第26番 年寄りの間奏
ああ、腹が立つ、腹が立つ。
なぜ神子様がどこにもいない。神子様につけていたチョーカーは海の底から見つかるし、タイザイどもの場所にいたあの変な男はあそこから一切の痕跡が追えない。
どうする?どうすれば良いのだ。
ラルカルトは歩きながら頭を抱えた。口から自然と漏れる悪態もどうすることもできない。
あのニンゲンどもだ。あいつらが来てからおかしくなったんだ。ニンゲンどもはいつもいつもいつもいつも!
腹立ちは抑えるどころか大きく膨れ上がっていく。それでもかのお方に会いに行くのにこのような感情を滲ませたままではよろしくない。
大きく深呼吸をしてあのお方の部屋前に佇む。行きたくない。会わずに済むのなら一生会いたくない。
だがこんなジジイにも愛しい人がいる。だからジジイは腹を括らなければいけない。
「皇弟様、失礼致します。」
大きく三度扉を叩いて部屋に入る。部屋はむわりと熱がこもっていて甘ったるい吐き気のする匂いと、嗅ぎたくもない生臭くよく知る匂いがした。
「どぉした。」
寝屋の奥、他国の民が使うような大きな柔らかい布を引いた寝具の上で、皇弟様と呼ばれた男が上半身を起こした姿勢でタバコを咥えている。
その周りには上下左右と言っていいほどの肌けた女人を侍らせていて見るからに爛れている空間。しかしその肌けた女人の殆どは赤く染まっていて息をしている者がまだいるかは考えたく無かった。
どんなに腐った場所だとしてもこの光景はいつものこと。ラルカルトはもう触れる気力など残っていなかった。
「その、我が国の神子様が…失踪致しまして、総員を、尽くして目下捜索中で、ありますが!以前場所を把握できておりません!」
首を地面スレスレまで下げて前を向くこともなくラルカルトは報告する。その声は震えており見える首元にはじんわりと汗が滲んでいた。
「そうかぁ。」
短く皇弟様が呟く。今日は機嫌の良い日であるようにと強く願うが、それは自分の真横に飛び散った赤黒い液体にかき消される。
顔を上げなくてもわかる。侍らせた女人の1人が悲鳴も無くただの肉塊に変えられたのだ。さらに身体を縮こまらせながらその刃が自分に向かないことを強く願う。
「それでぇ?」
たった一言の重たさに声が詰まる。怖い、自分が目の前にしているお方は狂人と言っても差し支え得ない、狂ったお方だ。何か下手なことを言えば自分の命が終わる。
「み、神子と言っても世間も知らぬ、か弱き少女です。見つかるのは時間の問題かと。今は陸部、海部総動員で捜索させております。」
そうかぁと興味のなさそうな声の後にずぶりと肉に何かが刺さるような重たい音がした。ああ、またこの国の女子の数が減った。大丈夫、自分に刃が向かなければなんでも良い。
「あの小娘は良い身体をしていたぁ。あのか弱い四肢は好みだぁ。後二年後にワシのもんにするのが楽しみでなぁ。」
ズブズブと何度も肉が裂かれる音がする。臭い、鼻の奥にこびり付く血生臭い匂いに吐いてしまいそうだ。
「なぁ、ラルカルトぉ。」
近づく威圧感と共に地面に擦り付ける自分の頭が何か重たい物に押さえつけられる。ぐりぐりと地面に押しつけられて痛みと共に呼吸がままならない。
「ここまでぇ大変だったなぁ。国からニンゲン共を追い出してぇ。ニンゲンに罪全部なすりつけてぇ。ワシが食いたい肉を食えるよぉにさせてぇ。上の奴らみぃんな追い出してぇ。」
ぐりぐりと頭にのしかかる重さで頭が潰れそうだ。これがあの強靭な御御足に踏みつけられていることくらい分かる。今日は刺されていないだけいつもよりマシだ。
「もう少しでワシの欲しいもんがワシのもんになる。」
グッと洩れそうになる声を抑える。何がこのお方の気に触るかわからない。命が欲しければ黙るしかない。
「ラルカルトは使えるかぁ?」
自分の耳もとにぞわりと息が吹きかけられる。あの黒々とした体躯に浮かぶ白い捕食者の牙がすぐそばにあると思うだけで震えが止まらなかった。
「か、必ず、やっあなた様、の!思うままに!!」
なら良い、と満足げに離れていく気配に安堵が止まらない。
「この国の何をどうしても良いぃ。あの小娘はココに居させろ。」
はっ、必ずやあなた様のために!叫ぶように言って急いで這いつくばるように部屋から出た。大きく何度も呼吸をしてようやく震える足を立たせた。
ポタリと足元に落ちる赤黒い液体を見て自分の耳が欠けていることに気がつく。ギリっと歯を食いしばってもあの恐怖が拭えるわけじゃない。
幼き頃から皇帝様も皇弟様も見ていたが兄弟とは思えないほどに異質だった。互いに血を分けた兄弟とは思えないほど、皇弟の方は血を求めていた。そして何よりも狂っていた。
前后妃様は中々子を授かることが出来ず、皇帝様と皇弟様は16も歳が離れていて殆ど触れ合うこともなく育った。そのせいだろうか、互いのことに関心がないようだった。
いや、皇帝様は事あるごとに繋がりを求めていたが揺らめく海藻のごとくに皇弟様は全てを流した。本来ならば年の順で皇帝になることができなかった皇弟が兄を恨むこともあろう。だが皇弟様はただ無関心だった。
けれど父君である前皇帝様はそんな弟の方も受け入れ、どんな行動をも否定することはなかった。海龍狩りの遠征に皇弟の立場でありながらも向かうことに許可を出し、知力よりも武力をあげて行くことも厭わなかった。
今となってはそれが間違いであったとしか思えない。自分よりも強き者を刻む喜びを教えてしまったのだから。
十五年前のあの日、国中がニンゲンに蹂躙されたあの日、その渦潮に巻き込まれた前皇帝様も前神子様も、皇江の中で骸となって見つかった。后妃様はその前年にすでに病で亡くなっていた。
現皇帝様のお后様は四つになる子を抱いておったのだが何故かその日、皇江外の道端で1人息絶えていた。その死体はあまりにも酷く、生きたまま皮を剥ぐように命を削られ身体は欠けており、辱められたようだと国の検医は言っていた。
そして引き裂かれた腹からは無理やり引き出されたのだろう、まだ温かい2人目のお子様が息耐えていた。それは人の形をしていなかったという。
現皇帝様の血を継いでいたのはそのお子様2人だけだった。子を抱いていたはずのお后の腕には誰もおらず、おそらくどこかに連れ去られたか…これら全てを皇弟様がやったのならあるいは…。もっとも、十五年も経てば生きてないことくらい誰でもわかる。
それから2日後、皇江の外にいた皇帝様はニンゲンに追い立てられ、夜の海に飛び込んだと言う。ジジイはあの日に怪我を負ってしまったせいで皇帝様に何があったか聞きづてにしか知らぬ。皇帝様は飛び込む前に怪我を負っていたと聞いている。骸は見つかってはいないがおそらくは…。
その時には自分と同じ立場の左腕の友がいたはず。あの戦友が皇帝様を一人置いて逃げるはずがない。友もきっと皇帝様と共に海の泡になったのだろう。
あの一晩で何もかも変わった。この国の未来は全部、あの晩に無くなった。
さっきの鋭く粘着く瞳を思い出す。体の奥底が震えた。例え神に背いてもあの神子の小娘を1人差し出せば悪魔が大人しくなるならばラルカルトは差し出してしまおう。
皇弟は何故かあくまで皇帝の代理としており、目前にある皇帝の席には座ろうとしない。皇帝は生きているが病気の療養という建前を見習い共の言霊を使ってでも国民に信じさせ、自らは決して前に出てこようとはしない。国に立つ者がそのような暴挙、許されるはずはどこにもない。
しかしラルカルトにはその指示をしたのが皇弟には思えなかった。そんな細かいことをあのお方が考えるように思えない。
それに最近皇弟の側近として居るジェーンドゥと名乗る女。何か良くないものがこの国に入り込んできて居る。だが現実は誰も何も言えない。そんな怖いもの知らずは自らも家族もその晩で骸に変わった。
皇弟は悪魔だ。悪魔は刺激ぜずにひっそりと城の奥深くに封印するに限る。
もう一度、どうか皇帝様、どこかに生きてはおりませんでしょうか。あなたは何か秀でたものがあるわけでも無いが安寧の世には相応しい王でした。あなたがいたから平和でした。
私は、どうしてこのジジイが、この国の終わりを見なくてはなりませんか。私が何をしたというのですか。
ラルカルトは歯を食いしばってヨタヨタとおぼつかない足取りのまま、自室に向かった。




