第45話 あたしのせいなの?
「まだ話せないならそれでもいい、思い出すのも辛いだろう。それでも…少しでいいから何があったのか教えてくれないか?」
目の前の幼い少女に聞くにはかなり酷な内容だろうことは承知している。
以前に蜘蛛の森でサーシャが目覚めてから日を経たずに聞いた時は、真っ青な顔でその場で嘔吐したほどだ。
そのまま泣きじゃくるサーシャの声に気がついた女がすごいスピードで帰ってきて「サーシャちゃんいじめた⁈」とかなり責められたのは記憶に新しい。
それでも時間のない今はほんの少しでも情報が欲しい。
今回はサーシャを抱きかかえるように後ろに女を配置した。その女に頭を撫でさせつつ、手には不死鳥の卵を握らせている。
精神安定のように直接関与する魔法は神子のサーシャには効きずらい。一応今もかけてみているが殆ど意味をなしていない。なので現状これ以上の対策しようがなかった。
サーシャの顔をチラリと覗くと少し青ざめてはいるが以前とは違っていて落ち着いている。そのことにまず安堵した。
「…あのね、覚えてないことも多くて…それでも、いい?」
何度も深呼吸を繰り返すサーシャにゆっくり大きく頷いて見せる。ここからはサーシャが語ったことだ。
サーシャは二年前までリスタールの商家の三番目の娘だった。父、母、兄、姉とサーシャの5人家族。幼いサーシャには自分の家の商家としての大きさはよくわからなかったようだが暮らしぶりから察するにそれなりに大きい家柄だったのだろう。
リスタール前国王がやらかした国王選定内戦を越えて傾くことのなかった手腕を思えばかなりの商家だったようだ。
「お父さんは大きくて優しくて、お仕事の時に話しかけちゃうと厳しいけど大きい手でいつも撫でてくれたの。お母さんは怒ると怖いけど悲しいことがあるといつもぎゅうって抱きしめてくれるの。あったかくていい匂いがして大好き。あのねお兄ちゃんは10歳も違うからね、もうお父さんの手伝いしててね、頭が良くて意地悪もしてからかってくるけど、かっこいいお兄ちゃんでね。お姉ちゃんは7つ上で、全然お淑やかじゃないからいっつもお母さんに怒られてたけど何かしちゃったら全部庇ってくれたの。お姉ちゃんとイタズラしてよく怒られたの。…楽しかったな…」
初めはポツポツ溢すようだった声が一つ思い出すたびに止まらないのか次々と語っていく。それを俺たちは黙って聞いていた。
そんな普通だった日々が変わったのは三年ほど前、ある日突然サーシャのお腹にガイアのあざが現れたらしい。それを母に見せた途端に母と父は見たこともないほど青ざめ狼狽えた。
「そこから全部変わっちゃったの。」
サーシャには何があったのかわからない。ただサーシャは家から出ることができなくなった。
それでもお母さんはそばにいてくれた。お父さんも仕事の合間を縫って会いに来てくれたし、お兄ちゃんもお姉ちゃんもお話ししに来てくれた。だから毎日辛くは無かった。
「でもね、一回だけどうしてもお外に行きたくてお家から出ちゃったの。」
すぐに戻れば大丈夫だと思ったから。その時はお庭に出ただけですぐに家に連れ戻されちゃったけど、お外で久しぶりに出会った叔父さんに色々お喋りをしてしまった。叔父さんはいつも優しかったから気が抜けてしまった。
その時だけ、サーシャは痣のことを話してしまった。ただお母さんとお父さんに外に出して貰えなくなったことが理解できなかっただけなのに。
でもそのことを聞いた叔父さんは見たことのない、気持ち悪い、変な顔をした。
そのたったふた月後、真っ黒な仮面を着けた誰かに連れ去られたサーシャは目の前で家も、家族も、全て燃やされてしまった。
連れ去られる時、仮面の人の中にサーシャは叔父の姿を見た気がした。
そこからは地獄だった。知らない人の間でおもちゃのように扱われる日々。笑うこともなく、喋ることもできず、ただ奴隷としてサーシャは高級な商品の一つだった。
初めての地獄の中でどれだけの時間が経ったか分からない頃、サーシャはあのグズリアの冷たい男の手に渡った。
初めて見たその男はグレーになった髪を後ろにピタリと撫でつけて、冷たい目をギラギラさせながら、赤黒い色をした教会の人みたいな形の服を羽織ってた。
その人は黙ってあたしのお腹のあざを見て、黙ったままあたしを蹴った。
奴隷としては良い扱いを受けていたサーシャはその日から他の奴隷と共に地べたに這いつくばる日々だった。
「でもね、他の子供と一緒にいられたから1人より寂しくなかったの。一番一緒にいたのはテリルちゃんってお友達でね、金の髪をフワフワさせてちっちゃな可愛いツノが右のおでこに一つ生えてるの。優しい子なんだよ。」
毎日どんなに傷ができても、苦しくて寒くてお腹空いて悲しくても、みんなと一緒なら大丈夫だった。友達が1人消えては次は自分の番だと、どんなに震えても正義のヒーローは来てくれない。何度絶望したかなんてわかんない。それでも呼吸は止まってくれなかった。
そして今年の三月の地月、ガイアの月を迎えた辺りからサーシャは夢を見るようになった。
初めはぼんやりと誰かが話しかけてくるだけ。それが母だと気がつくまでそう長くはかからなかった。
毎日母は腕の中でサーシャを撫でてくれた。それが地獄の中にいるサーシャにとっては唯一安らぐことが出来る時間。
けれど自分のせいでこうなったことをどんなに謝ってもお母さんがサーシャを責めることがないのはとても苦しかった。
どんなに苦しくてもお母さんに会えることがサーシャの希望で、毎日辛くても夜になればお母さんに会えるからサーシャは平気だった。
数日に一度程度の頻度で母ではなく姉に会えることもあった。姉もあたしのせいでいなくなった事実は辛かったけど、いつも通りのイタズラ好きの笑顔が好きだった。
「そしてね、あたしの12歳の誕生日の日に、朝起きると手の中にこの子がいたの。」
そう言ってサーシャは手の中の不死鳥の卵を見せた。12の誕生日か。12で成人とする国もあることを考えればその年にガイアの象徴が現れることは不思議ではないか。
…あ?ちょっと待て、
「サーシャちゃん12歳なの⁈」
俺が聞く前に女が騒いだ。急に叫ぶなよ、ウルセぇだろうが。確かに7、8才にしか見えない容姿だから俺もてっきりそのくらいだと思っていたし、驚いたが何も叫ばなくても…ほらサーシャがびっくりしてる。
「あたしね、昔からちっちゃかったからよく年下に間違われるの。でも本当に12歳なんだよ?」
ま、可愛いから何でもいっか、と撫でることを再開したこの女のことは放置しておこう。こいつの言動を考えればサーシャを近寄らせるのは危ない気もしてくるな。
「…そのことはとりあえず置いておこう。とにかく話の続きを頼む。」
そこからはまぁ概ね予想通りだった。前回の満月の日、サーシャはガイアのお告げ通りに行動し不死鳥の力を借りて逃げ出すことに成功した。
「満月の日じゃないと力を貸せないから今日だけがチャンスだって、不死鳥に身を任せて月を目指して飛びなさいってお母さんに言われたの。そうやって夜中に目が覚めると何故か鎖が土に変わってて扉の鍵も開いてた。だからあたしみんなと逃げ出そうと思った。あたしだけ逃げるなんてどうしても嫌だった。でもね、誰も起こすことができなかったの。どんなに揺さぶっても誰も目を覚さなかった。そうしてる間にもどんどん卵が熱くなって、生きてるみたいに動き出して…多分、あたしを焦らせてるってわかって…あた、あたし…みんなを…見捨てたの…」
ポタリと大きな水滴がサーシャを抱きしめている女の腕に落ちた。サーシャはボロボロと大粒の涙を流しながらそれでも目を大きく開いて話を続けた。
「あたし、い、いっしょう、けんめい…ひぐっ走って、気がついたら…う゛くっ…おねえさっん達が、いて…あ、あだし、みんな…みんなをっ…見捨ってて…みんな、きっと、あたしがいなくなった罰を受けたっ!あたしのせいで、みんなもっと苦しんだ!あだしのぜいでっ!!
「違う!違うよ!!!サーシャちゃんのせいなんかじゃないよ!!」
限界だったのかそう言いながら女が包み込むようにサーシャを抱え込んだ。大きく開いた緑の瞳は視点が定まってない。これ以上は無理だろうしあらかた聞きたいことも聞けた、充分だ。
「辛い事を聞いてすまなかったな。」
そう言って女の腕に縋り付いて声を上げて泣くサーシャに魔法をかける。その数秒後には泣き声は啜り泣きに変わり、やがて穏やかな寝息が聞こえてきた。
「…マイ君。」
サーシャの頭を撫でていた俺の手を止めたのは女の声。俺の名を呼んだ女の方を見てズキンと胸が跳ねた。
サーシャを抱え込んだ女は静かに無表情のまま一雫の涙を流していた。
そしてこちらの足がすくんでしまうほどに強く激昂していた。
「絶対に、許さない。」
感情的になるなと、俺はどうしてもこの女を咎めることができなかった。
耳の奥に響くような大きな破壊音と地響きが足音から俺を揺らす。あーあー、好きなだけ暴れろとは言ったが初っ端から大盤振る舞いだな。
神子でガイアの加護があるとはいえサーシャもここにいるってのに、本当にあいつは考える事を知らないのか?
ただこの国に来てからのあいつはかなり怒りを押し殺していた。これ以上我慢させるのは無理だろう。
まぁこの国が今更どうなっても別にどうでもいいが。
俺は目の前の男に向き直った。
「さーて、お前がグズリア史上最悪の愚王っつーグルコアか?」
これからサーシャを操り人形にするための儀式をするとか何とか聞いていたがこの愚王は呑気に寝ていたらしい。趣味の悪い真っピンクのネグリジェにパンパンに膨れた体を押し込んでいるのが気色悪いな。
確か王位についたのが9つの時で、今は24…だったか?若さにかまけた愚王っぷりは健在のようで何より。宰相に全ての権限を放り投げていると言うのは本当だったらしいな。
これだけの時間をやったのに寝ぼけ眼を擦るばかりで現状の把握を全くしない。呆れるのすら馬鹿馬鹿しい。
俺はいま、珍しく怒ってんだよ。
「いいか、お前が人間に戻れるか畜生と成り下がるかはこれからのお前次第だと知れ。」
長い夜の続きが始まる。




