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第32番 物語を談る者



 かなり時間はロスしたがとりあえずまだなんとかなるはずだ。部屋に一瞬で移動すればキツネの膝でぐずぐず泣いているサーシャがいた。

 サーシャは俺の姿を見て泣きながら正面から飛び込んできた。おいそんな目で俺を見るんじゃないキツネ。


「マイラスぅ〜、あぅ、リュケさんがぁ、リュケさんがぁ〜」


 ヒックえぐと言葉にならない声を無理やり言葉にしようとして意味わからないことになっている。落ち着けって、大丈夫だ、お前のせいじゃない。

 何度かそう言いながら頭を撫でたらようやく落ち着いてくれた。服がベチョベチョになったがまぁいいか。サーシャのこんな様子を見れば女を連れてきた方がよかったかと少し後悔した。

 だがあそこから宿までの道のりを案内する時間も惜しかったし、あいつがここにいてもやることもないし。

 しかし今サーシャに割いた時間を考えれば…そんな終わったことを考えている方が無駄か。今は早く痕跡を辿ろう。


「おいキツネ、神子の消えるまでの流れの説明を案内しながら手短に頼む。」


 はっ、とサーシャを自然な動作で自分の方に引き寄せながらキツネが返事をする。いや、だからそんなに嫉妬すんなって。サーシャはお前のことちゃんと信用してるだろうが。


「ふぅん、ここか。」


 女子トイレの前で立ち止まる。何があってもすぐ対応できるように手が届く距離に2人を待機させて扉に手をかける。

 微力ながら魔力を感じるな。ここで何かあったのは確実だが気配が薄すぎて分かりにくい。

中に入るか…女子トイレの中…

 小さなガキの姿に戻って肩ほどまで髪を伸ばし、一応女児向けの服に変える。ガキなら格好さえ女なら男女の違いはわかりにくいだろ。こんな場所にそれなりの歳した男が入ってみろ。女は怖いからな。

 さっきからキツネとサーシャの目線が痛いが気にしたら負けだ。


 リュケの痕跡は確実にここに有る。だが扉の前でキッパリとそれが途絶えている。これは…扉同士を繋げる魔法だろうな。魔力痕からして陣ではなく、誰かが直接魔法を使ったのは確かだ。

 扉から放射線状に飛び散る魔力の量が多い。相手はかなりの力量だ。ただ、こんな気配の魔力…皇江内では見かけなかった気がするが…。


 ふう、やっぱあれを使うか。温存した魔力でも足りなさそうなので魔石を一つ取り出す。勿体無いがしのごの言っている場合でもない。


 扉にサッサと魔力で緑に光る線を引いて陣を描く。その真ん中に魔石を挟むように手を置く。


〈繋がれ〉


 短く言葉を発すると陣を中心に光り出す。その瞬間にバチッと手が勢いよく弾かれた。手のひらにあったはずの魔石は粉々に弾けている。


「くそっ、弾きやがった。」


 ただ弾かれた瞬間に確かに皇江に満ちていた独特な魔力を感じた。やはり皇江に連れ去られた事は確かだな。

 まだ歳若くてもリュケは神子だ。そこまでの力を持つものを連れ去れる奴がいるとは思えなかったが…皇江にも何かがいることは確実ってことか。やっぱ何事も一筋縄じゃ行かないよな。

 サーシャを連れていくべきかここに残すか…敵陣にうちの大事な神子様をやすやすと連れて行くのは嫌すぎる。


「おい、こちらマイラス。聞こえるなら返事をしろ。」


 二、三回空に向かって声をかけると小さなノイズの後に応答が返ってくる。


『あ?マイラスか、こちらイヌ。なんか用か?』


 意外に早い返答があった。イヌとキツネにはそれぞれに思念が飛ばしやすくなるように魔石を渡してあるのである程度の距離まではクリアに会話をすることができる。


「忙しそうなところ申し訳ないが一旦こっちに戻って来てくれ。歌の神子が連れ去られたから取り返しに行ってくる。」


 は?早すぎんだろ。と向こうでブツブツ言っているのが聞こえるが出来る限り早く戻ると言ってくれたのでこっちはひとまずオーケーだな。

 サーシャとキツネをひとまず部屋に戻して俺も元の姿に戻る。おいサーシャ、なんでそんなガッカリした顔をしている。


「イヌがすぐ戻ってくるからキツネとサーシャはここに待機。何かあったらまた直ぐに知らせろ。」


 はっ、とキツネは気の良い返事があったがサーシャは急に不安そうな顔になった。


「お姉さんは…まだ帰ってこないの?」


 キツネの服の裾を掴みながら必死に堪えているが目元に涙が滲んでいる。だからキツネはそんな悔しそうな顔をするんじゃねえって。


「…もう少しの辛抱だ。歌の神子を連れ帰ってきたらまた話しをしよう。」


 サーシャの頭を少し乱暴に撫でると俺の足にしがみ付いてくる。早く帰ってきてね、と小さな声で言われると結構な罪悪感が出てくる。女をここに戻すべきか…アイツはなぁ…トラブルメイカーだからもう少しどっか行ってて欲しいんだよな…。

 それにアイツはきっとこの国の現状を知ればまた怒り狂う可能性が高い。グズリアの時の姿を思い出せば今暴れられるのは非常に困る。アイツが暴れられる場を作ってからにしようと判断した俺はおかしくないだろう。


「すぐ神子と帰ってくるから心配すんな。」


 柄にもなく精一杯自分なりに優しく言ってサーシャをキツネに引き渡す。


「頼んだ。」


キツネが頷いたのをみて俺は皇江に飛んだ。



_______________



 ここは…どこでしょうか?頭がぼんやりしてうまく考えられないのです。

 体が重たくて動きません。目も開かなくて夢の中なのか現実なのかもわかりません。

 曇りガラスのようなぼやけた世界の先に小さな女の子の人魚が見えます。

 ああ、これは夢なのです。だって目の前にいるのは楽しそうにお喋りをする私で、その隣に居るのは大好きなお姉さまですもの。

 お姉さまは私の頭を撫でながら手を繋いでくれて、そして2人でお歌を歌います。なんて楽しくて幸せでしょうか。

 神子である私には父も母もいません。私にいるのはお姉さまだけ。お姉さま…ねぇね、なんで…私が何かしてしまったの?私が何かしちゃったなら謝るから、ごめんね、ごめんなさい。ねぇね、また2人で、お歌を歌おうよ…


「キュウっ!!」


 いきなり耳元で甲高い鳴き声とおでこに何かがぶつかります。びっくりして目を開けるといつもの見飽きた天井があります。あ、体が動きました。私は夢を見ていたのですね。


「キュルルル!!」


 海龍様が起こしてくださったのですね、ありがとうございます。海龍様は頼りになるのですね。

 当たり前のように頭を撫でていましたが自分の状況をようやく思い出しました。連れ去られた時には居なかったはずなのに…なんでこんなところに海龍様がいるのですか?

 海龍様に聞いてもキュウっと可愛い声を出すだけで何も答えてくれません。こんな時にサーシャ様がいれば海龍様の言葉が分かったのかもしれませんが、ここにいないので考えても仕方ないのです。

 あれ…?声を出そうとして違和感に気が付きます。声が…出ないのです。

 自分の喉に触れれば何か布のようなものが皮膚に張り付いています。声が出ないのもこれのせいなのでしょうか。

 外そうとしたのですがどこにも指の引っかかる取っ掛かりのようなものがありません。

 慌てて部屋にある水鏡で首を確認しましたが赤い皮のようなチョーカーに黒い宝石が二つ付いたものが巻きつけられています。手ではどうにも出来ないので何か刃物で切ろうかと思いましたがこの部屋にはそんなものありません。

 誰かに頼むにしてもいつも部屋に居るお付きの女官も居なければ扉も開きません。

 これは、完全にここに閉じ込められたということでしょうか。

 胸がざわめきます。私は今日で外の世界も、歌う幸せも、お話できる楽しさも、友達という素敵なことも、全部知ってしまったのです。

 これから先ずっと、この部屋にいることは…考えただけでも嫌なのです。

 どうにかここから出なければ、サーシャ様もマイラスもアサヒもきっと心配してしまいます。みんないい人達ですから、きっと私のことを取り返しに来てくれるでしょう。

 何故かわからないのですが出会ってからほんの少ししか経っていないあの方達が必ず来てくれると、私はそう確信してしまうのです。

 

 でもこれは私の問題です。当の本人が何もせずに黙って囚われの身に興じているなど、私のプライドが許しません!!

 海龍様、どうかお力をお貸しください。海龍様の両手を持って目と目を合わせて強く願います。

 声は出せませんが伝わったのか海龍様は嬉しそうに勢いよく尻尾を振りました。心なしか表情もキリッとしたように見えるのです。

 たった1人と1匹ですが1人は神子で1匹は海龍です。この国では最強と言っても過言でもないお二人で、必ずやこの難関に立ち向かって見せましょう!


 グッと拳を強く握りしめたところで勢いよく扉が開きました。私の部屋にノックもせず入ってくる人は初めてで心臓が跳ね上がって止まりそうになりました。


「神子様!!神子様一体どこに、ああ、神子様!!!」


 大きな声で扉を蹴飛ばしながら入ってきたのはラルカルト様でした。震える手足を見て今まではなかった罪悪感が心の奥から湧き上がりました。そんなに心配させてしまったのでしょうか。

 よく見れば耳に怪我をなさっている様子ですし、それも私のせいなのでしょうか。申し訳なさに押しつぶされそうになります。

 慌てて声代わりにしている石板に謝罪の言葉を書こうと机に向かった際、ラルカルト様も私の目の前に立ちました。

 その瞬間に目の前が真っ白になって右頬に熱い衝撃が走りました。先ほどまでとは違う鼓動が強く高鳴ります。


「この小娘が。この、小娘が。この小娘が!」


 今までは見たこともないラルカルト様の表情に体がすくみます。私は、今、頬を、打たれたのでしょうか。


「もう二度とここから出てはいけません。下界は恐ろしい場所なのです。神子様に何かあっては大変です。」


 幼い子に言い含めるように。けれど幼い子には決して向けないような、恐ろしくて怖い、海の奥深くのような表情で、ラルカルト様は言いました。

 私はただ呆然と頷くことしかできませんでした。夢の中にいるみたいでまるで現実味がなかったのです。


 自分が座り込んだ足元から何か獣の威嚇のような唸り声が聞こえます。もしかして、海龍様が私の影の中で泳いでいます?

 どうやっているのかわかりませんがどうかこのまま出てこないでください。もしラルカルト様に見つかればきっと、連れて行かれてしまうのです。今この場所に私1人置いて行かないでください。

 私の気持ちが伝わったのか唸るのはやめてくれましたが獣特有の殺意がビシビシ突き刺さります。もう少し穏やかになってはいただけませんでしょうか。


「…当分はこの部屋から出られぬようさせていただきます。少なくとも丸一日は中からも外からも開きませぬゆえ、どうかこの度ご自身がなさった愚かなことを反省していただきたい。あなた様は神子なのです。この広き海原で一番尊き人魚なのです。どうか、そのことをお忘れなきよう。」


 最後は優しく子供に語りかけるように言い聞かせてラルカルト様は部屋から出ていきました。私はしばらくその場から動けませんでした。

 私の知っているラルカルト様はどこかおどおどとしていて、声がデカくて、それでも良い人でした。今のは一体誰でしょうか。私の知らないところでこの国には一体何があるのでしょうか。

 いつの間にか私の隣で頭を擦り付けてくる海龍様の頭を無意識に撫でながら、私は水の中をもがくように思考を巡らすばかりでした。



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