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第21話 セーフルートを開設します

 画面端の未処理通知が、まだ増えていた。


 マシロさんは、説明会のマイクが下りきる前に管理画面を開いた。

 空の窓口だけが灰色で並んでいる。いまのままなら、依頼はまた私の手元へ戻る。


 私が端末へ手を伸ばす前に、マシロさんのカーソルが灰色の受付枠の上で止まった。

 画面が未処理通知の一覧へ切り替わっても、表示されたのは件数、送信元、受信時刻だけだった。

 内容欄は閉じられたまま、通知だけが灰色の仮受付枠の外側に積まれている。


 私は端末を開かなかった。できるふりをしたら、いつか誰かを見落とす。


『ここから、セーフルートの開設案を確認します』


 トウマさんがマイクを持った。


『依頼があなた1人の端末に戻らないよう、受付で分担する準備があります。今日この場で開けます』


 私1人に戻す話ではないと、先に言ってくれた。

 その一言で、清掃バッグのベルトが肩からわずかに浮いた気がした。


 マシロさんが、受付案を会場スクリーンに出した。


 中央に私の顔はなかった。

 セーフルートという窓口名の下に、現地清掃員の安否欄と、会社倉庫へつながる資材欄が並んでいる。


 すぐに短いコメントがついた。


 《顔出しじゃない》

 《ミオちゃん休める?》

 《今ここで作るの?》


 夏目主任が頷いても、大型スクリーンの右上は灰色のままだった。

 未処理通知には、まだ受付番号も確認者名もついていない。

 送信元と時刻だけが、仮受付枠の脇で止まっている。


 画面は、私の返事を待っていた。


『ミオさん』


 トウマさんが、こちらを見た。


『開くかどうかを、あなたの口から言ってください』


 マイクが渡される。


 軽いはずなのに、重かった。


 私はステージには上がらないまま、石畳の上でマイクを持った。


 白テープの浮かせた端が、足元でまだ持ち上がっている。踏み替えの跡がついた粘着面に、第3試験区画の灰色の魔素汚染が残っていた。


「ここに来た依頼を、私1人の端末へ戻しません」


 声が震えないように、白線へ視線を落とした。


「依頼を分けて、現場を確認して、帰れる道を探す場所にします」


 コメント欄の更新が一拍遅れた。


 レオさんのカメラは低いまま動かない。

 リコさんのライトが、粘着面に残る灰色の魔素汚染を照らした。


「だから、セーフルートを開きます」


 マイクが小さく震えた。

 足元では、白テープの反対側が石畳に貼りついている。

 照明の熱が肌に残り、カメラの赤い点がこちらを向いている。

 それでも、もう一度前を見る。


「安全経路支援窓口、セーフルートを開設します」


 マシロさんが、最後の確認を入れる。

 受付側の確認がそろうと、トウマさんが頷き、夏目主任が保全ログの時刻を読み上げた。


『21時46分。セーフルート、開設を確認しました』


 灰色だった受付枠に、受付番号が灯る。


 クリック音は聞こえなかった。それでも、コメント欄が跳ねた。


 《開いた》

 《ミオちゃん座って》

 《番号出た》


 マシロさんが、短く息を吐いた。


「ミオさん、受付が動きました」


 依頼が、共有欄の中で担当先へ分かれていく。


 私の個人端末は鳴らなかった。


 コメント欄が、少し遅れてその意味に気づいた。


 《個人端末、鳴ってない?》

 《受付で止まってる》


「保留分はこちらで受けます」


 マシロさんが言うと、保留分は作業欄へ移った。


 最初に入った1件では、現場写真のサムネイルが開いた。

 必要資材欄に、会社の倉庫に残る吸着シートが表示された。

 ハルトさんの清掃メモは、参考記録の候補欄へ移された。


 私は詳細を開かなかった。清掃バッグのベルトを掛け直す。


「一次確認をお願いします。証拠保全と、現地清掃員の安全確認を優先で」


 マシロさんが頷き、清掃会社側の共有窓口を開いた。トウマさんの端末には未確認分が移った。


 夏目主任が、開設時刻を記録した。


 「白線の人」宛てに積まれていた依頼は、マシロさんの作業欄、清掃会社の連絡網、トウマさんの端末へ分かれていく。


 足元の白テープの端を、私はそっと持ち上げた。


 まだ粘着は残っている。

 今日貼った白テープはいずれ剥がされる。

 証拠として袋に入るものも、清掃で消えるものもある。


 けれど、半分だけ貼った白テープの位置と、吸着シートを置いた境目は、写真と時刻つきで残せる。

 どこを止め、どこを空けたのかは、次の現場で読める形にできる。


 その位置と境目は、セーフルートの記録欄に書き込まれる。


 ハルトさんの白線も、私たちが作った退避ルートも、次の誰かが危ない現場から帰るための手順として残る。


『ミオ』


 レオさんが、最後に言った。


『次に映す時も、足元からでいいんだな』


 私は小さく笑い、自分でもそのことに驚いた。


「まずは、足元です」


『了解。足元を映す』


 画面の中では、白線が静かに映り続けていた。


『本日の配信はここまでです。以降は窓口で受けます』


 トウマさんの合図で、配信画面の赤い点が消えた。


 赤い点が消えても、震えはすぐには止まらなかった。

 私は端末を見ず、清掃バッグの口を閉じた。


 リコさんも、機材を抱えて私の後ろにいた。

 今日はまだ作業員として入らず、ミクラ・クリアリングの手順を横で見るだけだと、何度も頷いていた。


 その夜、ミクラ・クリアリングの休憩室に戻ると、窓際の小さなサボテンが、いつもの場所で待っていた。


 机には、湯気の立つ味噌汁と、新しいおにぎりが置かれている。

 トウマさんが、帰り道で買って持ち込んでくれたものだった。


 トウマさんは入口の近くで、セーフルート用の端末を伏せていた。

 リコさんは机の向こう側にいる。

 配信機材を椅子の脇に置き、両手を膝の上に重ねていた。

 私の端末は、久しぶりに黙っていた。


 椅子に座ると、膝の力が遅れて抜けた。通知音が鳴らないだけで、肩が下がった。


「画面はこちらで見ます。ミオさんは、食事を」


 トウマさんが言った。

 私は箸袋の向こうへ個人端末を伏せて置いた。

 誰も通知を見るように言わなかった。


「食べ終わったら、帰りは送ります。今日はもう、仕事の話はしません」


 トウマさんの声はいつもみたいに落ち着いていたけれど、内容は仕事の話ではなかった。


「はい。……ありがとうございます」


 リコさんが、机の向こうから短く言った。


「……今日は見学だけにします。見て、覚えます」


 私は清掃バッグを椅子の横に下ろした。


 サボテンの鉢に向かって「帰ってきました」と小さく言う。

 机の味噌汁から、湯気がゆっくり立っていた。

 トウマさんが、伏せた端末をさらに脇へ寄せた。

 リコさんは、それ以上は何も言わなかった。


 私は味噌汁をひと口すすった。

 塩気が舌に広がるころ、体のこわばりがほどけていた。

 おにぎりはまだ温かい。

 今日は画面の向こうではなく、目の前の湯気を見ていられた。

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