024.焦燥と嘘
その日の夜に、痛みに喘ぐ声が聞こえる。
ジレフはオネネヴの手を握り、頭を撫でていた。
「おかあさま……あしが、いたいよ……」
「オネネヴ……今、神官様を呼んでいるからね……!」
体力の衰えだけでなく、肉体の痛みまで症状として出ている。
俺が思っていたよりも、ずっと早い。
もう、1週間も保つかわからない程に、彼女の病状は進行していた。
オネネヴが魔櫃病だとわかってから常駐していた神官が、すぐにオネネヴへと魔法をかける。
闇の魔法による、鎮痛の魔法。ただそれは、痛みを隠すだけのものであり、症状の進行は一切食い止められない。
「オネネヴ……」
「おかあさま……わたし……しんじゃうの……?」
「……大丈夫……大丈夫よ……」
ジレフはオネネヴを強く抱きしめる。
痛みを忘れ、母に抱かれた安心感から、オネネヴはすぐに眠った。
ジレフはそんな愛しい娘を、名残惜しそうに布団へと寝かす。
部屋を後にし、蝋燭の火だけが薄く照らした客間へと移動すると、神官が重く口を開いた。
「……保って、あと1週間というところでしょう」
「……っ、そ、んな……」
「……」
神官の残酷な現実を突きつけるような発言に、ジレフは声を押し殺して泣き、ラカクは歯噛みをする。
どこまでも無力な自分たちに、嫌気が差しているような、そんな表情だった。
俺も、焦りを隠せないでいた。
ルザに依頼したとはいえ、こんなにすぐ病状が進むとは思っていなかった。
次にルザが屋敷に招かれるのは、オネネヴが死亡した時でもおかしくはない。
いや、寧ろこんな状況で呼ぶ訳がないのだ。
最期の1週間を、家族で一緒に過ごそうとするはずなのだから。
だから、俺は賭けに出た。
きっと、後から何か言われるだろう。怒られるかもしれない。妙な要求をされるかもしれない。
今だけは。
「ちちうえ」
「……どうした、アイロツィ」
「るざさんが、まひつびょうをなおすけんきゅうしてるって、いってました」
姉を助ける為に、ルザを利用させてもらう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その後、すぐ。
ラカクは俺を連れて、ルザの家へと向かう。
……俺だけを連れて。
夜の領都は初めての経験だったが、こんな風に抱えられて移動することになるとは思っていなかった。
平衡感覚が狂い、吐きそうになったところでラカクの急ぎ足が止まる。
降ろされ、少しフラつきながら前を見ると、躊躇無くラカクが家の扉を叩くところが見えた。
暗くてよく見えないが、看板が掲げられていることから何らかの店であることがわかった。
確か、ルザの実家は鍛冶屋だったか。
「誰ですか、こんな時間に……え、ラカクさん?」
「ルザか、丁度いい。話がある」
家の中から漏れる光に照らされながら現れたのは、白衣を着たルザであった。
魔櫃病の薬を作っていたのだろうか。
「アイロツィ君まで……あれ?2人だけですか?」
「ああ。中に入らせてくれるか?」
「あ……どうぞ、ちょっと、ゴチャゴチャしてますが……」
「すまない」
ラカクはそう言って、ルザの横を通り家の中に入っていく。
俺もその後を追って家に入ろうとすると、ルザに肩のあたりを叩かれた。
「貸し、2ね」
まだ話をしていないというのに、何かを察しているようだ。
俺としても、ラカクに何かを疑われている気がしてならないので、その言葉は少しばかり心強かった。
「さて、ルザ。アイロツィに聞いたが、魔櫃病の薬を研究しているのか?」
「していますよ」
「いつからだ?」
「領都に戻ってきてすぐぐらいからですかね?」
息をするように嘘を吐くルザ。
その意図は理解できる。あまりに研究期間の短い薬を使おうだなんて、いくら切羽詰まっていても思わないだろうから。
だが、流石にその嘘は大胆すぎる。まだ1日も経過していない。
ルザは頭が切れる。切れすぎるほどに。だから、2日も経過すれば魔櫃病の薬も完成させているだろうと思っていた。
だが、ラカクの行動が早すぎた。いや、俺が発言するタイミングが悪かったのか?
でも、あの場で言わなければ次にタイミングはなかったかもしれないし……。
「結果は?」
「……理論上は、治せます」
「理論上?」
「はい。まだ、実際に薬を魔櫃病患者に投与できていないんです。だから、理論上治せる薬です」
「……なぜその話を、アイロツィにした」
まさか……。
俺を疑っているのか?
オネネヴの命がかかっている、この状況で?
俺が体内魔力を動かせるから、魔櫃病の原因が俺にあると考えているのか?
「……耳を」
ルザは、ラカクの耳に口を近付け、俺には聞こえないように話をする。
ゴニョゴニョと内緒話を少しした後に、ラカクは目を見開いた。
「……なるほどな。それで、治せるという確証はあるのか?」
「はい。これが論文と、今精製中の薬です。精製が完了するのは、明日の夕方といったところでしょうか?」
ルザが帰ったのは夕方頃だ。家に着いてすぐに薬を作り始めたのか?
それに、そうだとしてもあの論文の束はなんだ?まだ半日も経っていないのに、彼女は何を用意した?
「魔櫃病の原因と薬の治療効果に関する論文です。清書してないものなので読みにくいかもしれないですが、どうぞ」
「……うむ」
ラカクはパラパラと論文を捲り……すぐに理解を諦めて机へと戻した。
武人は筆より剣を持ちたがるものである。
「要約してくれないか」
「はい。まず、魔櫃病の原因はご存じですね?」
「ああ。……体内魔力の硬化が原因だと聞いている」
オネネヴの先ほどの様子を思い出したのか、苦虫を嚙み潰したかのような表情になるラカク。
「その通りです。体内魔力が変質し、硬化してしまう。硬化した魔力は元には戻らず、肉体を巻き込んで崩壊します」
その握られた拳は、自身の無力さを嘆くように細かく震えていた。
「ではなぜ硬化した魔力が崩壊する時に、肉体が巻き込まれるのか、ご存じですか?」
「それは……解明されていないと聞いたが」
「はい。そうなんです。誰も解明できていなかったんです。それが、なぜなのか」
ルザは、別の論文を棚から取り出し、机に広げる。
表紙には『肉体が体内魔力に及ぼす影響とその非実在性に関する仮説』と書かれている。
聞いたことのないタイトルの為、俺が設定した論文ではない。だが、あまりにも危険なその論文に背筋が冷える。
一体誰が、こんな論文を?
「これは、私が魔法師学園高等課程に在籍している時に書いた論文です」
「これは……こんなもの、見つかったら」
「はい。普通なら処刑されるかもしれませんね」
ルザはあっけらかんと応える。まるで、何も悪いことはしていないとでも言いたげに。
だが、ラカクは尚も厳しい目を向けていた。
「魔力そのものの研究は、国教である六神教で禁忌とされている。俺が、ルザを異端審問官に突き出すとは考えないのか」
「オネネヴちゃんの事もありますし、少なくともこの場では何もしないですよね?」
「……ああ。続けろ」
ラカクは絶句していた。まるで、今まで信じてきた人間に裏切られたかのような、そんな表情。
だが、今この場において最優先は、その薬がオネネヴを治すことができるのか、その証明をすることだ。
追及は後にすると決めたのか、瞑目して腕を組んだ。
俺も人の事は言えないが、ルザも随分と賭けに出たものだと思う。聖典における魔神大戦は、魔力そのものの研究の果てに起きたものなのだから。
人の、それも国に仕える貴族の前で発言する内容ではない。
「もちろん、これに関してはもう研究していませんよ。そもそもこれ、一度異端審問官に見つかっていますから、問題ありません。水の枢機卿閣下には、流布さえしなければ良いと許されました」
「……そうか」
異端審問官に見つかった上で許される……?
通常ならありえない出来事ではあるが、ラカクがそこまで気にしていない様子なので話題は次へと進んでしまう。
「私は……体内魔力とは、体内に存在しないのではないかという仮説を立てました」




