りなおしたくらいだ。

「……いったいどういう風の吹きまわしだ? 君の方から話しかけてくるなんて。……それとも、何かの皮肉かな?」

「皮肉なんて言っていません。卒業したら、こうやって気軽に話したりはできなくなるんだな、って思ったら……それとも、私に祝われるのは迷惑ですか?」

「いや、迷惑だなどとは思ってないが……」

 そして何かに思い当たったように口調を改める。

「そういえば、君の方も無事、卒業だったね。おめでとう」

「……ありがとうございます」

「まあ、君の方は順当だったから、卒業できないなんて心配はなかったんだろうけど。置いていかれずに済んでよかった」

「色々な方のご支援があったからですわ。……殿下も含めて」

 あの人の表情が少し曇る。

「その、『殿下』っていうのはやめてくれって言ったはずだが? 何度も」

 だって、自分で言い聞かせておかないと、歯止めが利かなくなる。

「私が何と呼ぼうが、あなたが殿下であるのは変わらない訳ですし。実際、明日、ご実家にお戻りになったらもう、『殿下』としか呼べなくなるのでしょう?」

「あーわかったわかった。いちいち理由を持ち出さなくてもいい」

 手を上げて言葉を遮られる。呼び名の事で言い争うつもりなんかなかったのに。

「だが、一度くらいは名前で呼んでくれてもいいと思わないか?」

「……わかりました。アドルフ・ゲオルギウス・ゲオルギア様」

 そう呼ぶと、いやそうに顔をしかめる。

「君、他の人もフルネーム呼びだったか?」

「一度そうやって呼べば、大抵の人は何と呼べばいいか教えてくださいます」

「なるほどね。最初にそうやって呼び方を指定しておけばよかったのか。今度そういう機会があった時のために覚えておこう」

 ……そんな機会なんて、もう無いと思う。

 卒業してしまえば、彼の身分や名前を知らない人に出会う事なんて、もう無いに違いない。

「……それで? 何か用でもあるの?」

 用、はある。でもそれは、なかなか口には出しにくい。

「……私も明日、帰る事になりましたので。……親しくお話しできるのも、これが最後かと思いまして」

「また、ずいぶんと急だな。支度はできてるのか?」

「だいたいは。もともと、そうたくさんの荷物を持ってきている訳でもないし。……一番かさばってた荷物は、こうだし」

 ポケットから『ちびちゃん』を封じた呪符を出して見せる。

「……じゃあ、荷物にはいくらか余裕があるんだな?」

「ええと……代わりに本とかノートとか入れたので、それほどは」

 何を言いだそうというんだろう? この人は。

「小さいものなら、まだ入るかな?」

「……たぶん」

「じゃあ、約束の卒業祝いをあげよう」

「約束?」

 そんなもの、したっけ?

 きっと彼の方から一方的に、だったに違いない。出会ってからこっち、何かと物をくれたがっていたし。素直に受け取ったのはお菓子とかお菓子とかお菓子だったけど。

「あいにく部屋に置いてあるんだが……来るか?」

 心臓が跳ね上がる。どうやって部屋の場所を聞き出そうかと思っていたのに。

「お邪魔しても……よろしいでしょうか?」


 王族の部屋にしては、こざっぱりとした内装だな。そう思って改めて見回してみて、この部屋が『拡張』されていないのに気付いた。もしかしたら戻したのかもしれないが。

「何をきょろきょろしている?」

「あ……いえ、思ったよりも普通の部屋だな、と思って」

「改装するほどの魔力には恵まれなかったのでね」

 肩を竦めて苦笑する。

「……あ。……お気を悪くされたのなら、すみません」

「謝るような事でもなかろう? 事実なんだから」

 言いながら机の中を探る。明日帰るという割には机周りは片付いていないように見える。

「……お。あったあった」

 あちこちの引き出しを探って、何か小さなものを取り出す。

「あの……差し出がましいとは思うんですが、殿下のお部屋の片付けは、いったい……」

「手を出して」

「……え?」

「手を、出す」

 ひどく真剣な面持ちに気押されて手を出してしまう。手のひらの上に小さな何かが落ちる。

「…………指輪?」

 それは小さな金の指輪だった。よく見てみると、見覚えのある何かの形を模しているように見える。

「…………ちびちゃん、ですか?これは」

「そう見えないんだったら、作り直した方がいいだろうな」

「いえ、ちゃんと見えますが……」

 ……作り直す、って聞こえたけど? 直させる、じゃなくて。

 確か、学院には実習用の金工工房がある。だけど……

「まさか、これ、殿下のお手作り、なのでしょうか?」

「いけないか? ……本当はこちらを渡したかったんだが、辞退されるのは目に見えているからな」

 そう言いながら差し出された手の上には小さな箱があった。彼が開けて見せたその中には、やはり金の指輪があった。指の甲に当たる面には、何かの目を模した意匠がついている。おそらく、何度か見せてもらった『金瞳』だろう。

「この、指輪は……?」

「『妃の指輪』と呼ばれている」

「それは、確かに私が受け取るべきものではありませんね。……ですが、なぜそんな御大層な物がここに?」

 妃に贈るものならば、王宮に保管されているはずなのでは?

 ぱくん、と軽い音を立てて、箱が閉じられる。

「…………『妃』というのは、この場合、『跡継ぎを産んだ女』という意味でね、ゲオルギアの生まれではないのに、『金瞳』の子を産んだ女性に贈られるものなんだ。……むろん、『正妃』でない女性に贈られる場合は、素材を変えて作る、のだそうだ。……で、見本としてこれを持たされた」

 そう説明する顔が苦々しげだ。

「見本……」

「……つまり、在学中にこれを贈る相手が現れる事を期待されているってわけだ。君は知らなかったみたいだけど、この指輪の事は、一部にはかなり知られてるみたいでね、はっきりと「指輪が欲しい」って迫られたこともある」

「……」

 私が言葉を失っていると、

「そういう訳でね、「卒業祝いに指輪をもらった」って君が言うと、うろたえる人が出てくると思うよ。でも、こんないわくつきの指輪よりも、卒業祝いにふさわしいだろ? そっちの方が」

 無造作に指輪の箱を上着のポケットに入れながら、冗談めかしてそう言う。

「……もしかして、そうやって誰かをからかうために、わざわざ指輪に?」

 手のひらの中の指輪を、指先でそっとなぞる。そのためだけ、というには、あまりに手の込んだ細工だが。ブローチとかペンダントヘッドなら、形はもっと自由にできる。

「……そういう事に、しておこうか」

 なんだかほっとしたような顔になる。私が機嫌を損ねる、とでも思ったのだろうか?

 いやな気分になる話なのは事実だけれども、頭では、この人にそういう期待をかける『彼ら』の考えは理解できる。

 生理的には全く受け入れ難い考えなのだが。

「解りました。ありがたく、いただいておきます」

 いたずらの共犯者、といった趣の笑みを浮かべて見せる。

「……ところで、私、お返しする物が無いんですが……帰るまでに、何か考えておきますね」

 本当は、決まっているのだけど。今の様子だと、返品されてしまうかもしれない。

「なにも、物でなくてもいいのだがな」

 キスの一つもくれれば。そうつぶやいた声を、聞こえないふりで部屋を出る。


「こんばんは」

 そう挨拶したら、ひどく驚かれた。昼間の時よりも、さらに輪をかけて。時刻は、門限の四半時前。走って戻れば、門限に間に合う時刻。

「………………どうやって来たんだ? 」

 どうやら荷造りの真っ最中らしくて、机の引き出しが全部出されている。部屋の主がいなかったら、もの盗りの仕業かと思うような惨状だ。おかげで何かを踏んでしまった。壊れてはいないようだけど。

「どう、って、『転移』で、ですけど。……ところで、片付けのお手伝い、要りません?」

 ……と言ったところでくしゃみが出た。換気のためか、窓が全開になっているからだ。

「手伝いはありがたいが……そんな薄着では風邪をひくぞ?」

 部屋の主が自分の着ていたコートを脱いで私に着せかけてくれる。――彼は窓を全開にした室内でコートを着て作業をしていたのだった。

「それに、掃除をしに来た訳ではなかろう? わざわざこんな時間に」

 コートごと抱きしめられる。心臓がぎゅっとしめつけられるようだ。

「こんな恰好で」

 頬に服越しの体温を感じる。そう意識してしまうと、膝から力が抜けてしまう。だから、ひとつ息をついて呼吸を整える。

「私の格好はともかく、この部屋は何とかしないと」

 こんなにきつく抱きしめられながら言うセリフではない。それは解ってる。でも。

「……いったい、こんな時間に何してたんです?」

 う、とくぐもった声が体越しに聞こえる。

「……家具の類は、残していかなければならないのを、思い出したので、中身を出していたんだが……引き出しの裏に何かが落ちていて」

 ばつの悪そうな声音がそう説明する。だけど、意識をしっかり保っておかないと、抱きしめられている、という事実で頭がくらくらする。耳に響く快い声の半分は、体から直接伝わってくるし。

「……で、この状態ですか。それで、その「何か」は取り出せたんですか? 」

 精一杯虚勢を張る。私がここに来た目的は気付かれているだろうけど、この部屋のこの状態は見過ごせない。

「いや……他にも色々落ちてて……」

「では、机の方は私が担当しますので、殿下はそっちの……引き出しの方を片付けてください」

 努めて強い調子で言う。……でないと、ずっとこの腕の中にいたい、と思ってしまいそうで。

「それでは、君が埃まみれになってしまう」

「私の方が体が小さいんですから、狭いとこに潜り込むのは、私の方が適しています。……違いますか?」

 頭の上で深い溜め息が聞こえた。

「……やっぱり、指輪を渡したくなるな、君には」

 そして、ゆっくり腕を解き、体を離す。

 ほっと息をつくと、不意に顔がすくい上げられ、大きな顔が近づいてくる。かすめるように唇が触れる。

 手の甲や額へのキスは、何度かあった。頬へのも、一度ならずあった。お返しも、した事はある。だが、唇へ触れてきたのは、これが初めてだ。

「受け取れない、と言うならば、その理由が聞きたい。納得がいくような」

 唇の感触で跳ねまわる心臓を射抜くような目が向けられる。この状態で人を納得させるような説明なんて……どうやって組み立てればいい? 

「……一言で申し上げれば、私にも背負うべきものがあるから、ですわ」

 この説明で解ってもらえるだろうか? 

「その、『背負うべきもの』が何か、というのは、教えてもらえないのか? ……他人に教えると差し支えがあるようなものなのか?」

「そんな事は、無い、と思いますが……なんと説明したらいいか……」

 …………だめだ。考えがまとまらない。こんなふうに見つめられていては。

「……すみません。どうやって説明したらいいのか、考えがまとまらなくて……作業をしながらでもいいですか?」

「…………は?」

 目の前の真剣な表情が、瞬時に間の抜けたものに変わる。

「君は……作業をしながらの方が、考えがまとめやすい、のか?」

 妙な事を聞いた、と言わんばかりだ。

「……変、ですか?」

「いや、……考え事をする時の癖、というのは、人それぞれだから」

 それから、長い溜め息をついてから、私の肩を押して机の前まで連れて行く。そしてその前でかがんで引き出し(のあった場所)の奥を指さす。

「ほら、あれ。何か細長い、白っぽいものがあるだろう?」

 言われて覗きこむと、確かに、奥の方に何か細長い物が見える。……それ以外にもたくさん、細かい物が落ちているようだが。机は奥行きがあるので、手を突っ込んだだけでは届かないのだろう。あの肩幅では、中に頭を突っ込むなんてできそうにないし。

「解りました。では、殿下はあちらをお願いします」



 私の育った森には、『門』と呼ばれる空間のゆがみがある。人為的に造られたものか、あるいは自然にできた物かは判らないが、魔法である程度状態をコントロールできる。

 『門』をコントロールするための魔法は、代々、母親から子どもに伝えられる。具体的に伝授する方法は、私には判らないが。でも、その一部は、確かに受け継いでいる、と判る。

 時々、大型の幻獣が『門』から現れる事がある。そういう時には、周辺が荒れるので、『門』の状態を調整しなければならない。

 ごく稀に、もっと大きな幻獣が『門』を無理やり通ろうとするので、壊されないようにこちら側から強制的に、しっかりと鎖さないといけない。


「……ちょっと待て。『幻獣』っていうのは、全部、その、『門』の向こうから来るのか?」

「全部、という事はないと思いますが…………いちいち『門』を出入りする幻獣を記録している訳でもないし」

「……そうか」

「とにかく、その『門』の管理を、母から引き継がなければならないので、こちらに残る事はできないのです」

 引き出しの穴から引きずり出した物のほこりを払いながらそう言った。……納得してもらえただろうか?


 中に落ちていた物はメモや手紙などの紙類やこまごまとした文房具、小さなボタンなどだったが、問題の『白っぽくて細長い物』はなかなか手ごわかった。これは、もしかしたら、『うっかり落としてしまった物』ではなくて『隠してある物』なのではないだろうか? しかも、こうやって改めて見ると、なかなか年季が入っている。

「……これは、殿下の落し物ではなさそうですね」

「ああ、見覚えはないな。もしかしたら、以前の持ち主か……それ以前の物かもしれんな」

 それは、しっかりと巻かれて、蝋で封じられた紙のようだった。一枚なのか、何枚もあるのか、は判らない。

「危なそうな魔法の気配は感じられませんが……開けてみてもいいでしょうか?」

 というより、どんな魔法の気配もない。魔法使いがいじった物なら、多かれ少なかれ、何らかの痕跡は残るのに。

「そうだな。廃棄するにしろ、元の持ち主に戻すにしろ、開けてみない事にはな」

 慎重に蝋をはがし、中から紙を取り出す。埃まみれの手が気になったので、手の甲で挟んで、机の上に落とす。

「……すみません。洗面所をお借りしていいでしょうか? ……この手で触ったら汚しそうですので」

 手のひらを示してそう言うと、

「……ああ、いつでもどうぞ。隣は空きだから、他人に見られる虞はないから」と返事があった。

「……空き?」

「そういうしきたりになってるらしいな。よほど学生数が多くない限り」

 ……なるほど、と言いそうになって慌てて言葉を呑みこんだ。

 手を洗って戻ってくると、部屋の中はそこそこ片付いていた。引き出しは元に戻され、窓も閉まっている。

 机の上に置いた物を、慎重に広げる。どうやら一枚ではなくて、何枚かあるようだ。

 数えてみると、全部で六枚ある。が、外側の一枚は、どうやら『包装紙』だ。残りの五枚にはどれも短い文章が、美しい、とは言えないが丁寧な文字で書き連ねられている。

「何だろ? ……呪文、……じゃなさそうだし……」

 『包装紙』に使われている反故と見比べると、どうやらこちらは下書きらしい。さんざん文章を直した跡が、びっしりとある。

「…………詩?」

 それにしても、推敲を重ねるたびに意図が解りにくくなってくなんて……

「……というか、恋文のようだな」

 肩越しに声がした。

「あまりにも判り難すぎるが」

「……やっぱり、そう見えますか?」

 振り返りたいけれど、怖くて振り返れないでいると、肩越しに手が伸びてきて、机の上の紙を取り上げた。

「これは、廃棄だな。持ち主が判ろうが判るまいが」

「あ……」

 手を追いかけて、思わず振り返ってしまう。抱きしめられそうな距離に、彼が立っている。後退ろうにも、後ろは机だ。

「どうかしたか?」

「……いえ、ちょっともったいないな、と思って……」

 下手な文章だけど、あんなに丁寧につづられているのに。……でも、何かが引っ掛かる。何だろう、この違和感。

「どうしてだ? 持ち主に返す訳にもいかないし、元通り机に戻しとくのも悪いだろう? 出しそびれたラヴレターなんか」

「……そう、ですね」

 他人の、叶わなかった(であろう)恋の残滓なんかが、自分の使っている机から発見されたら、あまりいい気分にはならないだろう。

「誰の書いた物か、が判れば、あるいは利用の仕方もあるかもしれないがな。……例えば、これを基に脅しをかける、とか」

「……将来国王になろうとする方のおっしゃる事とも思えません」

「だからこそ、だ。国王だの王太子だのっていうのは、案外敵が多いんだぞ? いつだって忠実で頼りになる(しもべ)が傍にいるそなたが、時々うらやましくなる」

 その、『忠実で頼りになる僕』って……

「……ちびちゃんの事、ですか? 」

「他に何がいる?」

「私はあれを、僕だなどとは思っていませんが」

「その割には、使い走りなどさせているではないか?」

「それは……」

 親しい子どもにお使いを頼むようなもので、と言いかけて、この人の立場では、そういう感覚は解らないかのしれない、と思い直す。

「……そうかもしれません。あるいは、殿下のおっしゃる「僕」と、私が考える「僕」は、少し意味が違うのかも」

「『殿下』とは呼ぶな、と言っただろう?」深い溜め息を一つついて、私の顔を上向かせる。

「それとも、どうしても名を呼びたくない、とでもいうのか?」

 深い茶色の目が、私の顔を覗き込む。心臓が口から飛び出てしまいそうに飛び跳ねる。

「…………呼んだら、自分ひとりの物にしたくなります。私は欲が」深いので、と言い切る事はできなかった。

「今度は……逃げないのだな」

 熱い息が頬にかかる。たくましい腕が、崩れそうになる膝の代わりに、私の体重を支える。

「……逃げません。ですが、指輪をいただく気もありません。……先ほども申しあげたように、私は戻って、母の後を襲わなければならないので」

「では、なぜ、ここにいる?」

「最後だから、ですわ。明日になれば、あなたはここを去るし、私も帰る。もう、二度とお会いすることもない。だから、です」

 両手をのばして、首を引き寄せる。

「『金瞳』の子を作るのが、あなたにとってお役目の一つである、というのは理解しております。でも、私は厭なんです」

 堰を切ったように思いがこぼれ出てしまう。相手を傷つけてしまうかもしれない言葉も。

「そうじゃない。そなたのことは……」

 相手の言葉を、自分の唇で封じる。

「私の子をあなたに差し上げることはできません。ですから、今まで拒み通してきました。……でも、ずっと、お慕い申し上げておりました。……ですから、これが、私からの卒業祝いです。受け取って戴けますか?」

 返答は抱擁で来た。

「……知ってるか? ゲオルギアの家の男は、女性からのそういう申し出は、めったに断らないんだ。……だから節操が無いとか、手が早いとか噂されるんだが」

 その噂は知ってる。……でも、理由までは知らなかった。

 ふわりと抱きあげられ、ベッドに運ばれる。ベッドは王族仕様なのか、ふかふかに柔らかい。壊れ物のようにそっと下ろされると、体が半分も沈んだかのように思われる。

 肌着一枚になった男の体が、ベッドの上に乗ってくる。鼓動が一際早くなるのを感じる。とろけるようなキスを受けながら、服のボタンが手際良く外されていく。心を決めてきたはずなのに、その性急さにためらいを感じる。

「さすがに、手慣れてらっしゃるのね」

「何が、だ?」

 ボタンを外す手が止まる。

「もう、肌着一枚になってますもの。あの重装備は、どこへやってしまいましたの?」

「好いた女が、それも頑なにこの手を取るのを拒んでいた女が、身を委ねてくれる、というのだから、気が逸るのも無理はあるまい?」

 好いた女。嬉しい言葉だけど……

 この人にとって、私は何人目の「好いた女」だろう?

 この瞬間ならば「一番好きな女」かもしれないが、一度抱いたらもう「用済みの女」になってしまうのではないだろうか。

 ……そういう事を思い煩わないために、「一度だけ」って決めたのではなかったか。

「あまり急かさないで戴けると有難いんですけど。こういう事には慣れておりませんので」

 服の合わせ目から入りこんでいた手が止まる。

「……そうか。……そういえば、そうだったな」

 服の合わせ目がそっと元に戻され(でもボタンは外したまま)、唇が軽く合わされる。

「……怖いか?」

 そう訊ねる声が、優しい。

 怖いって、何が? 初めての事に、怖気づかない訳がない。

「……少し。でももう、決断しましたから、お任せするって」

 このひとに。

「痛くしないように心掛けるが……」

 耳元で熱い息がそっと囁く。

「痛くても途中では止められないからな」

 そう言った唇が、耳朶をそっと噛む。背筋をくすぐったいものが駆け下る。唇がゆっくり首筋、肩、鎖骨、と降りてゆく。吸いつく唇、噛む歯、舐める舌。微妙に違う感触が肌の上を伝い降りてゆく。

 いつの間に肌着を脱いだのか、互いの肌がじかに触れ合っているのに気付く。着衣の上からでも判る、引き締まった体躯に指を滑らせる。なめらかな肌、の上に魔法の気配。辿ってゆくと『金瞳』がある。

「……どうした?」

「あ……ちょっと、この「目」が……見られているような気になって」

「……あるいは、見ているのかもしれんな。自分を託すのに足りる相手かどうか。……だが、もし気になるようなら、移動するが?」

「……いえ、それには及びません」

 『金瞳』の気配を覚えて。……近付いてきたら、排除できるように。

「あまり気を散らされるのも困るのだがな」

 そう言いながら、顔を覗き込んでくる。

「他の存在に気を奪われる、というのは、あまりいい気分がするものではないぞ? それがたとえ自分の一部に根付くものであっても」

「気を散らしてなど……」

 いない、と答えようとした唇が塞がれた。今度は舌が入ってきた。

「……今度気を散らしたら、これでは済まさんぞ?」

 言葉遣いは厳しいが、声音と表情は優しい。

「そなたには、待たされた分、たっぷり楽しませてもらうからな」


 言葉通り、あの人が楽しんだかどうかは判らない。あの人が巧かったかどうかも、私には判断ができない。でもその時に交わしたのは、義務ではなく愛情だった、とは言える。

 少なくとも、互いに求めあった、という覚えはある。



 そっとベッドを抜け出す。

 足音を忍ばせて机の前まで行き、頭の片隅に、ずっと引っかかっていた、「下手な詩」をもう一度見直す。

 内容が解り難いが、自分の思いが相手に伝わらない事へ対する嘆きと、その相手への思いを遂げた者への恨みが書かれているようだ。一体誰に対して出すつもりだったのか。

 ただ、その「相手」というのが何者だか判らない。男性か、女性か、さえも。……敢えて判り難くしている節さえ、ある。

 ふと、ある事を思いついて、全体を読み直してみる。

 やっぱり、だ。

 これは、「恋文」ではない。

 自分の思いが届かなかった「相手」と、その思いを叶えた誰かに対する恨み、は明らかにされている通りだが……その相手は「人」ではない。

 魔法の気配がしなかったのも当然だ。

 これは、夢破れて途中退学した者が、卒業生全体へ向けて放った「呪い」だ。恋文に見せかけるのと、呪文の体裁を整えるのに、ずいぶん心を砕いているようだが、どちらもうまくいっているとは言い難い。

 こんな物をこんな時に見つけてしまうなんて、この部屋の主は運がいいのか悪いのか。

 何にせよ、これは、処分してしまった方がいいだろう。

 呪いを成就させうるような魔力は感じられないけれど、気分の良いものではない。

「願ったものが自分のものにならない悔しさは、解るけど……他人を恨むのは、筋違いです」

 そうつぶやいて発掘された「手紙」を封じていた蝋ごと燃やす。

 こんな「負の卒業祝い」なんか、気付かせたくない。

 窓の外に目をやれば、外出禁止が解かれる夜明けまでは、まだ時間がありそうだ。

 再び足音を忍ばせてベッドに戻る。

 すると、腕が伸びてきて抱き寄せられる。

「体が冷えてるぞ。どこへ行っていた?」

「そんなこと、訊かないでください。……いやな方」

 すり寄っていって甘えて見せると、キスが返ってくる。

「暖めてやろう、と言っているんだが?」

 そう言って、力強い腕に閉じ込められる。

 相手の体温が、じんわりと冷えた体に移ってくる。

「……もしかして、起こしてしまいました?」

「何を、だ?」

「……何、って……」

 キスの合間に、たやすく服を剥かれてしまう。

 肌の上を滑る指が、体の奥の、ようやくおさまった熾火を掻き立てる。

「暗いうちは、逃げられまい? ……本当は、ずっと離したくないのだぞ」

 それは、私だって同じだ。だから、一度きりと決めたのに。

 貪るようなキスに抵抗はあえなく消え去ってしまった。

 『美しい思い出』にするには激しすぎる行為は、窓の外が明るくなるまで続いた。

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