間話 とある男の人生
幼い頃から自分は秀才だと自覚していた。ある程度の魔法ならすぐに覚えたし、勉学も周りの者が何で悩んでいるのか理解に苦しむほどに簡単だった。
国外れの寂れた領地の子爵家に産まれた次男坊だったが長男は虚弱で両親も出世欲は低い。この家を率いて大きくするのは自分だと齢が十になる頃には思っていた。
そんな自分が一番得意だと自負していたのは人心掌握術。相手の目の動き、体の動き、それを読み取りながら相手の欲しい言葉を渡せば相手は簡単に心を開く。思い通りの行動をさせることも容易にできた。
自分は周りの人間の誰よりも好かれていることは分かっていた。だが自分自身は家族相手にすら好意を持つことはない。所詮皆が自分の足元にも及ばない虫ケラだった。
知能の低い奴らに囲まれている毎日は酷くつまらない。刺激なんて何もなく、このまま平坦な人生を生きることに辟易とした思いを抱えたまま生きていた。そのまま生きていくのだと思っていた。
私の人生を狂わせたのはたかが田舎国の女だった。リスタールでの学園生活も半ばが過ぎた年に出会った女。初めて私を見た時のあの緑の目を私は一生忘れることはないだろう。
第三大陸で一番歴史のある国だのなんだの言われているが実のところは大した資源の持たない小国。カナロムの木だか花の都だか知らないがそんな物が何になるというのか。それを目的にする観光客で成り立つような田舎に価値などない。
そんな田舎国の王家の一人娘が学院にいると聞いて最初は興味の一つもなかった。ただ自分の耳に届くほどの人望の噂を聞きつけて少しばかり遊んでやろうと思っただけ。いつかこの最大国家のリスタール国王も自分の手の内にしたいと思っていた程なのだ。ならば小国の世間知らずの小娘くらいどうとでもできると疑っていなかった。
他の人間の顔は今ではもう誰一人思い出せないのに、その女の顔は今でも覚えている。私の前では皆が楽しそうにしていた。皆が私を不敬にも信頼し、名前も知らぬ奴らは汚い口で私を親友と呼んだ。
なのにその女はそんな私が話しかけてやったのに、その瞬間に眉を顰めたのだ。此方は笑顔を崩していないはずだというのに、会話を試みようとすればするほどに女は顔を歪めていく。何様のつもりかと此方の顔が歪みそうになった時、この女は言い退けたのだ。
「…貴方は可哀想な人なのね。」
言葉を理解する前に女は顔をローブに隠して足早に立ち去って行った。意味がわからずただそこに立ち尽くす。
今まで見たどの魔石よりも瑞々しい緑の瞳で、ボサボサの枯れ草の髪を女のくせに一つに無造作に束ねて。化粧気も洒落気も無い、そこらの石ころと同じ田舎女が、ただ一言。今、あの女は、私を、憐れんだのか?
それがカナロム国代134代目国王となるストレリチア・ロムスタインだった。
そこから私のどこかにこの女はずっと巣食い続けた。私はそんなことを許可してなどいないのにこの女は、あの日のあの顔であの声であの表情であの瞳で、不躾にも私の中に居続けた。
何度話しかけようとしてもどう会話をしようとしても女は私と口を訊こうとしなかった。最初に見せた憐れむ瞳を向けてただ口を噤むのだ。それ以上も以下の事も何一つない。殆ど赤の他人でしか無い女。
学園で生活をした中で女と交わした記憶はそれのみ。それからさほど立たぬ内に父王が病に臥せったのだと言って勝手にあっさりと国に帰っていった女。それも数多の学生を引き連れて。
私の目の前から消えれば煩わしいものは何もなくなると思っていた。なのにこの女は病のように私を巣食うのだ。他のどんな女と遊び、褥を共にしようと頭の中にいる。どれだけ勉学に励み地位を高くして喧騒な毎日の中にいようと、奴は私の中に巣食う悪魔なのだ。奴はきっと悪魔なのだ。悪魔でないなら、何故私はこんなにも苦しめられていると言うのか。
リスタールの魔法学院を卒業してから何年が経ったのだろうか。私は学院時代に伝を作っていたグズリア国に目を付け、幼子を頂上に据えることに成功していた。
実の家族とは縁を切ったので今やどこで何をしているのかも知らない。あんな落ちこぼれの兄ではもう没落しているだろうが興味すら湧かない。
そんな些細な事はどうでも良いのだ。グズリア国の前国王を没させ幼子を王にさせた。自分のこの立場ならばこのまま無能な王として育てる事は容易だろう。他の王の血筋が残っていない今ならばコレが王座を追われる事はない。そのままこの国を使って他国にジワジワと入っていけば良いだけの話。
この世界で私以上に上に立つべき人間は居ないのだから。
四年に一度、リスタール国の国王共が一様に集まる第三大陸国連邦会議というものがある。私の国は国王が幼いが代替わりしたばかり。リスタール国が内乱で揉めている情報も手に入れる必要があるだろうと参加は必須であった。
その会議の日だ。国王の側仕えとしてその場に立つ私の前に、最近は掠れ始めていた悪魔の残像が現れた。間違いなどない。この私が間違える筈などないのだ。あの、何より輝く緑の瞳が私に向いた時に鮮明に脳裏に浮かんだのだ。
あの時のあの顔あの声あの瞳あの表情。
この悪魔の女は国王という立場にいた。人の上に立つにはあまりにお粗末な頭で、私を越えた人望を持って、あの女は私よりも上に居た。
そしてどこぞの知らぬ男と婚姻を結び子を孕み産んでいたのだ。
その事実が私の背の真ん中に電気を通らせた。何なのだ。何故私の中に巣食い続けた悪魔の女が、何故、何故…
吐き気に似た何かが込み上げてくる。何なのだ。何故この女は私の中で私の邪魔をする。
ずっと離れなかったあの女をようやく消しかけていたというのに、何故また私の中にいるのだ。会議を終えて日が経ち何をしていようと私の中から奴が消えない。
「おや、ふむ…失礼ですがカルカン様。何か悩み事ですかな?お顔がすぐれないようだ。」
そんな日々を過ごしていたある日。確かこの男は最近グズリア国で顔を効かせ始めた〈リーリ教〉とかいう気味の悪い宗教の司教をしている者。宗教など弱い者が時間と金を無駄に費やす物。そんな物に興味など湧きはしないが私の国の中で顔がでかいならば牽制する必要が出てくる。この私がわざわざ出てやり取りをしてやっているのだ。
この司教、見た目は若く見えるが実質はどれだけ調べさせても孤児である事以外は年齢も名前も何もわからない男。パッとしない見た目のくせに、のらりくらりとすり抜けて掴み所の無い気味の悪い男。
そんな奴に今まで誰にも気が付かれなかったこの胸の内側の病魔を一瞬で見抜かれたこと、普段ならばそれに腹立たしく思うだろう。なのにその時は珍しく自分でわかるほどに表情を変えてしまった。
「おや、やはり何かあるようですな。私もこう見えて司教という立場です。もしも何かがあるのでしたら…よろしければ我が教会にお越しくださると良いでしょう。」
「力になれるやもしれません。」と、そう言って帰った男。何故この私が胡散臭い場所に行かねばならぬのだ。そう思ったというのに数月後、私は月の無い真夜中にその教会に足を踏み入れていた。
真っ暗な人も寝静まるその時間。報を入れていたわけでも無いというのに、目の前で男は私が来るのを待っていたように座っていた。
「…お待ちしておりましたよ。カルカン様。ここでは皆が愛しい人を手に入れるのです。」
目を細めて手を広げて、まるで演説のように語る男。ここは失った者を取り戻せるという宗教だったか。私は無くした物に興味などない。そもそも愛しさなど感じた事ない。
「さあ、カルカン。お前は何を手に入れたいのだ。」
声が、言葉が、男の口から離れて私の頭の中を回り続ける。何故私はそれを不快に思わない。何故私は全てを話そうとしている。
「…カナロム国の、あの女を…ストレリチアを…ストレリチア・ロムスタインを…私のものにしたい。」
意識もせずに出たその言葉。暗い教会の中、自分の手のひらすら見えないその場所で、その男は気味悪く笑っていた。
なんなのだ、オレンジの髪のあの女はなんなのだ。神子の力などと不要の長物を持つあの小娘もだ。
もうすぐだった。もうすぐで私の理想全てが手に入るはずだったというのに。たった一晩で無に期した。もうすぐで完璧な私だけのストレリチアが手に入るはずだった。もうすぐで理想のストレリチアを私の物にするはずだった!
こうなってしまったのなら全てをあの愚王に擦りつけて逃げるしかあるまい。私ならば何処でもまた這い上がってみせる。ストレリチアの入れ物になる子が生きているなら問題ない。その子を使ってまた新たな入れ物を作り出しても良い。
数年前に死んだストレリチアは私のストレリチアでは無かった。あれだけ苦労してカナロム国を潰しても、心を壊して私だけの物にしようとしても、あの女はいつまで経っても私の物にならなかった。
ならばとあの女に私との血筋を残させてやろうとしたというのに最後まで孕みもしなかった。この私に苦労させたというのに何とも無様な死に際だった。手足は腐り、片目を失い、人としての姿形を成していない精神を壊した女。
私がそこまでしてやったというのに、最後の最後まで私に不躾で不愉快な眼を向けた女だった。そんな奴はいらない。
私に巣食う悪魔はもっと美しい絶対的な者なのだ。あれは私のストレリチアではない。
「おや、無様ですな。カルカン様。」
地面で縛られて這いつくばっている自分の上からよく知っている声が降る。リーリ教の司祭が何故こんな場所にいる。いや、今はそんな事どうでも良い。
「ちょうど良い、司教。今夜の作戦は全て失敗になった。一度引いて立て直し…グッ…っ⁈」
どうにか上に向けようとした顔が何かに押さえつけられて地面にめり込む音がする。冷や汗が滲む痛みと共に何かが耳元でブチブチと切れていく。
「おや、失敗?立て直す?そんなの有り得ませんね。二度目などお前にあるわけがないだろう。」
耳鳴りが響く頭で司教が私を踏み締めている事がようやく理解できた。しかし地面にめり込む顔では何かを言葉にする事はできず、ばたつかせる手足も縛られており碌な動きにはならない。
何年経っても変わらない顔の若い男は笑いとも呆れとも取れる妙な空気を滲ませた声を出す。
「お前、もういらないってさ。バイバイ♡」
身体の内側が熱い。何かが身体の中央から全身に広がって呼吸すらできないほどに膨れ上がっていく。なんだ、なんなのだ。これはなんなのだ!!!
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!!」
私の人生は何だったのか。
司教と呼ばれる若い男は、手元も見えぬ暗闇の中で笑っているように見えた。
部屋の中央から広がる赤い水たまり。それを踏み締めても和かな表情を変えず、若い男はその場に立っていた。
「おや、今回もダメでしたね。そろそろあのお方が目覚める頃合いだろうに怒られちゃいます。」
独り言なのか誰かと話をしているのか。その男は空気を揺らめかせ、陽炎のようにその場から消えていく。
その部屋にはただ、可哀想な男だった物が赤く血溜まりを作るのみだった。




