間話 とある王様だった母のお話
私は今妊っている。この子が普通の人間じゃないこと、私はもう知っている。
夫には話したけれど、それ以外の子供たちにも臣下の皆にも隠さなければ。
カナロムの木に不穏な兆しが訪れ、国が乱れ始めたこんな時に…あなたを宿してしまってごめんなさい。
あなたがどんな子でも私があなたを愛することだけはどうか許してほしい。
我が子が生まれた。カナロムの木が枯れ始めても原因のわからない今、私が国民のために行動できないのは国王として失格ね。それでも、あなたが生まれたことを心の底から祝福するわ。私の5人目の子供。3人目の娘。
名前は…サルジアナにしましょう。あの夕焼けのようにオレンジの小さな花びらを太陽に向けて目一杯に広げる花と同じ名前。可愛い可愛い私の娘。
ただの子供として生まれて来てくれれば良かったのに。どうしてこの子は神子として生まれてしまったの。
この子は国が壊れかけている今、必ずこの国のために使われてしまうでしょう。グズリア国に目をつけられてしまっているこの国に未来はないかもしれない。そんな国の王族に生まれてしまえばきっと…それだけは何としても阻止しなければ。
神子だろうと何だろうと私にとっては可愛い子供。この子には自由に生きてほしい。夫は国のために公表することを願った。
けれど私は…
我が子が生まれて14日目。霞む目を堪えて軋む体も無視して、私は友の家に向かった。私の固有魔法なら自分達を隠して国境を越えられる。たった数日だけあなたの母になれたこと、私は幸せだった。
夜遅くに雨に濡れながら1人で家に現れた私を、学友だった友は驚きつつも家に招こうとしてくれた。昔と変わらない、不安を溶かしてくれる可愛い笑顔。
嬉しかった。私が王の立場になってから会えていなかった友は、それでも変わらず私を友と呼んでくれたから。ありがとう。
そんな友に私はこんなにも残酷なお願いをしようとしている。
私は両腕で胸元に包み込むように抱きしめていた娘を差し出した。まだ弱く自分の力もない我が娘。この娘の秘密は私が生きている限り隠し続けるから。お願い、貴女にしか頼めないの。
私はなんて酷い人間なんでしょうか。そう言えば我が友が断るはずないのに。それを分かっていて、私は娘を託すのだから。
友に娘を渡す。
腕から温もりが消える。
嫌だ。
離したくない。
この子が大きくなるまで見守りたい。
私がこの娘の母でありたい。
一つの国の王である自分と、この娘の母である私は同じ場所にはいられない。
私がつけた名では生きてはいけないでしょう。だから、サルジアナという名は捨てて、友に新たな名を付けてくれるように頼んだ。
セラシィ、光という意味だったかしら。さすが私の親友。とっても素敵な名前ね。私は産んだだけの母。
どうか、幸せになってね。
私は友の静止を振り切るようにさらに重くなった体を引きずって自分の国に帰った。
カナロムの木は枯れた。私の国はグズリアに壊された。私の家族も臣下も国民も全部…全部…
グズリアの王は私に剣を握らせた。
グズリアの王は私に壊れろと命じた。
心も体も張り裂けそうだ。
目の前のグズリアの王をこの剣で殺すことができたなら、その力が私にあったなら。
でも私が今この子達を手にかけなければ、皆必ず恐ろしい目に遭うでしょう。
私を見た夫は優しく微笑んで目を閉じた。
それが残酷なことだと優しいあなたはきっとわからない。
ごめんなさい。私はきっと地獄に落ちるから。
だから、それまで一日でも長く…この地獄を生き抜かなければ。
最近よく昔の夢を見る。カナロムの木がまだ綺麗な赤を茂らせて、その下で友達と遊んだ平和な日々。あの頃はあれが幸せなんて知らなかった。それでも私にはその幸せの記憶があるから生きていられる。
今日も体が軋む。心も張り裂けそうに痛い。でも私の魔法をかけ続けていられる事実で娘が生きていることが分かる。
ああ、貴女はどんな子になったのでしょうね。時の流れがわからないから今あなたがいくつなのかもわからない。それでも、夢の中だけでもあなたの母でいさせてね。
愛してるわ。私の愛子。
もう、体が動かない。もう、ここが夢か現実かもわからない。体の痛みも心の痛みも感じない。光の感じない私の目じゃここがどこかもわからない。うまく聞こえないこの耳じゃ、誰が何をしているかもわからない。
苦しくて辛くて、生き汚いと罵られたけれど、私は死にたくない。思い出せないくらい酷いこともされた地獄の日々。でもそれも終わってしまうのね。
ああ、ごめんね。母は最後まであなたを隠してあげたかった。友にも迷惑がかかってしまうでしょう。それでも、それでもこう思うことだけは許して。
『ごめんなさい 愛してる』
お願い、どうかあなただけでも幸せになって。母からの最後の願い。
ここは、どこなのかしら
体の重さも痛みも苦しさも何も感じない。霧がかかったようにぼやけた世界で自分の声も響いていく。
ああ、ついに私も死んでしまったのね。ならここは地獄なのかしら。
よく見えない世界を手探りで進む。地獄がどんなものかはわからないけれど、それが家族を手にかけた私の罪。
突然、霧が一瞬晴れて眩しくなった。
目を閉じる寸前、死んだ母が微笑んだ顔が見えた気がした。
目を開けると、霧がかった世界じゃない。明るい朝のような世界。
私は最後に都合のいい夢を見ているのね。それでも良いわ。だってこんなにも涙が止まらないもの。
私の愛した夫が、両手を大きく広げて、あの優しい笑顔でこちらを見ている。
夢でもいい、幻覚でも、なんでも、私は彼の胸に飛び込んだ。大きい腕が私を包む。夢の中でも暖かいのね。あなたは昔から優しい太陽の匂いがする。
ずっとずっと、あなたに会いたかった。苦しかった、辛かった、そんな人生をあなたにも歩ませたことを、私は後悔してる。
それでもあなたと共に歩めたこと、私の幸せの一つなの。
私を包む腕がいくつも増えた気がした。周りを見渡すと4人の子供たちが私にしがみついて太陽みたいに笑ってくれている。
私が手にかけた子たちがこんなに幸せそうに笑ってくれるはずがない。なのに恨み一つない笑顔が私を包んでくれるなんて。
一緒に行こう
彼が私の手を取って、子供たちが一緒に足を踏み出してくれた。夢でいい、それでもいいから。
私は今、世界一幸せだったと言えるの。
ボロ雑巾のようになり辛うじて女性とわかる亡骸を2人の男が抱えるように泣き叫んでいた。
1人の男は自分の不甲斐なさと苦しみで張り裂けそうな顔をしている。もう1人は悲しみと怒りと恨みに染まっている。
こときれた女の亡骸だけが、小さく微笑んでいた。




