第41話 マジで一回殴っていいか
静かな部屋にゆっくりと扉の開く音が響く。煌びやかに光る部屋の中には薄い吐息ばかりが動いている。ちゃんと睡眠薬は効いているらしい。
眠っているベッドの真横に立っているというに何の反応も示さない若者どもに笑いが込み上げてくる。
ひと月も立たぬ前だろうか。国境番を任される貴族ばかりが王城に集められた時は何事かと思ったが、まさかこんな幼子の奴隷を探しているとは予想外だった。
しかも裏で調べさせた情報によればその幼子の奴隷は神子だというではないか。王は隠していたがみな暗黙の領域という風に知っていた。
国の年寄り連中は神の冒涜だと囁いておったが王に直接口を聞こうとする蛮勇はおらんかったらしい。いつ自分が奴隷にされるかわからぬこの国で反発しようとする者がいないのは当然か。どの貴族連中も目立たず静かに生きていくように必死だ。
だが私は違う!!こんな国境番の責任者役なんざの子爵で終わる気はサラサラない。
ただ、どうやって上に行こうか良い考えは浮かばずヤキモキとする毎日。
そんな最中に神子が私の手に降ってきたのだ。神に愛されていたのは私だったのだ!!
初めに門兵がリスタール国直営の商人証を持ってきたものがいると聞いた時は度肝が抜かれたが、蓋を開ければただの小童に小娘。どうせどこかの親の七光りがうまくこの国に取り入ろうと深く考えずに来たのだろう。
その証拠に何の疑いもせずに出したものを飲み食いしよった。部屋で一瞬感じた謎の悪寒はいまだにわからんが…とりあえず運は私に向いている!
手始めにこの神子を王に…いや、簡単に捧げてはつまらんな。少し遊ぶか?しかし下手に藪をつついても恐ろしい。変に敵を作るよりここは大人しく功績を上げて確実なコネを作るべきか。遊ぶなら…
目の前で寝息を立てる小娘に下卑た笑いが込み上げる。年は10代中頃か?若く、玩具にするには良い年頃だ。しかも中々に良き顔立ちをしている。
頬に指を滑らせながらあんなことやこんなことを…妄想だけで涎が出そうだ…。
グフグフと隠さぬ笑いの中でいい気分だったのに手下の声で現実に戻される。何だというんだ。私は忙し…
「ど、どこにも神子様らしき人がいません!」
何⁈いや、確かにこの部屋に入るところまでこの目で見届けて部屋には内側からは開けられないように陣を施していたはずだぞ⁈
だが見渡す限りの部屋の中には先ほどの幼子は見つからなかった。思考が停止している中、更に甲高い声が触れていたはずの小娘から響いた。
「マイ君ごめん!!無理!!!気持ち悪い〜〜〜っ!!!!!」
何か強すぎる衝撃が顔を襲った後は真っ暗だった。
「ったく、少しは耐えらんないのかお前は。」
飛び起きざまにおっさんをひと殴りでぶっ飛ばした後、何が起きたのか理解できてない二人の手下らしい兵をねじ伏せた女。現在は反省の意を示しているのか項垂れて地面に座っている。
そんなコイツが不憫だったのかサーシャが頭を撫でてやっている。ま、俺でもあんなに近くで下品な笑い方したおっさんがいればぶん殴る自信しかないしな。今回ばかりは許してやろう。
「き、貴様ら、眠っておったのではないのか⁈」
ぶん殴られて腫れた頬なうえに地面にふん縛られているせいかフガフガ聞き取りずらい声だ。取り敢えず蹴る。
ぶぎぃっと過去最高に気色悪い声が漏れたのが本当に気色悪かったのでもう殴るのはやめておこう。
「あんなに怪しい飯なんざ食う奴がいるわけねーだろゴミ。どうせこんな小童なんざ片手で撚れる程容易い相手だとでも思ってたんだろ。あーあー、ナメられたもんだなぁ。こちらとら国抱えの商人様だぞ。そんな単純なガキがやってられるほど甘くねーんだよ雑魚。」
図星ど真ん中だったのかふぐぐと変なうめき声を漏らしている。そんな悔しそうな顔ができるほど立派な作戦してないだろ。コイツ本当に頭ねーのな。
「さてさて、この奴隷の娘目的で俺らを襲ったのはわかってんだが…その後はどうするつもりだった?誰に頼まれて、誰に渡すつもりだった?あ、別に強制的じゃないから言いたくなければ言わなくてもいいぞ。」
キョトンと気色悪い顔のおっさんの手を5本指全部を開いた状態で地面に貼り付ける。その瞬間に左手の小指が第一関節から上が消える。
何が起きたのかわからなかったおっさんが赤く広がっていく血溜まりを見てようやく捻り出すような悲鳴をあげた。
後ろからは「痛そう〜…」という呟きの後にサーシャちゃんは見ちゃダメ、教育に悪い。やら何やら聞こえてくる。サーシャからは見聞きできないように魔法で覆ってあるから大丈夫だ。ここで奴隷時代のトラウマを想起させられても困るからな。とりあえず女は無視だ無視。
「そろそろ黙れ、うるせーんだよ。」
いつまで経っても喚くばかりで会話にならないおっさんだ。薬指もとったら更に喚いたのでゲンナリした。
何度か腹の辺りを蹴るとようやく汚い声は止まったがぐしゃぐしゃの小汚い顔で泣いている。指の一つや二つで大袈裟な。どうせお前はもっと酷いこと奴隷にやってんだろうがよ。
「さてと…お前は、ぜ〜んぶ話してくれるまでに…何本、残るんだろーな?」
顔を覗き込みながら微笑む。真っ青になった顔から絞り出すような悲鳴が漏れた。後ろからも「うわぁ〜…」と引いている声が聞こえる。イラッとしたのでおっさんを蹴っておいた。
案の定おっさんはベラベラと話した。口結びで縛られてなかったのは意外だったが…噂が広がり過ぎて止められなかったのか、わざと広がるようにしたのか。
まぁどっちでもいいか、大した問題ではない。こんな下っ端子爵にまで口結びする方が面倒だろうしな。
予想通りすぎて拍子抜けだが、やはり神子を奴隷としていたのはこの国の王、ということになっているようだ。
どういう経緯でサーシャを手に入れたのかは不明だったが逃げられたことに相当焦っているのは確かだな。でなければ奴隷を逃してしまった、なんて話の広がるリスクが大きい事を下位貴族にまで言ったりしない。
えぐえぐと泣きながら地面にへばり付いているおっさんを無視してサーシャの方に向き直る。以前から少しずつサーシャにどんな奴の元に居たのか聞いては居たがあまり的を得なかった。奴隷自体は飼い主がどんな人間なのか知らないことも多い。
そもそも話を聞こうとするたびにかなりの動揺を見せた事から相当手酷く扱われていたのは事実だ。
「サーシャ、大丈夫か?」
かなり青白い顔に見えたがサーシャは力強く頷いた。
「大丈夫。まだまだこれからだから…あたしは、大丈夫。」
そこまで言われると逆に心配なんだがな。とは思ったがそこを突くほど俺は無粋じゃない。頭を撫でようとして俺の手が汚れていたことを思い出した。まぁその役目は女にまかせればいいか。
「さーて、とにかくこいつをどうするべきか…」
そんな俺の呟きを聞いて地面に這い蹲りながらヒゥい…と気色悪い悲鳴が漏れた。うわ、こいつ漏らしてやがる。果てしなくキモいのでこいつはそのままに二人とベッドに腰掛けた。
「こいつの存在は癪だが残念ながらこういう輩は一番扱いやすい。今すぐ手を下せないのは残念だろうが我慢してくれ。」
一応気を使って2人に言ったつもりだったのだが女の方は全力で縦に頭を振っているしサーシャは見たことないくらい引き攣った顔をしていた。
あ?案外こいつらは気色悪いおっさんに何かするのは反対だったらしい。
そうこうしている間に扉の向こうが騒がしくなってきた。このおっさんが中々戻らないから手下どもが不信がっているのだろう。そろそろ解放しとくか。
そう思った瞬間、俺と女がほぼ同時に立ち上がって扉に身構えた。
それから一瞬の間を置いて男が勢いよく部屋に入ってきた。足下のおっさんの驚き具合からしてここにいるのが不釣り合いな人間なことがわかる。
ただ俺たちもそれ以上に驚きが隠せなかった。
長身の四十代半ばくらいか。金茶の髪は毛先にかけて白く、短く刈り込まれた髭。そんな顔に浮くように取り付けられた丸めがねの奥には鋭い目が光っている。
紛れもない、国に入る際に壁越え前に会った食えない門兵だった。
くそっ、どういう都合でここにいるのか全くわからない。相手も意外な対面のはずなのに、こちらに目をやった一瞬止まっただけですぐに普通の顔に戻った。
何故動揺しないんだ。まさか俺らの顔を忘れたか?不可解な反応が妙に不穏さを掻き立てる。
「…ここにリスタール国からの直営商人が来たと聞いて伺ったのですが…これは、どういう…」
いや、うん、まぁ、そんな反応になるよな。地面にはここの主人がべしょべしょの小汚い顔で這いつくばって、部屋の片隅にはその部下が2人伸びた状態で放置。部屋は女がこいつらを殴った時のせいで誰かが暴れた後のような状態。誰でも理解が追いつくまい。
どう来るか…最悪逃げ出す動作にすぐ移せるようにしなければ。だが予想に反して何か理解したような顔で1人頷き始めた。
「…ふむ…なるほど、この子爵がリスタール国から直営で来られたあなた方に何か粗相をやらかしてしまったようですね。そもそも貴方様のような賓客をこんな場所にご案内している時点でこちらに何かしらの手違いがあったようです。この者の上司として深くお詫びをさせていただきます。大変申し訳ございません。」
勝手に解釈して勝手に謝られた。この男の中ではどんどん話が進んでいってるらしい。ほら、子爵のおっさんもついていけなくて更にアホヅラになってる。
「とにかく表に魔道車をご用意させていただいておりますので続きはそちらで致しましょう。何度もこちらの都合で移動させてしまっていることは申し訳ございませんが、良い取引をご用意させて頂ますのでどうぞ御許しいただきたい。勿論そちらの者には後ほど罰を与えさせていただきますので。」
切長丸眼鏡がおっさんを睨んだ瞬間ヒゥぇ…と小さく息を吸ってそのまま突っ伏すように動かなくなった。今ので気絶したらしい。一体どんな罰が待っているのかは知らんが肝の小せーやつ。
さあさあこちらに、と胡散臭いにこやかさを崩さないままの男についていく。この男の真意はわからんが今は敵対する気はなさそうだ。
屋敷の前に準備された魔道車にもトラップらしきものはない。それもそれで怪しさしかないが…ま、何とかなるだろ。
何の警戒もなく乗り込んだ俺に続いて状況について行けない女とサーシャも乗り込む。魔道車は広く快適で一目で最上級品になことが伺えた。
「この度は無礼な振る舞いになってしまったこと、もう一度謝罪させていただきます。大変申し訳ございません。」
何度目かわからない謝罪を適当に了承する。こんな見た目から若い俺らに律儀なおっさんだな。
「謝罪を受け入れてくださり感謝いたします。あなた様が寛大な心で我が部下を許し、蛇のように丸呑みにすることがなくて安心いたしました。」
あ…ふーん、なるほどな。
「…こちらこそ、思いの外早くにお迎えいただけて嬉しく思います。狐のごとく鋭い眼光で見つけていただけたようで何より。」
俺の言葉を聞くか聞かないか辺りで魔道車の中に薄緑の魔法膜が広がった。ほー、こりゃまた立派な防音魔法だな。
更に状況に置いて行かれる女とサーシャにはお構いなしですぐ目の前に丸めがね、もとい狐のおっさんが跪き首を垂れる。
「お待ちしておりました、神子様ご一行でございますね。姫様からお伺いしております。ご紹介が遅れました、わたくしキツネの名を頂いております。ここではどうぞリンデルとお呼びください。そして国境壁で無礼を働きましたこと、心より謝罪させていただきます。」
やはりか。こいつはロゼが言っていたグズリアに送り込んでいる手先の1人だ。俺なら会えばわかると言っていたが…成程、確かに狐だな。
「顔を上げろ。俺たちはそんなに畏まった者じゃない。挨拶はそこそこでいいからこの国の情報をくれ。」
長らく首を垂れたままだったリンデルだったがそこまで言ってようやく顔を上げて席に戻った。
「申し訳ございませんがわたくしは少々事情があり長く魔法を使っては勘付かれてしまうのです。極手短ですがお許しください。」
俺らが今向かわされているのは国王参謀の元。いきなり会わせるには存外大物が相手だな。それほどにこの国は折半詰まっているのだろう。
サーシャの持ち主は勿論と言うべきなのか、この国の王であるグルコア・グズリア。だが主人の契約をしているのはその参謀らしい。
サーシャが逃げ出したのは十五日ほど前の満月の日。次の新月にサーシャを国王に引き渡す契約印の再結の儀を行う予定だった。
ま、普通に考えればそうだろうな。満月は土地の力が強くなり、逆に新月は弱くなる。ガイアの神子の力を押さえ付けて無事に契約を成功させたいならそうなるのは必然だな。
「…あ゛?もしかして今日が新月じゃね?」
やっっっっべ、忘れていた。こういうところが詰めが甘い自覚がある。女にバカだと言えないほどの自分の馬鹿さ加減に頭を抱えた。
そりゃグズリア側からすれば本当にギリギリの良過ぎるタイミングだったわけだ。少し怪しいくらいならホイホイとスムーズに話を進めるだろう。
「あの…お話を進めても…?」
突然頭を抱え始めた俺にキツネから打診があったのでとりあえず話の続きを促す。時間が勿体無いのはこちらも同じだ。
こっちの事情もある程度はロゼに聞いているらしく出来る限りの助力はすると約束してくれた。
「ネズミは現在わたくしの奴隷として諜報活動をしていただいております。もちろん奴隷身分はフェイクです。色々な立場でないと見えないものも多いのです。」
ロゼの言っていたネズミという人物も近くにいるということか。使える駒として二つ目の加算をしていいだろう。
「一応聞くがお前は何故そこまで尽力的に力を貸すんだ?ロゼの命令だからか?」
人間なにかしら都合の良いことには裏を勘ぐるもんだ。ロゼの手先なら下手なことはないと思うが…まぁ一応な。
「勿論それもございます。あの暗闇から姫様には救っていただいた恩義がございますので。ですが、忠義は尽くしていてもわたくしは姫様に全てを捧げている訳ではございません。自分のあるべき主人が見つかるまでの駒として置いていただいているに過ぎないのです。」
ロゼの周りには変なのがよく集まるらしい。あるべき主人なんて随分含みのある言い方だことで。
「で、その主人ってのは誰か聞いてもいいのか?」
隠すような方ではございませんので。と細い目をさらに細めて見えない何かを見つめるように語る。
「…10年近く前、命をかけたあのお方の…わたくしはずっと探しておりました。腹の底から煮えくり返るようなこの国に耐えて、やっと少し前に見つけたと思いましたが…お救いする前にまた離れてしまったのです。ですが今日また会えました。きっと以前わたくしの手が届かなかったことも必然。全てはガイア様の手の平なのですから。」
その目線は俺の隣で女同様に完全に空気になっている人物。横の方で大人しく女と手遊びをしているサーシャに注がれていた。
つまりこいつも神子様信者ということか。神子の周りには強い信者のような者が必然的に集まってくるのだろう。
「もしかして、お前もカナロムの人間か?」
その問いには応えてはくれなかったが無言であることが返答に等しかった。
「カナロムについて聞きたいことがあるが今は時間がない。この件に方がついたら一度話をしてもいいか。」
この国にはなんの未練もございませんので、とあっけらかんとして答える様はいっそ清々しい。飄々として食えない様子はやはり狐と言えそうだ。
「ここからのあなた方の作戦を教えていただけますでしょうか。作戦に何か問題がないかだけでも確認させていただきたいのですが。」
至極真っ当な申し出かもしれないがそのことに関しては首を横に振った。
「申し訳ないがそこまでの情報は渡せない。何があるのかこの先は未知数だ。例え味方でも情報の開示はできる限り避けて行きたい。」
それもそうですね、とにこやかに引いてはくれたが…何か妙な違和感を感じた気がする。俺なりに緊張しているのかもしれない。
「もうそろそろ防音壁を解かせていただきます。この先、あまり力になることは叶いませんが…ご検討を祈らせていただきます。」
そう言ってキツネは魔法を解いた。そこから目的地に到着するまでの短く長い時間が何故か居心地が悪かった。




