第9番 人間行進曲
神子様と呼ばれて、現実の世界に引き戻されて、今日の私が始まります。
目が覚めた私にいつも通り記録係の女官が夢を見たか質問をします。そして私もいつも通り頭を横に振ります。
昨日の陸の神子様とまた夢の中で会えなかったことに、ほんの少し気分が落ちてしまいます。
それにしても今まで私に神様から夢のお告げがあった事はありません。私が神子に選ばれてから11年。私が生まれる少し前に他大陸からの大規模な誘拐事件が起きて以来、夢見があるほどの大きな事件は起きていないのです。
なのでたまには1人で寝かせていただいても良いのではないかと思ってしまう私は、神子失格でしょうか。
朝はまず禊の水浴びなのです。皇江の中でも一番下のお部屋の更に奥の岩に囲まれた水場。昨日の私を落とし今日の私に変わる意味合いがあるのだそうです。
禊着に着替えて冷たい水に足先からゆっくりと浸かっていきます。何人かの御付きの者が禊場の外で待機しているのでここにいるのは私だけなのです。
私は一日の中でこの時間が一番好きです。頭の先まで水に浸かるとくるんと自分の体を抱き抱えるように水の中で回ります。
夢の中での私がいる空間がここと似ているのはきっと、ここが私にとって一番休まる場所だからでしょう。水の中なのにここでは息ができるのです。
けれど禊の時間はそんなに長くはありません。時間が来て私はまた息のできないお外に行くのです。
神子と言っても私の仕事はそんなにありません。神子としての教養を学ぶ他は一日に一度、陸の結界を強化するための歌を歌うくらいです。一日の中で私が唯一声を発する時間。この時間になると毎日声の出し方を忘れていないか不安になります。
今日も皇江の頂上、一番上のお部屋に1人で入ります。そこには私が両手を広げても抱えられないくらい、国一番の大きさの魔石があるのです。この魔石は国中にある魔石と繋がっているので私のお声を陸中に届けることができるのです。
もう少しで時間が来ます。昨日のお姉さまの言葉が頭の中を回ります。
「下手な歌の練習でもなさったらいかがかしら。」
頭を振ります。私が下手なことは事実です。お姉さまのいうことも尤もです。でも、昨晩は陸の神子様…サーシャ様に私の声は素敵だと褒めていただきました。それを思い出すだけで頬が勝手に上がってとても胸が熱くなります。それだけでとても嬉しかったのです。
昔は私たちも仲のよい姉妹だったはずです。どこで、私たちはこうなってしまったのでしょうか。
『みんな、起きて…起きてよ…なんで…ねぇね…みんな…誰か…』
歌を始める合図の鐘の音で現実に意識が戻ります。いけない、私は公務の途中なのです。しっかりしないと。私には昔のことを思い出している暇なんてないのです。
私は大きく息を吸って声を出します。今日もしっかりと歌の旋律を間違えなければ。どうか、今日もうまく歌えませんように。
街中に神子の歌が響く。ああ、もうそんな時間なのか。昨晩女をあの洞窟に放置して帰ってから半日ほどが経っただろうか。
1人で帰って来た俺を見てキツネたちは怪訝な顔をしていたが、俺の説明を聞いて納得したらしくそこからは何も言わない。ただ目が覚めたサーシャだけが少し寂しそうにしていた。
「数日だけだ、会いたくなったら話はさせてやるからな?」
とは言ったものの、何度も頻繁にというのは少しリスクが高すぎるんだよな。まぁあの女が大人しくしてくれるかも賭けだし、何とか早いうちに勝負を決めるべきだな。
「いやはや大変長らくお待たせいたしまして申しわけございませんな。こう見えてこのジジイは多忙の身でして。それでマイラスどの、どうしても秘密裏にさせてほしい話があるというのは何事ですかな?そろそろお帰りになる頃合いだと思っておりましたのに。」
ああ、本当に長く待たされたよ。と出かけた言葉を飲み込んで俺は目の前の案内係のジジイに向き直る。
澄ました顔だがその目はこの部屋から早く出て行きたいんだよと物語っている。昨日の方がまだ敬意を持った態度をしていたというのに今日はもう本音を隠すのも面倒なのか。言葉も嫌味万歳だし。
だが残念だな。さっさと帰って欲しいんだろうが…俺らはまだまだ滞在させていただく。
俺は難しい顔をして酷く困ったように切り出した。
「実はですね…昨晩からうちの者が1人…帰って来ないのです。今朝方から仲間と探させていただいたのでのですが…見つけることができず…黙って長時間出かけるような者ではありませんし、昨晩も少し散歩に出てくると…すぐに帰ってくる口ぶりでした。」
さぁ、この話にジジイはどう出る。
ちらりと目線だけ上げてジジイの表情を探る。…うまく表情が読めんな。多分複雑なのか…困惑、怒り、…いや、恐怖か?
「…そして何より困っているのが…その者はうちの神子様が一番心を許している付き人なのです。朝から姿を見せないことで、すでに不安定になっております。女人とはいえ付き人ですのでそれなりの心得を持つものです。恐らく無事ではあると思うのですが…このままうちの神子様の機嫌を損ね続けてしまうと…うちの神子様はまだ力が不安定にございますので…その…この第二大陸に何が起きるか…」
そこまで聞いたジジイは流石に真っ青な顔をした。よし、いける。
「勿論こちらの者不手際ですので、そのようなことが起こらぬよう精一杯手を尽くさせていただきます。ですが…なにぶん他大陸のことはあまり慣れておりませんので、少しでもお力添えをいただけると幸いかと…」
ジジイは何も言わずに頭を抱えてその場に座り込んだ。いや、腐っても客人の前だぞ?なんか言えよ。
「なんて…ことに…グっ…面倒なこと…」
なんか言えとは思ったが堂々と言うなそんなもん。聞こえてんぞ。
「…かしこまりました。そのような事態になってしまったこと、直ちに力添えをさせていただきます。できる限りの情報を集めさせますのでどうか騒がず、そちら様の神子様を、落ち着かせることを最優先に、お願いいたします。」
それでは、と飛び出すようにジジイは部屋から出て行った。こっちは下手なことをすんなってことだな、はいはいりょーかい…なんてするとでも思ったか?
俺はニヤリと笑って自分に濃い存在希薄をかけた。
頭が痛いぃ…昨日何してたんだっけ…よく思い出せないけど私はまだ洞窟のの中にいた。空いてる部屋をおじさんが貸してくれているみたい。そこにいつもの旅路のように広げたお泊まりセットの毛布に寝そべっている。
確かマイ君がここに来てくれて…うっ…なんでこんなに頭が痛いのぉ、と涙目でのたうち回っていると扉の向こうからおじさんが入って来ていいか聞いてきた。掠れた声でいいよぉ〜…というと呆れた声のおじさんが入ってきた。
「嬢ちゃん大丈夫かい?にしてもあんくらいの酒で二日酔いたァ、まだまだ嬢ちゃんってことだなァ。」
ガハハと笑う声が頭に響く。体調が悪くなったことなんてないから、こんなにしんどいなんて思わなかった…もし今後誰かが体調悪くなったらちゃんとフォローしてあげよ…
おじさんは笑いながら水と何か水色の小瓶をくれた。
「嬢ちゃんのマイくんとやらがくれたやつだ。二日酔いにでもなってたら渡してやれってな。確かに嬢ちゃんの言う通りに優しいやつじゃな。」
また大声で笑うおじさんの手から涙目で小瓶を受け取った。マイ君ありがとお…。全力で感謝しながら瓶の中身を空ける。んぅぇえ…スッとして何だか変な味ぃ〜。でもちょっと楽になったかも。
私は受け取った水も飲み干すとその場にまた倒れ込んだ。動きたくない…
「…あれ?私なんでまだここにいるの?」
今更かい、とおじさんがため息をついた。マイ君が迎えに来てくれて…あー…待っても一少しで思い出せそう…
ぐぬぬ、と唸ったけどまた頭が痛くなってきそうだったので諦めた。また笑ったおじさんが私の横に座ったので話をしてくれるらしい。
「昨晩嬢ちゃんのマイくんが訪ねてきたのは覚えとるかい?」
…ギリギリその事実は覚えていたので親指を立てて肯定した。
「その後マイくんとやらとこの国の現状を話しておったのだが何か思いついたようでな。わしらに嬢ちゃんを預かるようにと頼まれたってことだ。」
ふーん、マイ君また何か考えついたんだろうな〜。マイ君のあの悪いことを思いついた時の悪い笑顔を思い出す。また誰かが犠牲になるのか。まだ見ぬ犠牲者に私は無言で敬意を表す。
そんな私におじさんは何故かずっとニヤニヤしてた。ニヤニヤニヤニヤ…
「な、何…デスカ…?」
ニヤニヤおじさんは覚えてないんじゃなぁ。と意味深なことを言うだけ。私の頭に浮かんだハテナはそのままに部屋から出ていった。何故か私の頭を撫でるだけ撫でて。
なんだったんだろう、と思っても覚えてないことはどうしようもないので諦めてその場に再度寝転んだ。ここに居ろって言われても暇だよなぁ〜。
マイ君が私にって置いてったマジックバックの中を探る。えっと、バックは二つあってこっちは中身全部食べ物と飲み物。もう片方は…着替えとかタオルとか細々としたお泊まりセットか。マイ君ちゃんとしてるなぁ。
感心しつつ中身を並べていると、一枚の紙が出てきた。走り書きみたいなメモみたいな…あ、私宛か。
[数日お前はここにいろ。おっさん達には話を通した。ここの連中以外には存在をバラすな。もし誰か来たら一緒に入れた存在希薄の陣を込めたローブでどうにかしろ。それでも見つかりそうなら海にでも飛び込め。お前なら大丈夫だろ。また連絡する。]
ふーん、ローブってこれかな。何だか岩色の可愛くないやつ。陣を刺繍してる糸が青緑色でそこはおしゃれだけど。
にしてもちゃんとメモを残すなんてマイ君律儀だね〜。ここにいることバレちゃだめなのかぁ。
本当に暇な数日になりそうでアサヒはとりあえず寝転んだままバタバタと手足を動かした。




