第55話 第三大陸最高神ガイア様
目を覚ますと自分が寝泊まりしている部屋だった。起き上がることもなく記憶を遡る。確か、あのまま木の近くで寝たのか。日付も越えて太陽も昇って…くそっ、魔力の使い過ぎで頭がぼうっとする。体は子供の方になっているな、まぁあんだけ魔力がなくなったら大人の姿を維持するのは無謀だ。
ぼんやりしたまま隣に目をやると窓から外を眺めている女がいた。ふんわりと風を受けてたなびくオレンジの髪も、月の光に照らされた横顔も、何故か綺麗に見えた。
「あ、マイくん起きた?」
跳ねた鼓動は無視して起き上がる。俺がこんなバカ女にそんなことを思うはずはない。
「お前こそ起きて大丈夫なのかよ。」
俺自身は起き上がるとまだ微かに体が怠いくらいでそれほど影響はなさそうだ。
私は元気ぃ〜とどこか腹の立つ顔で何故か力瘤のポーズをしている。やっぱこいつはアホだ。
「そういえばサーシャはどこ行ったんだ?」
いつもは隣のベッドで寝ているのだが夜も更けているのにどこにも姿が見えない。そのことを指摘しただけなのに妙に残念そうな顔になった。
「サーシャちゃんは友達の所にお泊まりに行っちゃった…」と見た目も声もかなり残念そうにしている。
この間の祭りの時もそのことで俺に絡みに来てたもんな、とサーシャへの執心度合いに軽く引く。
「あのくらいの歳の頃は友達と遊ぶのが楽しい時期だろ。見守ってやれよ。」
とため息混じりに言えば「わかってるけど〜」とガキのように駄々を捏ねている。これじゃどっちがガキかわかったもんじゃないな。自分の小さな手を見て思う。
「そいやお前、サーシャがいないならなんで部屋にいるんだ?…まさか俺を見てたわけじゃないよな…」
体を抱き込むようにベッドの端に逃げる。いつも暇な夜にはこいつは外で動いている。体を止めれば死んでしまうこの女が睡眠以外で止まるとすれば小さい子の観察時くらいなものだ。
「ち、違うよ!いや、み、見てないわけでも…確かにほっぺたかわいいなぁ〜とかは思ったけど、で、でも触ってないし?」
誰が見てもあたふたしながら目が泳いでいる。なんだこいつ、マジで部屋分けた方がいいかもしれん。この小さい体に貞操の危機を感じる。
「そうじゃなくて!」
立ち上がってウザったらしくわやわや動かしていた両腕を勢いよく下ろす。なんでこいつは全ての動きが鬱陶しいんだ。しゃべっていても黙っていてもとりあえずうるさい。
「マイくんに着いて来てほしいところがあるの。今の時間じゃないと多分会ってくれない人のところ。」
こんな深夜にしか会ってくれない?記憶を探ってもそれらしき人を思い浮かべられない。俺も知っている人か?近くに住んでる奴か?
何を聞いてもどこか口篭った様子で歯切れが悪い。まぁ俺も変な時間に寝たせいで目が冴えてるし、第一こいつの行動に意味を考えても無駄か。
取り敢えず大人の姿になって身支度を整える。俺が着いていく気があるのが分かったからか変に安心した顔で女も立ち上がる。
部屋を出て廊下に顔を出すとぼんやりと魔光石の光が地面を照らしている。ただそれとは別に階段下の食堂部分から光が漏れている。月の位置からしてだいぶ夜更けだがこんな時間に起きているヤツがいるのか?
下からはカチャカチャと何かを片付けるような音がする。ああ、マーテル氏か。あの妙に圧のあるマダム。
正直なんとなく苦手な部類の人間なんだよな。なんというか…いい人なんだが勝てる気がしないタイプの人。
食堂はさっさと抜けてお目当ての人のところに向かおう。そう思ったのだが目の前の女は迷いなくマーテル氏のところに足を進めた。なんだ?腹でも減ったのか?
女に続いて食堂を覗くとマーテル氏は手を止めてこちらに向いていた。優しく微笑んだその顔は全て分かってる、と、そんなふうに言われている気がして居心地が悪い。何故かその顔が忘れたはずの母に面影が重なる。
俺にそんなものはいないのに。
「マーテルさん。」
この不思議な空間に俺は声を出すことも動くことも出来ない。
なのに女は戸惑う事も無く一歩前に足を踏み出す。マーテル氏と向き合う形で、真っ直ぐに、迷いなく、言った。
「貴女は、ガイア様ですね。」
その応えだと言わんばかりにマーテル氏は優しく微笑んだ。
空気が歪んで重い水の中に居るような、不思議で何故か居心地のいい場所。どこか分からないこの空間に俺は、ようやく帰って来れたと、そう思った。
次に目を開けたときには食堂の風景は消えて真っ赤な暖炉が爆ぜる暖かい家の中だった。見たこともない他人の部屋なのに落ち着いてしまう事が妙でただ困惑する。
「あなたもお座りなさい。聞きたいことが沢山あるのでしょう。」
気がついたら場面を勝手に切り替えられたように、俺も女も暖炉前の椅子に腰掛けていた。その手の中には温かいミルクの入ったカップが握らされている。
あまりに状況が飲み込めない俺は周りを無闇に見渡していたのだが、女は何故か冷静だ。一瞬コイツもグルで騙してるんじゃないかと疑ったがそんな器用な奴じゃないかとすぐに思い直す。
今だに困惑している俺は置いて、こちらに背中を向けて何かの作業をしているガイア様だという女性に女が話しかけ始めた。
「初めて会った日、あなたは私がおんぶしてたサーシャちゃんの存在に気がついてた。私とマイ君の分以外にお寝坊さんにって別の食べ物を用意してくれた。ロゼちゃんも背負ってたサーシャちゃんの存在に気がついてたし、分かる人には分かるのかなって思ってたけど…なにか引っかかる気がしたて。」
何を語り出すのかと思えば…ノットシーに初めて来た日のことか?そんな日にこいつは引っかかりを覚えていたのか。
普段は教えた事全部忘れるくせに、俺ですら思い出さないと忘れてしまったようなことを覚えていたなんて。何となくイラっとしても仕方がないだろ。
とはいえ、目の前のこの女性がただの人間でないことは俺の中の何かが認め始めていた。
「そして、思い返して気がついた。あなたはサーシャちゃんに会ったことがない。サーシャちゃんが眠っている時は会うのに、サーシャちゃんが起きてる時は買い出しに行っていたり、またサーシャちゃんが眠り始めたり。グズリアからここに帰って来てからあなたに会えたのはほんの少し。全部サーシャちゃんがいない時だった。」
一息ついた女は手元のミルクを一口啜る。これ飲んで大丈夫なのか?飲んだ女は美味しそうな顔をしたので大丈夫ではあるらしい。
俺も一口啜るとミルクと何かの優しい甘さが広がった。
「グズリアで私が困ってたとき、あなたはタイミングよく現れてくれたし聞きたいことも教えてくれた。最初は街に買い出しに来てるときにたまたま出会ったのかと思ったけど…あまりにもタイミングが良すぎるよね。」
…は?いつだ?いつグズリアでマーテル氏に会ったんだ?
聞けば「マイ君が気絶してるときだよ」ってあっけらかんとしている。そういうことは教えろよアホ。
「…そして最後に私が確証を持ったこと。」
そうやってゴソゴソとポケットから何かを取り出す。手のひらサイズの干果物が二つ、油紙の上に乗っている。
これは…グズリアに発つときにマーテル氏から貰ったものか。確か最初は三つあったはず。そういえば最初に渡されてからずっとコイツが持っていたのか。
「この木の実、これがきっとカナロムの木の実…なんですよね。だって私が花祭りで十日も回ってた後に足元からカナロムの木が生えてきて、ポケットに入れてた実がなくなった。カナロムの実って本当にあるのか分からない御伽噺レベルの代物だってマイくんが言ってたし、そんな木の実を持っている人はきっと、ガイア様ぐらいしかいない…ですよね?」
待て、待ってくれ。ここ数日で俺は衝撃を何回受ければいい。いや、その中でも1番の衝撃だが…はぁ⁈カナロムの実⁈これが⁈
一度深呼吸をするが全く落ち着けそうにない。カナロムの実だなんて、そんなもん、神聖魔道具とか宝魔道具とか比べ物にならん。神話級か?…いや、この世界に価値を測れるもんがあるとは思えん。
とにかくそんなヤバいものをただの油紙に包んでポケットに入れていただけのこの女が信じられない。
そんなこちらのことはお構いなしか聞いていないのか。ガイア様はこちらを向くこともなく何か抱えるサイズの布の塊…あれは、おくるみ…か?それを至極大事そうに抱えている。嬉しそうに愛おしそうにゆらゆらと寝かしつけるように。
しばらくの間暖炉の弾ける音だけが響いた。女も無言の空間が居心地が悪いのかモゾモゾとしている。
「この子たちは…今日生まれてくることが出来なかった子…。愛しい私の子供たち。また生まれてくることができるように、明日の命に生まれ変われるように、いい夢を見られるように…。」
いきなり話し始めたガイア様に驚いて少し体が撥ねる。言っていることは分からないがガイア様の声は優しく、眠気を誘うものだった。まるで母の腕の中で聞く子守唄。俺は無力で何も出来ない赤児になった気がする。
こちらを振り向いたガイア様は腕の中のおくるみに話しかけるように小さな歌を歌っている。それはこの国の子守唄だった。
微笑んだガイア様がこちらを向いた途端、女が勢いよく立ち上がった。手に持っていたカップは地面に放り出されたのにそれが音を立てることはなかった。
そのままガイア様の元にふらふらと足を進める様子に慌てて声をかけたが何も聞こえてないようだ。ただ一言掠れた声を発しただけ。
「ゆり…せんせ…い…?」
ユリ…先生…?誰のことだ?だが女はそれだけ言って地面に崩れるように泣き始めた。困惑する気持ちを押し殺しながら女に近づく。
サーシャが蜘蛛の森に落ちて来た日、この女はもう二度と会えない人の夢を見たと言った。何故かは分からないが目の前のガイア様がその会えない愛しい人に見えているのだろうと察しはついた。
ガイア様の伝説の一つ、ガイア様は自分が思う母に見える、というのは有名な話だからな。
「そう。その人が、あなたにとっての母親なのね。」
俺の目にはガイア様の姿は普通の女性に見えた。いや、普通というより姿が定まらない。体型も顔も年齢も、印象が何ひとつ定まらない。ガイア様を見つめるほどに酷い不安定さに襲われる。
「私はその人が想う母親の姿に見えてしまう。…あなたには、私が誰に見えているのかしら。」
こちらを見てガイア様が微笑んでいるのはわかるのに顔が分からない。おかげさまで俺には誰も見えませんよ、と嫌味のひとつも溢したくなった。
「ふふ、ごめんなさいね。少し意地悪したわ。親というものは自分の子供を揶揄ったりしたくなるものよ。許してちょうだい。」
誰が親だ、と言いたいがこの目の前の神は母神。全ての生き物の母である。あながち間違いではないか。
「私達は直接手を出してはいけない。…可愛い我が子たちが苦しんでいようと何も出来ない。それは、存外に苦しいものなのよ。」
微笑んだガイア様の腕の中には何も入っていないのに何かの形を保ったおくるみが抱えられている。
「今の私の体の子はね、家族皆、先の戦争で失って壊れていた所を拾ったの。魂も心も体も朽ち始めていた。だからほんの少し借りたの。もう一度息が吸えるようになる日まで。…でも、もうそろそろ大丈夫ね。この子はもう自分の足で歩けるわ。」
この体の子、というのは…マーテル氏のことか?マーテル氏の身体は存在する人間なのか。神というのは色々と規格外の生き物だ。俺ら人間の枠に嵌めてはいけない。
「大丈夫、今までの記憶もこの子にあげるしこの子の性格も同じ。ただ私は外を見るために体を借りていただけ。もうそろそろお暇させて貰うわ。だから、私がここにいた事を、皆んなには内緒にしていてね。」
そう微笑むガイア様の威厳に俺は一度だけ首を振ることが精一杯だった。
「もう夜が明ける。あなたたちも帰りなさい。母はいつも見ているわ。」
おくるみを最初に置いていた揺籠のような物に寝かせると、ゆっくりと俺らの元に近づいてくる。神のオーラというものはこんなにも凄いのか。俺は瞬き一つも満足にできない。
ガイア様はゆっくりとした動作で今だに地面で震える女の肩に手を置いた。
「一緒に、居てあげられなくてごめんなさい。…朝日、あなたに光がありますように。」
その言葉を聞いて女はもう一度身体を震わせて前を見た。涙に濡れた瞳が金に輝いている。
「…ゆり先生、…大好き、だよ。」
アサヒという人物にとって、このユリ先生という人がどんな存在なのか俺には分からない。それでも触れれば傷が付きそうで、聞くことは躊躇われた。
「…おやすみなさい。いい夢をみれますように。」
ガイア様が優しい声で子守唄を歌い出したところで俺の意識はあっさりと落ちていった。
覚えていないのに、暖かくて、優しくて、幸せな夢を見た気がした。




