第33番 足並み揃えた操り人形
熱の篭る部屋に戻れば満足した獣がいた。大きな体を寝所に投げ出してタバコの煙に囲まれていた。
何度も何度も見てきたこの光景。ただその身体中に生臭い赤色を纏わせていることだけが異常。
今までもこの男はこの状態を気にすることなく生きていた。それが当たり前だと知っているわたくしなのに、今は真っ黒い殺意に変わるくらい気持ちが悪く思った。
「あなた様は…この先、この国をどうするつもりで?」
いけない。意思の誘導はあのお方からは指示されていない。あのお方はこの男の好きにさせるようにとお達しされた。あのお方にしかわからない深い考えがあることは知っている。
けれど、この国に来て何年経った?わたくしはこの国で何をした?意味もなく罪のない小娘を殺して、この男と共に血ぬれになる日々。気持ちが悪い。わたくしが、私が気持ち悪い。
そんなわたくしなぞこの男は目に入ることもないのだろう。返事の代わりに大きく煙を吐いた。
煙を切り裂くようにわたくしは大きく振りかぶって透明な刃を男に突き立てた。ただノンビリと煙を吐いていたはずの男は海蛇よりも素早い動きで腕を引きよせそのまま地面に押し倒す。わたくしの手から落ちたナイフは地面に落ちて空気のように消えた。
自分の目からは涙は出ない。こんなにも切り裂けそうなほどの憎悪も忘れたと思っていたくらいだ。
あの人の笑顔もあの子の暖かさも何一つ思い出せはしない。あるのは冷たく穢れた私だけ。それにあの人とあの子なんてもの、わたくしには居ないはず。この記憶が本物なのか作り物なのかすらわたくしには分からない。
男はギリギリと音がなりそうなほどわたくしの腕を締め上げたまま気にすることもなく生臭い煙を吐き出した。
なぜこんなにも突然に激昂したのか、自分でもわからない。冷静にならなければ。わたくしはジェーン・ドゥ。あの人の命令だけに動く冷酷な女。わたくしに感情なんていらない。
「…突然申し訳ございませんでしたわ。」
霞のように男の腕からすり抜けると深く頭を下げる。ただそんなこともやはりどうでも良いのだろう、この男は何も見ていない目でわたくしではない何かを見つめるのみだった。
「ワシはぁ、ただ美味い肉が食えれば良い。」
美味い肉。それがただの食事じゃないのはわかっている。
「神子の肉も食えたならぁワシはどんな生き物になるんだろなぁ。」
ただの独り言だ。気味の悪い願望。この願望のためにこの国は無くなる。
「あなた様の御心のままに。」
わたくしはジェーン・ドゥ。どこまでも落ちてやる。
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皇江の中に陣を仕込んどいたのは正解だったな。そんなことを思いながらかなり強めの存在希釈の魔法をかけながら廊下に出る。出て早々に違和感に眉を顰めた。
(人の気配がほとんどない。)
一回目に侵入した時はかなりの人魚たちがいたはずだが今はかなり静かだ。神子の行方不明に総動員しているのか?
ただ間違いなく神子はここにいるはずだ。皇江は広く独特な魔力が満ちている。神子のいる場所に近づかなければ存在を確認することもできない。
なんで地図の一つもないんだよ、とブツクサ言いながら堂々と歩く。自分なら神子という大事な宝物は奥深くに隠しておく。だったら水底だよな、と下の階に向かう。
この場所には階段なんてものはない。窓枠だけの切り取られた場所から水の中に入って泳いで下の階に行く。正気を疑う造りだ。人間が入ってくることなどはなから計算に入っていないのだろう。実に排他的だな。
前にも1…いや、2度ほど第二大陸に来たことがあるはずだが…なんせ昔すぎて忘れてしまった。昔から多種族には冷たい種族だったしな。
それを思うと大陸に足を踏み入れただけでは殺されなくなった今の世界は平和かもしれない。それだけの長い時間が経ったと思うと少しだけ寂しさがある気がした。
窓から水の膜に腕を通せばほんの少しの抵抗の後に水の中に体が通っていく。この膜も魔法なのはわかるが、どうやってかけられているのかが分からない。ガイアの蜘蛛の森を囲っている白い壁と同じで最古の物だ。今の技術では解析もできないかもしれない。
この場所の独特な魔力もこの魔法のせいだろう。できることならガイアからクモとロゼを連れてきて思う存分に研究したいものだ。
一番下の階の窓から中に入る。やはり何故か人の気配が無い。探索魔法を使っても神子の存在が見当たらない。そうなってくると〈反射魔法〉アンチマジック で隠されている可能性が高いか。
面倒臭いことになった、と舌打ちをしながら地面に小さな陣を魔力で描いていく。その陣の中心に手を置いて魔法を使う。この建物で魔法を使われている部屋があればそこが神子の部屋の可能性が高いだろう。
じわじわと広がっていくイメージをしながら集中して魔力に神経を巡らせる。この魔法、魔力の問題よりも頭が疲れる点で嫌いなんだよな。
広がっていく自分の意識がここからいくつもの部屋を超えて奥の奥の奥の…魔力に囲まれた部屋があるな。この通路を…ここで勢いよく右手が弾かれた。
この既視感のある状態にすぐさま体勢を整える。向こう様は思ったよりも手練れだったか、と自分の存在希釈をすり抜けたことに困惑よりも悔しさが募る。逃げてる暇は…クソっ、ねぇよな。
一応顔を魔法で変えた所で自分が居る場所の一番近くにあった部屋の扉が勢いよく弾けた。そう思った次の瞬間には透明な刃が顔のスレスレを通る。
「…テメェ誰だよ。」
青い長い髪を肩から垂らした紅のドレスの女。この国では見ない型のドレスだ。手には透明なナイフ。
あれは…魔力を固めたものか。ブレることなく形を維持出来る魔力操作力の高さが伺える。
「俺の魔法を尽く弾いたのはお前か?」
こちらの質問に答える気などは無いのだろう、反動をつけては何度も切り掛かってくる。おーおー、容赦の無いことで。つかこちらは魔法使いだぞボケ。体術はそんなに得意じゃねぇっての。
大ぶりで右から切り掛かって来たところを相手の腕を引いて体勢を崩させる。そのまま軽い足払いで地面にうつ伏せに押しつける。
う゛っと呻く声を聞きながら後ろ手に魔力紐で拘束した。これで簡単にはそう動けまい。
にしてもこの女、体勢を崩した瞬間に無理な体勢をさらに捻って攻撃をしようとして来やがった。下手すればそのまま怪我をして戦闘不能になる可能性だってあるってのに、自分のことはニの次ってことか?厄介そうなお相手様で。
「おい女、お前は一体なんなんだ?この国の用心棒か?」
この国絡みの人間にしてはかなり不自然なところが多い。
解析魔法は…案の上弾くか。ただ俺のレベルにそこらの奴が敵うわけがない。もう一度解析魔法を掛けて今度は簡単に相手の中に突破する。
無理やり脳みそを見られている状態は酷く不快だよなぁ。小さく呻く声が漏れている。ああ、歌の神子を攫ったのは間違いなくこいつだろう。残っていた魔力の残滓がこいつの形状と一致している。…おい待て、
「…あ゛?お前本当に何者なんだ?お前人魚じゃ…」
そこでゴキっという嫌な音と共に足元の女が体を跳ねるように起こした。慌てて身体を逸らしたが頬を薄く掠ってしまった。
目の前でまたゴキリと嫌な音をさせながら女がナイフを構えている。肩を外して逃げやがったのか。肩を外した状態のまま切りかかって来るなんて正気じゃねぇだろ。とんでもねぇ女だ。
「おい、不毛な争いは勘弁してくれ。俺は別に何か悪意があるわけじゃない。」
ほんの少しこの国の神子を攫いに来ただけだしな。
折角こちらが下手に出たのに女は構うことなく切り掛かって来る。なんなんだよ一体、言葉通じねぇのかよ。
素早いが避けるだけならば問題はないのでヒラヒラと女の攻撃を躱していく。躊躇なくこちらの急所を狙ってはくるがその刃筋は決まった型があるわけではないようだ。どこかで極めた武などではなく何度も繰り返した死闘で身につけた動きだろう。
ますます不審な女だ。
「…チッ、恨むなよっ!」
ここで長時間やり合ったところでなんの利点もないので早々に蹴りをつける事にした。この女のことは後からいくらでも調べられるだろうし。
女が斬りつけようと振りかぶった一瞬を狙って両手を女の顔の目の前に大きく広げる。お、そのまま振りかぶらずに避けに転じたのは偉い。やはりこいつ中々の経験者だな。
ただ少しばかり遅すぎる。
俺の両手から世界が真っ白に見えるほどの光が出て女が膝から崩れ落ちる。
やれやれ、これで暫くは動けまい。つま先で女を突いたがピクピクと動くばかりで起き上がる様子はない。
別に殺してはないぞ?ただ閃光と裂音に酩酊魔法を付与したものをかけただけだ。当分視覚も聴覚も使い物にはなるまい。
一応今度は身体と腕を合わせて魔力紐で巻いておく。これで逃げられるなら俺はお手上げだ。
「さてと、だいぶ時間を食わされたな。」
スムーズに行けばもう宿に戻ってる頃だっていうのにめんどくさい。さっさと神子がいるであろう部屋に向かおう。そう踵を返した時に呼吸が止まった。
獰猛な獣が爪を振るったように俺の右首後ろの壁が一瞬で抉り取られていた。咄嗟に足元に転がっていた女を蹴らなければ女諸共チリに代わっていただろう。
この状況を作り出した目の前の獣には俺も女も映ってはいなさそうだ。久方ぶりに流れる嫌な汗を感じながら俺の頭は逃げる算段で動いていた。
薄汚れたローブの赤い色が模様でないことくらい誰だって簡単にわかる。デカい、身長もガタイもとにかく大きい男の人魚。
肩口で適当に括った髪は自分で切ったのかと思うような無茶苦茶で赤黒いものがこびりついている。顔にも腕にも赤黒くこびりついた汚れは何をして来たのか考えたくもない。
力なく面倒臭そうに歩いてくる様子は隙だらけに見えるというのに一歩も動けない。この男は強いだけじゃ無い、何をするかわからない狂気がある。目の前に立つだけで気分が悪くなるほどに、この男には死臭が染み付いていた。
何も見えていない目は狂っているとしか思えなかった。
「おまぁえ…強いなぁ。」
気味悪い粘着くようなイントネーションが耳にへばりついて不快だ。目の前に立っているだけでこんなにも不快になれる人間はこの長い人生でもいなかったかもな。この世界は本当に広いことで。
「ぅグッ…⁈」
なんの予備動作もなく一瞬で間合いを詰められた。躊躇のない足蹴を刹那に張った魔法障壁でなんとか防いだが、かなり重い。下手したら女と同等の力じゃないかと脳裏にオレンジの髪がちらつく。
アイツとこの男で殴り合ったらどちらが勝つだろうかと生産性のない疑問が浮かんでしまった。
そんなことを考えている場合じゃない、と目の前の男に向き直る。俺は本当に魔法以外の戦闘に向いていない。
俺くらい凄い魔法使いになっても強い魔法を発動する際に隙間が生まれる。その隙間よりも早く動ける戦闘員に当たってしまえばかなり骨の折れる戦いになるってことだな。
そしてそれが今なわけだ。心底面倒臭い。ああ、もう、…いっそ全部ぶっ飛ばしてやろうかな。2度とこの陸には足を踏み入れられなくはなるだろうが。そんで多分俺の身体は魔法の威力に耐えられずに爆散するだろうが。
身体強化と動ける程度の薄い魔法障壁を張っておく。こんな力任せに動く男にどこまで通用するか分からないが無いよりはマシだろう。このままどこかで転移魔法を発動できる隙間を狙うしか無い。
そんな忙しい中にキツネの奴から緊急のコールが頭に響いた。ああっ、くそっこんな時に今度は何が起きやがった!
今すぐ連絡を取りたいがここで目の前の男から目を逸らすのはあまりに悪手すぎる。
じりじりと目線が合わさっていた中、唐突に男が右腕を頭に上げたと思えば大きくあくびをした。
はっ?なんなんだよ、と困惑している間に男は右手で頭をボリボリと音を鳴らして掻きながら来た道をまた怠そうな歩き方で戻っていった。まるで痛ぶるのに飽きた肉食獣が気まぐれを起こしたふうにしか思えない。
それも無性に腹が立つが今は非常事態には変わりないので舌打ちをしながら俺は宿にまた転移した。
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「お兄さんたちって何者なの?お姉さんと知りあいだったの?あの後大丈夫だった?ねーねー、」
森を抜けるため一緒について来ていいって言ってくれたくせに何故か二人とも私の言葉に反応してくれなくなった。無言で私の前をさっさと歩いていく。
お姉さんの方なんかはお兄さんにくっついたままで時折気にするようにこちらをチラチラ見てくる。私が怖いのかな?
それでも寂しいので鬱陶しいくらいに話しかけ続けてみてるけど完全に無視。ちょっとくらいおしゃべりしてくれてもいいじゃんね、ケチ。
「あ、もしかしてデート邪魔したことやっぱり怒ってる?ごめんね。」
「デートじゃねぇよ!!」
あ、やっぱこれには反応してくれるんだ。そんなに否定しなくてもいいのにね。
「…あんたこそ、あの後大丈夫だったのかよ。」
あの後?一瞬なんのことかわかんなくて頭の中にハテナが浮かぶ。あ、リーダーとかいう人に撃たれた時のことか。
「あのくらい全然平気だよ!ちょこっと痛かったけどなんともないし!」
にっこり笑って大丈夫をアピールするために親指を立てて突き出した。…あれ?なんか引いてる?
「あの銃、海獣も一発で吹き飛ばす威力のはずなんだがな…」
え、そんな凄いものだったの?リーダーさんに危ないから人に向けて撃っちゃダメって言っておいてよ。って言ったら乾いた笑いが漏れてた。
私じゃなかったら多分人間吹き飛ぶからね?私が特殊なだけで人間みんなこんなんじゃないからね?
でもやっとお話ができるようになってきて結構嬉しい。お姉さんはまだ警戒してるみたいだけど。私そんなに怖がらせることしちゃったかな〜?
「あんたはなんでこんな森の中を徘徊してたんだよ。こんな町外れ、誰も来ないような場所だぞ?」
え、そんなに変なとこに迷い込んでいたのか。無我夢中になすぎて全然気が付かなかった。
「えーっと…あー、友達を助けに行こうとして、邪魔だから帰れって言われて、腹が立ったからテキトーに走ってたら迷っちゃって…って感じ?」
ただの迷子かよ、って言われた…否定できません。
「お、お兄さんたちこそこんなとこで何してたの?姿隠してたし何か訳あり?」
あ、また黙った。聞いちゃダメなやつだったかな。教えてくれなくていいからとりあえず世間話でもしてくれないかな。
「…あんたこの国の人間じゃないよな。人魚じゃないし。」
え、うん。見た通りのただの人間です。話し始めたお兄さんにお姉さんの方が驚いた顔をしてる。小声で相談してるけど全部聞こえちゃってるよ。
「話していいの?…見ず知らずの人間だよ?」
「知ったことか。俺は自警団を抜けたんだ。それにこの人間はあんたを助けたのにリーダーは躊躇なく撃った。俺は今でもそれが許せない。」
おおっと、これはあれだね。私のせいで仲間割れしちゃった感じかも。確かに痛かったけど別になんとも無いし気にしなくていいのに。
「いや、流石に気にするだろ…」
あ、途中から声に出てたみたい。えへへ。
「…まー、町までまだ遠いしテキトーに話でもしながら行くか。」
意外と気さくな人魚さんたちみたいだ。楽しい道連れになりそうで良かった。
「あ、忘れてた。私の名前はアサヒ!あなた達は?」
自己紹介は大事だからね。…この国では名前を聞いちゃいけないとかあったのかな…?2人とも顔を見合わせて変な表情をしてる。
「…オルカだ。」
「プラティ。」
あ、良かった。2人とも名前教えてくれた。
「よろしくね!オルカ!プラティ!」
2人はまた顔を見合わせて少しだけ複雑そうな顔をした。




