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第6話 黒いものなんて見慣れている


「続けます」と言ったあとも、画面上部の配信停止申請は消えなかった。


 申請者は大手探索者事務所ヴァルト。

 理由欄には、企業管理ゲートおよび封止処理情報の無断公開、と残っている。


 画面に出たその文字を見た瞬間、コメント欄が一斉に跳ねた。


 《止めに来た》

 《今それ?》

 《管理ゲート?》

 《封止処理って、未報告のゲートに塗るべきものではないですよね》

 《未報告なのに管理?》

 《陰謀論で草》

 《白線の人、消されるな》


 消される。


 端末の明るさは変わっていない。それでも、配信停止申請の文字だけが黒く沈んで見えた。


 私はついさっきまで、罠で死ぬと思っていた。

 今は違う。


 この配信が消えれば、私が見たものがなかったことにされる。


 未清掃申告も、白線も、黒いゲートも、アキトさんが痛みに耐えたことも、リコさんが証言したことも、ハヤテさんが足元を映したことも。

 全部、都合のいい形へ切り取られる。


 私は端末を握りしめた。

 指の爪が割れている。

 痛みが、逆に現実をつないでくれた。


『ミオさん』


 トウマさんの声が入る。


『申請は一時保留にしています。ミオさんは、今は記録から手を離さないでください』


 保留は、取り消しではない。

 短い猶予をもらっただけだ。


 いまやるべきことは、その猶予の間に、ヴァルトが消したがっているものを記録に残すこと。

 黒いゲートのフチ。

 灰白色の跡。

 未報告のはずのものを「企業管理ゲート」と呼んだ申請文。


 私は画面を見た。黒いゲートのフチ、灰白色の跡が残った石畳、動けない4人。まだ全部、映っている。


「ハヤテさん、ゲートのフチを映したままにしてください。消される前に、そこだけは残します」


 画面の申請文は消えない。

 企業管理ゲートおよび封止処理情報の無断公開。

 未報告ゲート映像の保全優先。

 同じ画面の上下で、別の名前が並んでいた。


 コメント欄の流れが、先に割れた。


 《え、未報告じゃないの》

 《ヴァルト側の規約とか?》

 《詳しい人はよ》

 《企業が管理してたなら報告してるはずでは》

 《いや陰謀論で決めつけるな》


 そこでトウマさんの声が、一段冷えた。


『それとヴァルト社へ確認します。なぜ未報告ゲートを、申請文内で企業管理ゲートと呼べるのですか』


 未報告なのに、呼び名だけは知っている。

 私にも、ようやくそこだけ分かった。


 少し遅れて、意味を飲み込んだ視聴者のコメントが流れ始める。


 《これ配信続くってこと?》

 《陰謀論で草》

 《朗報:白線の人の記録、消えない》


 画面に新しい表示が重なった。


  ―――――――――――――――――――――――――

 配信停止申請  一時保留

 保留理由    清掃ログ、救助指示、未報告ゲート映像の保全優先

  ―――――――――――――――――――――――――


 一時保留。


 私は端末を持ち替えた。体から力が抜けかける。

 だが、トウマさんはすぐに続けた。


『ただし、これで終わりではありません。ヴァルトはすでに、映像内のゲートを企業管理ゲートだと主張しています』


 企業管理ゲート。

 未報告と企業管理。その2つは、本来並ばない。


『未報告ゲートを隠すために出した「企業管理ゲート」という言葉が、ヴァルトが事前に知っていたことを示す手がかりになります』


 私は黒いゲートを見た。


 扉の向こう、罠部屋の石畳は黒い泡に沈んでいる。ゲートは半分だけ開き、まだ空気を吸い込みつづけていた。

 ゲートから漏れる冷気が強いのに、フチだけ焦げ跡が途切れている。


 自然に開いたなら、周囲の石畳には魔素汚染が均等に残る。

 でも、フチだけ拭われている。

 何度も、人の手が触れたように。


「トウマさん」


『はい』


「ゲートのフチを、記録に残します。ハヤテさん、全体ではなく、黒いゲートのフチだけをアップで撮ってください。中は映さないで」


 ハヤテさんのカメラライトが、一瞬だけ床から外れた。


『俺が?』


「あなたのカメラが一番近いです。数字のためじゃなく、記録のために」


 ハヤテさんのカメラで、赤い録画ランプだけが消えずに点いていた。

 彼は一度レオを見たが、レオは何も言わなかった。ハヤテさんはタイムコードを画面の端に残したまま、黒いゲートのフチを画面いっぱいに入れる。


『……わかった。記録のために映す』


 その一言で、コメント欄にも短い反応が走った。


 《ハヤテやるの》

 《レオ何も言わない》

 《手止まってた》


 画面の端に、黒いゲートが映る。


 目を細めて画面を見ると、やっぱりゲートのフチに薄く乾いた灰白色の跡がある。


 白線ではない。私のテープでもない。

 清掃剤より重い、コーティング剤の乾いた膜に似ている。


 高濃度魔素を一時的に固める、業務用のコーティング剤だ。塗ると白い層になって乾き、ゲートや汚染を閉じ込める「封止処理」に使う。

 民間の清掃員が勝手に使えるものではない。


「コーティング剤の跡に見えます」


 私は言った。

 流れていた文字が、そこで途切れた。


『コーティング剤?』


 トウマさんの声が鋭くなった。


「業務用に近い乾き方です。ゲートのフチを、一度誰かが拭いています。自然発生ではありません。少なくとも、発見後に処理した人がいます」


 レオが顔を上げた。


『そんなの、俺たちは知らない』


 声は大きいが、さっきまでの虚勢とは違い、知らない話をぶつけられたような困惑が混じっていた。

 私は彼を見る。


「レオさんたちが設置した、とは言っていません」


『じゃあ』


「でも、誰かが知っていた」


 廊下が静かになった。

 黒いゲートが、奥で小さく鳴る。


『ミオさん。コーティング剤の種類は読めますか』


「断定はできません。映像だけです。でも、この乾き方は、研修資料で見たA-17系に近いです」


『A-17』


 トウマさんの返事が一拍遅れた。


『それは、深層ゲート用の応急コーティング剤です。3層で使うものではありません』


 名前だけは研修資料で見たことがある。一般清掃員が扱うものではなく、見つけたら担当者を呼べと教わる番号だった。


 コメント欄がまた動き出す。

 同接は、15万を超えていた。


 《誰か追って》

 《3層用じゃないのか》

 《A-17、流石にシンプル名称がすぎる》

 《まだ断定じゃないよな》

 《番号は残ってて草》


 私は画面を見ながら、また清掃バッグのベルトを肩に強く押しつけていた。


 速さが上がるコメント欄。

 けれど、私の中に浮かんだのは別のものだった。


 もし、このゲートが前からあったら。

 誰かが応急封止だけして正式な報告をしなかったなら。

 今日グリッター・ファングが入らなかったら。


 いつか別の誰かが入っていた。


 経験の浅い探索者。

 配信していない清掃員。

 コメント欄に助けを求める手段のない人。


 その人たちは、きっと。

 記録にも残らないまま終わっていた。


 清掃靴の底が、石畳に貼りついた。


「トウマさん」


『はい』


「このゲート、今日だけの事故じゃありません」


『同意します』


 即答だった。


『だから、配信を止めに来たのでしょう』


 画面に、また通知が出る。


 『ヴァルト公式アカウントが、先ほどの声明を削除しました』

 と表示された瞬間、画面の端が文字で埋まった。


 《消した》

 《今北》

 《スクショ済み》

 《タイムライン残ってる》

 《消しても遅い》


 トウマさんが静かに言う。


『声明削除を記録しました』


 その声に、少しだけ息が抜けた。

 画面を見るのもつらく、疲れている。それでも、声明が消えた時刻は、画面右のタイムラインに残っている。その小さな行が、今は頼もしかった。


 ハヤテさんがカメラを持ったまま言った。


『俺、元映像を出せます』


 レオが彼を見た。


『ハヤテ』


『配信前の控室から、カメラ回してました。素材用に。ミオさんのメモ、映っているはずです』


 レオが黙り、全員の視線がハヤテさんのカメラへ集まった。

 ハヤテさんの声は震えていた。でも、逃げていなかった。


『数字のために撮ってた。けど、今は記録になりますよね』


 私は頷いた。


「なります」


 トウマさんも続ける。


『提出してください。緊急監査記録として保全します』


 ハヤテさんはカメラを体の正面で止め、赤い録画ランプとタイムコードを画面の端に入れた。提出用の画角が、そこで固定される。

 その横で、レオが何かを言おうとして、やめた。


 私は白テープの残りを見た。もう短い。でも、今いる場所から次に進む分くらいは足りる。


「配信前の未清掃申告と警告メモで、私が事故を起こしたという説明は崩れます。ゲートのフチにコーティング剤の乾いた跡があるなら、誰かが事前に知っていた疑いも残ります」


 私はカメラに向かって言った。


「ヴァルトが何を隠したのかは、ここから記録で分けて確認します」


 その時、黒いゲートの奥で、濡れた石をこすり合わせるような音がした。

 笑い声にも聞こえる、低い反響だった。


 トウマさんの声が鋭くなる。


『全員、ゲートから離れて』


 黒いゲートの内側、灰白色のコーティング剤が途切れた右下の隙間から、細いものが1本出た。

 人の腕ではない。

 黒い苔を束ねたような5本の指が、関節のない枝みたいに折れ曲がり、石畳へ探るように伸びている。

 指先には灰白色のコーティング剤がこびりつき、そこから黒い泡が1粒ずつ落ちた。


 悲鳴のような短いコメントが走る。


 《出てくる》

 《なにこれ》

 《白線の人、お願いだから逃げて!》


 私は白テープの端をさらに引き出し、退避の目印になる長さを足元の石畳へ当てた。


 タイムラインに残しても、黒い手は止まらない。

 けれど映さなければ、あの手が出たことさえ後で消されてしまう。


「ハヤテさん、下がりながら映して」


『でも』


「今度は、数字のためじゃなく」


 私は黒いゲートを見た。

 ゲートの向こうから、黒い手が1本、こちらへ伸びている。


「誰かが二度とここへ入らないために」


 私は清掃員。

 黒いものなんて見慣れている。


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