第44話 俺に喧嘩を売ったことを地の底で這いつくばりながら頭を擦りつけて後悔しろゴミクズども
目を覚ますと冷たい場所にいた。お姉さんもマイラスもどこにもいなくて自分のいる場所すらわからない。薄暗い石の壁と地面。一体どれだけ時間が経ったかもわからなくて頭が変に痛い。
コツンと地面に硬いものが当たる音がしてビクっと体が躍ねた。それは規則正しいリズムで近づいてくる。誰かの足音なんだ。
サーシャは咄嗟に目を瞑って地面に横たわり直した。起きていると気が付かれてはいけない気がしたから。
キィっと扉のようなものが動く音がして誰かが自分のすぐ横に来たのがわかる。目を瞑っているので何をしているのかわからないけどほっぺたに何かが触れた。
もしかして起きているのがバレたのかと思って心臓がうるさくなった。
でもそんな事はなくて、誰かに抱き上げられてどこかに運ばれていく。あたしは今奴隷なんだということを手錠の重さで思い出す。
大丈夫、あたしにはあんなに強いお姉さんとマイラスがいるもん。何かあってもきっと大丈夫。そう自分に言っても心臓の音は鳴り止んでくれなかった。
あたしを抱えている人が立ち止まった。目の前にはまた違う人がいるみたいで何か話をしている。
「いいか、この方をぞんざいに扱ってみろ。全てを投げ打ってでも貴様に一矢報いてやる。」
小さな声だけどこれはキツネさんの声だ。あたしがここにいるのはキツネさんのせいなのはなんとなくわかる。
でも…わたしを抱える優しさも、起こさないように小さい話し方なことも、あたしに酷いことをしようとしている風には思えなかった。
「ふん、よく言う。貴様は自分の欲のためにこの小娘をここに呼び戻したと言うのに。」
ぞわりと体が毛羽立っていくのをなんとか抑えた。この氷で作ったナイフのように体が凍る冷たい喋り方。体が震えている気がして心臓の鼓動がうるさい。
やだ、いやだ、恐怖を押し殺しながら必死に頭の中を違うものに変えようとしても全然言うことを聞いてくれない。
何度も叩かれた、殴られた、蹴られた。食べ物は目の前で捨てられてそこに顔を押し付けられた。目の前で他の奴隷の子をあたしより酷く蹴った。ナイフでつけた跡を爪で引っ掻いて、泣き叫ぶその子にうるさいと叩く様子が忘れられない。耳が割れそうなあの悲鳴が忘れられない。
気がつけば体は震えてしまっていた。このままじゃバレちゃうのに。それでも体は言うことを聞かない。
「おい、いつまで抱えている、早く寄越さないか。」
ビクッと体が躍ねた。やだ、触らないで。
でもあのあたしを叩く冷たい硬い手が触れることはなかった。
「まだ時間はあるでしょう。私が運びます。」
あたしの体の震えはとっくに伝わってるはずだ。なのに何も言わないでくれている。多分この人があたしをここに連れてきたはずなのに、あたしを支える手はぎこちなく不器用で暖かかった。
ふんっとあいつは鼻を鳴らしたけどあたしに触れてはこなかった。そのことにひとまず安心した。
「そんな態度を取れるのももう少しの間だけだ。今のうちにお前の女神とやらに願っておくんだな。」
女神?ガイア様のことかな。キツネさんは何も言わないからわからなかったけど何となく違う気がした。
「おい、この部屋でいい。早くそこらに降ろせ。」
しばらく歩いて重そうな扉の音がしたと思ったらひんやりとした空気があたしを包んだ。大丈夫、体の震えは何とか止まっていた。
キツネさんはそのまま地面にあたしを下ろす。ゆっくりと、丁寧で、とても優しかった。
そして足の枷にジャラリと重みが増えた。この部屋の鎖に繋げられてしまったみたいで1人で逃げ出すのはさらに難しくなってしまった。
ふと何かが近づく気配がして一瞬体が固まったけど小さく呟く言葉が聞こえてからそれはすぐに離れた。
今の短い言葉の意味が分からなくて頭がぐるぐるする。そんなことを考えている間にまた扉が動く音がして部屋の中は静かになった。
「気持ちの悪い男だ。」
吐き捨てるような声に背中が寒くなった。キツネさんが出ていってこの男と2人きりになってしまった。これから何をされるのか怖くてたまらない。
そんな体に何か衝撃が走って思わずお腹を抱えてうめいた。けれどかなり酷い衝撃だったのに何故か痛くはなくて戸惑う。
「さっさと起きろ。神子だかなんだか知らんがただの小娘の立場でこれ以上私の手を煩わせるんじゃない。」
そう言って今度は顔に鋭い衝撃が走った。それでも衝撃だけで痛みがない。うっすら目を開けると薄暗い部屋のすぐ目の前に何度も見たあの赤黒いマントに金の糸で刺繍の入った服が目に広がった。
「…どこで覚えたか知らないがこの私に対して魔障壁を張るとは…教育が足りなかったか。」
自分の髪の毛が強く引っ張られた。痛いと叫んでもその声はすぐ目の前のこの人に届くはずがない。涙で歪んだ目の前に今まで何度もあたしを殴ってきたあの冷たい灰色の目が光っていた。
「今は私が話している。」
そう言って鋭く手のひらが顔めがけて飛んできたけど、目を瞑る直前に小さな魔法陣がその手を弾いたのが見えた。それに対して小さく舌打ちをしてあたしを地面に放り投げる。地面は冷たくて痛かったけどこの人に触られるより何倍も息ができた。
それより、今の小さな魔法陣はマイラスの魔法だ。なんでマイラスの魔法が…って考えて今も結んでいる髪飾りを思い出した。
すぐ近くにはいないけど守ってくれてる。マイラスはどこかにいるんだ。それが何より心強くて、怖くてたまらなかった心がほんの少し落ち着いた。
「…お姉さん逹はどうしたの?」
声は震えて怖さはどうも消えてくれないけどそれ以上にお姉さんとマイラスのことが気になった。あたしを無視して何かをしているこの人。何でもいいからお姉さん達の事を教えて欲しい。
私の言葉を聞き終えると抱えていた何かを放り投げてすぐ目の前まで近づいてくる。一瞬で顔に衝撃が襲う。痛みはなくても殴られた勢いでその場に倒れ込む。
倒れ込んだその先で、さっき放り投げたものが物ではなくあたしより小さな女の子なことに気がついた。ひゅっと漏れ出すように聞こえた音は自分から出た息の音なのか。
この人の影で見えてなかったけどこの石造りの部屋はあたしが奴隷になってすぐに他の奴隷の子達と入れられてた部屋だ。
そしてその部屋に10人に近いくらいのあたしと年の変わらない子供たちが積み重ねるように寝かせられている。
力無くピクリとも動かないその様子にあたしの体からも力が抜けるのを感じた。なのに心臓がうるさくてたまらない。
子供たちから目が離せないでいると視界が一瞬でぼやけて何度も衝撃が体に襲う。
「私に口を聞けるほどにいつの間に貴様は偉くなったのだ?」
そう言いながら何度も何度も顔を、身体を蹴られた。マイラスの魔法陣が守っててくれても痛いほどに何度も何度も、最後は顔を押し付けるように地面に打ちつけられる。
「あの小僧も小娘もとっくに貴様と同じ奴隷になっておる。貴様の、せいで、貴様と、同じ、奴隷になったんだ。」
ギリギリと顔を押し付ける力を強くしながらじっくりと言い聞かせるように話しかける。その言葉はナイフみたいに心を何度も斬りつけていく。
大丈夫、でも大丈夫なんだ。マイラスもお姉さんも強いもん。絶対に大丈夫だ。2人を信じているあたしにはそんな言葉効かないもん。
反応がないことがつまらなかったのかふんっと息を吐いてついでのようにあたしを蹴ってまた子供たちの元に戻った。
深呼吸を繰り返していると少しだけ気持ちに余裕ができた気がする。他の奴隷の子たちに何をしているんだろうと地面に寝転がった体勢のまま観察してみた。
その子供たちはみんな小さく痩せていて怪我をしていてあたしと同じ奴隷だった。その中に知った顔を見つけて思わず声に出してしまった。
「テリルちゃん!!!」
金色のふわふわな髪と黒い小さなツノを持ったあたしの友達。同じこの部屋に入れられていて寒い日はお互いに体をくっつけて眠った。優しくて可愛くて大好きな私の大事なお友達。
他にも同じ部屋だった子と顔見知りの子達ばかり。あたしがここを逃げ出した時よりもっと痩せてもっと傷ついて、そして誰も動いてなかった。
「みんなに何をしてるの⁈」
叫ぶように話しかけても今度は完全に無視されている。足の枷がなかったら今すぐにでもみんなに駆け寄ったのに、と悔しくてたまらない。
「テリルちゃん!マヤタ!セーナ!ムイくん!」
見える顔の知っている子の名前を何度も叫んだ。うるさくすればあいつがあたしを殴りに来ると思ったから。そうすればほんの少しの間でもみんなから離せる。
何度も叫んでいるとあいつが近づいて来てお腹に強い衝撃がきた。やった、みんなから離せた。あたしはマイラスの魔法があるから大丈夫。
そんなあたしをうるさいと冷たく言い捨てながら壁に押し付けるように蹴る。衝撃は防げても圧迫感は防げないからお腹が苦しい。それでもみんながどうにかなっちゃうより良い。
「貴様がどんなに叫んでもこいつらは目を覚まさん。深く眠ってるからな。」
蹴り付けながら冷たくかけられる言葉にホッとした。よかった、みんなは眠ってるだけなんだ。生きている事が分かって少しだけ安心した。
「まあもう少しすれば永遠に目を覚ますことはなくなるがな。」
安心した心が一瞬で冷たくなる。そんなあたしに構うことなく、また髪の毛を掴んで持ち上げると鼻先に顔を近づけてきた。
息のかかる距離で恐くて痛くて勝手に涙が浮かんでくる。
「貴様は今日でいなくなる。貴様は今日からただの人形に成り下がる。曲がりなりにも神子であるお前の意識を壊すのは並大抵の魔法では上手くいかんからな。そのための生贄どもだ。よかったな、こいつらは貴様のおかげで今日で奴隷から解放されるんだぞ。」
この人はあたしを、思い通りにしたいからみんなを殺すっていうの…?あたしのせいでみんな、死ぬの?
「あ、あたしは言うこと聞く!何でもするから!みんなには何もしないで!」
バシッと頬に痛みが走った。もしかしてマイラスの魔法が弱くなってる?
そのことにゾッとした。マイラスに何かあったのかもしれない。
「貴様が選べると思うな。神子だろうと何だろうと貴様にはもう自由はない。」
歯をくい縛れ。泣くな、今泣いたって何にもなんない。あたしは強くなりたいのに、結局マイラスとお姉さん頼りじゃないか。
そんな自分が惨めで悔しくて嫌いなのに、それでも目の前が滲んでいく。
「泣かんのか、つまらんな。」
そう言いながら乱暴に地面に投げられた。その衝撃でカランと乾いた音が響く。そちらを見ると髪飾りが地面に落ちていた。
慌てて伸ばした手が無惨に踏みつけられる。のしかかる痛みにうめき声が漏れる。
「なんだこれは…ふん、安っぽい。」
拾われたそれはまた自分のすぐ目の前に放り出されてカランと音を立てる。マイラスがくれた…あたしの、大事な髪飾り…。
瞬きをする間もなく、それは目の前で粉々に踏みつけられた。
「奴隷にこんなもんはいらんだろ。」
踏みつけた足がグリグリとさらに髪飾りだったものを細かくしていく。やだ、やめて、それは…あたしの…!
「やめてぇぇえええ!!!!!!!」
自分からこんなに声が出るなんて思わなかった。でも声より何より、焼けるように胸が痛い。
なんであたしがこんなことをされなきゃいけないの?あたしが何をしたの?
好きで神子になったわけじゃない!あたしがなりたくて神子になったんじゃない!!
なのに、なんでお父さんもお母さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんも居なくなった!お友達もみんなあたしのせいで死んでしまう。お姉さんもマイラスもどこかに行っちゃった!
これが全部、全部がみんな…あたしのせいなの⁈
全部、全部、もう嫌だ!!!!
何もできない自分が嫌だ!!!!
胸元が突然熱くなる。胸元に入れていた卵がかすかに動いた。
『ワガが友よ、強くネガえ。どうシたい。トモは何をネガう?』
響くように綺麗な声が頭に広がる。その声の主がこの不死鳥の卵なのは理解する前から知っていた。その声にあたしは縋るように答える。
「強く…なりたい。みんなを守れるくらい、大切なものを守れるくらい、あたしを…守れるくらいに…」
「何をブツブツと言っておる。気持ちの悪い。」
躊躇のない蹴りがお腹を襲う。もうマイラスの魔法が守ってはくれない。痛い、痛くて苦しくて悔しくて、恐怖よりも悲しみよりも、熱い怒りが込み上げた。
「あたしは強くなりたい!」
込み上げた感情以上に溢れる蒼い光があたしを包んだ。それとほとんど同時に大きな音と立っていられないほどの揺れが部屋を襲った。




