第14番 小さなお魚の冒険
皇江から最後に出たのはいつだったでしょうか。それどころか御付きも無しでたった1人で宮外に出てしまったことに罪悪感が湧きます。
それでも感じたことのない胸の高鳴りに、私は前を見ることしかできません。お叱りは帰ってからいくらでも受けます。なので今は目の前の世界を見つめたいのです。
街中の中央水路を海龍さまが優雅に泳ぎ進みます。水路の端から端までありそうな海龍さまの体はきっと空から見ればもっと優雅で美しく見えるのでしょう。身体を覆おう数多の鱗は深く青く透き通っています。それが水面でキラキラと輝いているのですから美しくないはずがありません。
もちろん街中を通る人は沢山います。皆例外なく私達を見れば悲鳴をあげて逃げて行くのですけれど。
皆様を怖がらせてしまったみたいで申し訳ないのです。でもこの大きさの海龍さまが通れる場所がここしかなかったのです。優しい子なのでどうか見守ってくれていると嬉しいのです。
そんな事を思ったところで言葉にしなければ伝わることは出来ません。意味はないかもしれませんがせめてもと心の中でひたすらに謝罪し続けました。
ですがそれより問題なのはこの中央水路の使用申請を当たり前ですが出していない事なのです。もしも今、前から何か大型船が来てしまえば誰かが怪我をしてしまうでしょう。どうにかして早く広い場所に出なければ。
急に体がガクンと傾いて慌てて海龍さまに掴まります。どうしたのでしょうか。長い首を目一杯持ち上げて周りをキョロキョロとしているようなのです。
(どうかしましたか?)
首元を撫でながら頭で語りかけても声が届くはずがありません。先ほどまで痛いほどに響いていた海龍さまのお声も今は感じませんし、私は思念魔法もへたっぴです。海龍さまと思念魔法で会話ができるのかは分かりませんが。
しかしこのままでは意思疎通がなかなか出来ません。本当にどうしましょう。
私が考えている間にも海龍さまは大きな体で水路から上がり、どこかに向かって歩いて行きます。元々水路を大きく進んで町外れまで来ていましたのにこのままでは水路のない森に入ってしまいます。
昔に海里の授業で宮周辺の地図は習ったはずですが…ダメなのです。思い出せません。こっそり寝なければよかったのです。
もしや海まで行けるのではないかと少し期待していたのですが、森の中で終わりかもしれません。本物の海の中で泳げるかと楽しみにしていたのにほんの少しがっかりなのです。
海龍さまは暫くの間大きな体を重たそうに歩いていましたが、ようやく立ち止まった先は…崖ですか?
体を乗り出して崖の下を覗こうとしますが遠くてよく見えません。
海龍さまは立ち止まったまま体をくねらせはしました。背に乗っているとかなり激しいのですが、何か体調でも悪いのでしょうか。
心配になって来ていよいよ声を出そうかとした時、大きな風とバサリと大きな音が耳を掠めました。
急に日陰になった上を見上げて思わず感嘆の声が漏れ出てしまいました。海龍さまの体のどこに仕舞われていったのでしょう。海龍さまの大きな体もすっぽりと入れてしまいそうに大きな大きな、まるでおとぎ話の人魚の鰭のように美しく透けた翼が広げられていたのです。
声が出せないので私は両手を叩いて喜びました。なんでしょうこれは。どうしてこんなにも心がワクワクするのでしょう!!
そこで気が付いたのですが、崖の縁に翼ということは…もしかして…?
海龍さまは大きく咆哮を上げるとそのまま崖に走って行きます。ちょうどそのあたりで後ろから、神子様〜!!!と幾つもの叫ぶ声が聞こえた気がしましたが残念ながら全て海龍さまの咆哮に消されてしまったのです。
そうして私たちは崖下に飛び込みました。落ちるかと思ったのですがガクンと衝撃があった後はふわりと体の中が浮くような不思議な感覚なのです。
思わず目を閉じていましたが恐る恐る強い風の中で開けてみました。これは…これが…!一面に大きな大きな、私が夢にまで見ていた、誰もいない、これが…海なのです。自由な海がそこにあるのです!
「うわぁぁ…!すごい…すごいのです。すごいのです!!」
耳を切る風の音が大きくて自分にも声は届きません。声を発しているのかどうかもよく分からないのです。
でも、ああ、なんて気持ちが良いのでしょう!飛ぶというよりも滑空に近い形かもしれませんがどうでも良いのです。
どこまでも広く続く海に近づいて行くのです。後ろを見てみれば陸地があんなにも遠いのです。
魚人族は風魔法が水魔法の次に得意なものが多いのですが、浮遊が得意なものは少ないのです。
すぐに連れ戻されると思っていましたが、もう少しだけ自由で居られるかもしれません。そんな希望が今は嬉しいのです。
永遠に感じた滑空は大きな飛沫をあげて終わりました。なんだか耳の中が変な気がします。でも楽しくて、私はなんだか笑ってしまいました。生まれて初めて声をあげて笑った気がします。
私はワクワクしているのでしょうか、期待しているのでしょうか、よくわかりません。よく分からない初めて知る高揚が体の奥底から全身に巡って、体がとても熱いのです。
海龍さまは何にも気にすることもなく海鳥のように優雅に進みます。そういえば流れ出る体液も痛々しい傷口も見当たりません。皇江での出来事は夢だったのでしょうか。
そんなはずないのにそう信じられるほどに何事もなく進んでゆきます。どこに向かっているのかはわかりませんが、できる限り長い時間をここで過ごしたいのです。
海龍さまの頭の上までよじ登って海を見渡しました。どこをみても青くて、どこまでも海なのです。これが夢にまで見ていた本物の海なのです。私は嬉しくて背中の上でくるくる回ります。
どれほどそうしていたのでしょう。陸が見えなくなって久しいころ、小さな水飛沫を聞きました。初めは何か海獣の類かと思ったのですがテンポ良く何回も水飛沫の音がします。
その音に海龍さまも気が付いたのか、そちらの方向に進み始めます。音の主にだいぶ近づいたでしょうか。少し間音が止んだ後、目の前に勢いよく太陽のような人魚が飛び跳ねました。
夕焼けの長い髪を綺麗に弧を描かせて、彼女は美しく水面に飛び込みました。何度も何度も、今まで見たどの人魚の舞よりも、それは美しかったのです。
何度も繰り返して満足したのか美しい人魚様は水面に顔を出して一息つきました。
「…ん?」
その黄金色の瞳と目が合ったとき、私はアサヒに初めて出会ったのです。




