第5話 受付時刻は嘘をつかない
「三層右回廊の未清掃申告を、公開します」
自分の声が、廊下に落ちた。
罠部屋の外は冷えていて、さっきまでの熱と焦げた匂いが嘘みたいだった。
非常灯が赤く点滅し、壁際に座り込んだアキトさんが、左脚を押さえている。
その横で、リコさんが彼の肩を支えている。
ハヤテさんは予備カメラを構えたまま、私が掲げた清掃ログ端末にピントを合わせていた。
レオは、黙ってスマホを見ている。
彼の顔色は、さっきの黒いゲートより悪かった。
大手探索者事務所ヴァルト公式からの声明。
事故原因を、契約終了済みの外部清掃員・三倉ミオ氏による無許可の音声介入に押し付ける文面だった。
画面の文字だけ読めば、私は外から配信を乱した人間だった。
でも、壁際にはアキトさんが座り込み、リコさんが肩を支えている。アキトさんの膝下には、私が通した白テープが残り、配信前に出した未清掃申告も、清掃ログ端末の中に時刻付きで残っている。
『ミオさん』
瀬名トウマの声が、通話越しに聞こえる。
『まず受付時刻を出せますか。時刻だけを、先に並べましょう』
時刻だけを、先に並べる。
その言葉で、ばらけていた焦点が戻った。怒りも悔しさも手の震えも消えないけれど、ログは感情に合わせて揺れたりしない。今は、私の顔ではなく記録を映す。
私は清掃ログ端末を、ハヤテさんの予備カメラへ向けた。
画面には、受付番号と時刻が表示されている。
未清掃申告。
東京都第七ダンジョン、三層右回廊、十七番扉。
提出先、清掃会社、ダンジョン庁。
送信時刻、18:42。
受理時刻、18:43。
危険種別、スーパーギガデスチワワかみくだき地獄、壁面獣像の攻撃ライン、拘束鎖の異音。
現場メモ、黄色い清掃中の札の破損。
コメント欄の流れが遅くなる。誰かが、最初に数字を読んだ。
《18:43》
《配信前だ》
《これ何の画面?》
《庁にも出てる?》
《メモ丸めた映像ある》
《さっきの声明なに》
次の瞬間、文字がまた滝みたいに流れ始めた。
《ヴァルト説明して》
《申告済みじゃん》
《掃除係、悪くないんじゃ?》
《いや笑えない》
《人死にかけた後だぞ》
清掃ログ端末を持つ手から、少しだけ余計な力が抜けた。
救われたわけではない。でも、ひとりで殴られている感じは少し薄れた。
トウマさんが言う。
『契約終了時刻、並べられますか』
「はい」
私はログを切り替える。
契約管理アプリを開く。表示されたのは、グリッター・ファング安全補助業務。終了通知は18:31、理由は配信編成変更。送信者欄には、黒瀬レオの名前があった。
レオの肩がびくりと動いた。
画面の向こうで、時刻を拾うコメントがまた並ぶ。
《18:31に切ってる》
《時系列まとめて》
《外部って何》
《レオが送信者じゃん》
ハヤテさんのカメラが、レオの顔へ向きかけた。
私は首を振る。
「ハヤテさん、今はログだけを映してください」
『でも、レオの顔を』
「顔ではなく記録で勝ちます」
自分で言って、トウマさんの言葉を借りていることに気づいた。
トウマさんの返事は、一拍遅れて届いた。
『その通りです』
ハヤテさんは迷い、カメラをログへ戻した。
短いコメントが並ぶ。
《顔芸よりログ》
《白線の人、煽らないの強い》
《スクショした》
《ハヤテも言うこと聞くようになったな》
ハヤテさんの口元は引きつったが、怒る前にズームボタンの上で指を止め、そのままログを映し続けた。
トウマさんが、次に見る時刻を示した。
『配信開始時刻を出せますか』
「グリッター・ファング側の?」
『はい。ミオさんの画面で出した方が伝わります。私は横に時刻だけ重ねます』
私は頷き、動画アプリの履歴を開く。
グリッター・ファング登録者五十万人記念配信。
開始時刻、19:00。
十七番扉入室、19:07。
私の通話救助開始、19:08。
トウマさんの声が、少しだけ低くなった。
『時刻を重ねます』
画面の端に、トウマさん側の監査用メモが細く重なった。
18:31 黒瀬レオから三倉ミオへ契約終了通知。
18:42 三倉ミオが三層右回廊の未清掃申告を送信。
18:43 未清掃申告、受理。
19:00 グリッター・ファング配信開始。
19:07 十七番扉入室。
19:08 三倉ミオ、残留通話から救助指示開始。
19:11 未報告ゲート映り込み。
19:17 全員退避。
19:18 ヴァルト公式声明。
コメント欄の速度が、一度だけ落ちた。
みんなが時刻を見ている。
《18:43ってこと?》
《19:07に入ってる》
《今来た、何が燃えてる》
《介入って言い方きついな》
《グリファン側のファンだけどこれはきつい》
《声明19:18?》
《早すぎない?》
《先に書いてた?》
最後のコメントを見て、清掃ログ端末を持つ手が止まった。
声明の時刻と、さっき映した契約終了通知の時刻を見比べる。
事故のあとで慌てて書いたにしては、私を外部清掃員として切り離す段取りが整いすぎていた。
未清掃申告が誰にも見られない場所に沈んでいたことまで含めて、偶然には見えなかった。
『ミオさん』
トウマさんの声がした。
『ここから先は、あなた一人で受けなくていい』
私は返事の代わりに、表示された時刻を見た。
『今のタイムラインを、緊急監査記録として保全します。ヴァルトから消すよう求められても、この配信は消させません』
その言葉で、白テープを巻いた指先に力が戻った。配信も、ログも、私が引いた白線も、誰にも見られずに終わるはずだった清掃記録も、ここに残せる。
「ありがとうございます」
声が震えた。
今度は、危険に押されているからだけじゃない。
リコさんが、アキトさんを支えながら言った。
『ミオちゃん。私、言う』
全員が彼女を見る。
リコさんの顔は青い。
それでも、彼女はカメラから逃げなかった。
『右回廊に入る前、ミオちゃんは止めました。未清掃だから危険だって。私は聞いてました』
レオの指が、スマホケースを小さく鳴らした。
『メモもありました。レオが丸めた。ハヤテも見てた。アキトさんも』
ハヤテさんがカメラのグリップを握り直す。
彼はカメラを持ったまま、ゆっくり頷いた。
『……見てた』
コメント欄の流れが、荒く跳ねた。
《内部証言きた》
《リコちゃん大丈夫?》
《ハヤテ、今は逃げるなよ》
《レオは?》
《メモ丸めた?》
《完全に警告無視じゃん》
レオの顔から、色が消えた。
彼は口を開き、何かを言おうとする。
『俺は、事務所にそうしろって』
そこまで出た言葉が、彼自身の顔色をさらに悪くした。
レオの視線が、画面端の警告メモ映像へ落ちる。自分で丸めた紙が、そこに映っていた。
レオは続きを言えなかった。
彼が言い直す前に、トウマさんが言った。
『黒瀬レオさん。今の発言も、ここから先の発言も監査記録に残ります』
画面端の監査メモに、レオの発言時刻が追加された。
レオの口が閉じた。スマホを握る指だけが、画面の縁を強く押している。
私は画面のタイムラインを見る。
契約終了通知の時刻。未清掃申告の時刻。配信開始と入室の時刻。数字はただ並んでいるだけなのに、「知らなかった」という言い訳をひとつずつ塞いでいく。
コメント欄のひとつが、目に留まった。
《時刻って、消せないんだな》
白テープを巻いた指先で、次のログを開こうとした。その前に、画面の端へ新しい通知が差し込まれた。
配信停止申請。
対象、三層右回廊救助誘導。
申請者、大手探索者事務所ヴァルト。
理由、企業管理ゲートおよび封止処理情報の無断公開。
レオのスマホ画面にも、同じ通知が出ている。
《止めに来た》
《公式も見てるじゃん》
端末の縁に、汗をかいた指が貼りつく。
トウマさんが静かに続けた。
『止める権利は、あなたにあります。止めれば、あなたの安全は少しだけ守れます。続ければ、隠されたゲートの記録まで残せます』
私は黒いゲートの方を見た。まだ、奥で動いている。
あれを隠した人たちは、私の声だけを事故原因にした。このまま配信が止まれば、アキトさんの怪我も、リコさんの恐怖も、ハヤテさんの沈黙も、レオの見栄も、全部「無許可の音声介入による混乱」として閉じられる。
その形で、記録が残る。
私はカメラを見た。同接は十二万六千。流れる文字の間に、妙な空白がある。みんな、次を待っている。
「続けます」
震えはあった。でも、言葉は止まらなかった。
「清掃員、三倉ミオ。未報告ゲートの記録を保全します」




