禁足域の日常
翌朝。アルドリックは陽が昇るとともに、庭の魔法植物に水を与えていた。青色の魔法陣が宙に描かれ、雨のように水滴が落ちていく。次いで光魔法を展開する。自身の樹皮が潤うのを感じながら、小屋の扉に目をやった
扉が開き、カイルが姿を現す。光魔法陣を展開させたまま、カイルの方を向いた。
「よく眠れたか。」
「あぁ。」
魔法陣を展開させたまま、カイルを開けた場所へと誘導する。再び、魔法陣を展開する。緑色の魔法陣。自然魔法だ。根のようなものが地面から伸び、カイルの背丈ほどで止まった。
「撃ってみろ。」
「…何を?」
「ふむ…最初は火球程度でいいだろう。」
カイルの困惑した顔を見て、アルドリックは黙って待った。二分ほど経っても、カイルは何もできなかった。これでは何も進まないだろう。手本を見せることにした。魔法陣を展開し、火球を放つ。人の拳ほどの大きさの火球が的に当たる。多少焦げ目がついた程度の威力だった。
「こうすればいい。」
「…えーと、そもそも魔法陣ってどう描けばいいんだ?」
「体内の魔力を外に出す。」
「…それもどうやる?」
「魔力の循環を掴み、手に集中させる。」
「…循環?」
カイルの問いを聞いて、アルドリックはようやく理解した。なぜ、この男が魔法を使えずにいたのか。昨日の会話からも違和感はあった。カイルは、魔力の循環を知らない。体内に魔力は絶えず流れているはずなのに、それを無意識のまま放置している。何故無意識に流れているのか、アルドリックにもわからなかった。
「…少し熱いかもしれん。」
アルドリックはカイルの背中に手を置いた。自身の魔力を、ゆっくりと流し込んでいく。
「…温かい?」
カイルの声に、驚きが混じっていた。どうやら、流れを掴めたらしい。
「掴めたか」
「…なんとなくは」
カイルが手を構える。右手に現れたのは、赤い糸。カイルの魔力だ。よし、とアルドリックは内心で頷いた。
「な、なんだこれ…」
「それをつかって魔法陣を描け。私のと同じものだ。」
カイルは見よう見まねで魔法陣を描き始めた。アルドリックはその手つきを注意深く追った。外側の縁から、内側の文字。中心の文様。曲線。直線。正確だ。初めてにしては、いや、初めてだからこそ驚くべき精度だった。この男には、素質がある。アルドリックはそう確信した。
「…いいだろう。魔力をさらに流し込め。」
魔法陣に、さらに魔力が流し込まれていく。魔法陣は中心から光り輝き、そして火球が放たれる。アルドリックの物よりはるかに小さいが、紛れもなく火球だった。その瞬間、カイルの表情が変わるのを、アルドリックは見逃さなかった。目を見開き、言葉を失っている。何かを諦めた者の顔だ。かつて手放したはずのものが、今、目の前に戻ってきている。そういう顔だった。
「使えただろう。」
「…え?あ、あぁ。」
声が上ずっていた。子供のように瞳を輝かせるカイルを、アルドリックは食い入るように見つめた。この男の中に眠っていたものが、今、初めて目を覚ましたのだ。
「…面白いか、魔法は。」
「…あぁ!もっと、もっとやってみたい。」
その声には、隠しようのない興奮があった。懐かしさを感じた。自身もかつては同じ表情と、同じ声をしていたのだろう。
それからカイルは、昼を過ぎるまで、火球を撃ち続けていた。昼食は昨日の夜と同じ果実だった。
アルドリックは桶に水を張り、足を入れた。そして、光魔法で自身を照らした。こうすることで、養分を補給している。原理は光合成と変わらない。人間でいう食事だ。
「…何をしてるんだ?」
「光合成だ。こうすることで養分を作る。」
「…へぇ。便利だな。」
「便利、か。」
アルドリックは小さく笑った。この姿を見て、便利という感想か。
午後からは、アルドリックの研究の手伝いだった。アルドリックが作成したメモを、カイルが本にまとめていく。最初に文字の読み書きができるかどうかを聞いたのはこのためだった。
アルドリックが百年以上研究してきた、禁足域の情報が詰まったメモが山のようにある。魔物、遺跡、魔道具、植物、鉱物といった、幅広い分野のメモがある。どこかの国にこのメモを売れば、間違いなく高値で取引されるだろう。どの国も、禁足域の情報は喉から手が出るほど欲しいのだから。
「これ、俺に見せてもいいのか?」
「構わない。知ったところで、魔物に追い返されるか、殺されるかの二択だ。」
アルドリックはカイルに目を合わせることなく、メモを書いていく。今日はエルフ族についてをまとめていた。エルフ語で書かれた本を翻訳する手が、何度も止まった。今は使われない単語や言い回しが多く、一文を訳すだけでも時間がかかる。
「これも本にまとめておいてくれ。」
アルドリックは完成した一枚を、カイルに渡す。カイルは完成したものを本にまとめる。かれこれ三時間は同じ作業をしている。午前の楽しい魔法の授業とは違って、カイルは事務作業に飽きていた。
「これ、何のためにやってるんだ?」
「魔法の研究だ。」
「…どこが?」
「エルフ族の生命の樹は魔法の植物だ。不死の術式に大きく関わる存在だ。」
アルドリックは黙々と手を動かす。止まったり動いたりする手を見て、カイルはため息をついた。




