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第22話 エピローグ 白線、これから

 朝のミクラ・クリアリングは、思ったより静かだった。


 深層フェスから、数日が経っていた。


 休憩室のサボテンは、いつもの場所で、いつも通り傾いている。

 棚から白テープの新しい巻きを取り出しながら、サボテンに「行ってきます」と短く声をかけた。


 帰ってきました、と言った夜から、何度か朝が来ていた。


 奥から、姉が顔を出した。片手にコーヒーカップを持っている。


「今日は現場じゃないんでしょ」


「事務処理の日。受付の確認」


「ふうん」


 姉はそれ以上聞かなかった。新聞を半分に折って机に置く。深層フェスの続報の見出しは、折り返した紙の下に半分だけ隠れていた。


 パソコンを立ち上げると、セーフルートの受付画面が開いた。


 受付画面には、整理済みの案件がいくつも並んでいる。

 地方ダンジョンの未報告区画、学校訓練区画の安全レビュー、配信中の事故懸念、清掃会社からの相談。

 案件名の横には、清掃会社の連絡網、トウマさんの端末、事故調査課の確認先が分かれて並んでいる。

 共有欄の先頭には、確認待ちではなく担当先が表示されていた。


 整理済みの列の一番上に、受付番号SR-0001の完了記録が残っている。

 添付写真のサムネイルには、区画入口の白テープの手前で止まった清掃靴が映っていた。

 状態欄は「入室前確認」。現地連絡、写真保全、ダンジョン庁への一次確認の担当名が、それぞれ別の欄に入っている。

 私の名前は参考確認の小さな欄だけにあり、私の個人端末へ戻る通知はなかった。案件は共有画面の中で、担当先ごとの欄に分かれていた。

 現地の清掃員は線の手前で待ち、確認員が着くまで中へ入らなかった。

 入室前確認で事故を防げた記録として、共有画面の中に白い完了印がついていた。


 壁の小型モニターには、別事務所の朝の配信が流れていた。


 画面に映っていたのは、配信者の顔ではなかった。

 石畳の溝、白い仮設ライン、足元を映すカメラ。

 深層フェスのあと、足元を映す配信が、少しずつ増えていた。


 ニュース欄では、深層フェス再調査の続報も小さく流れている。誰も音量を上げず、朝の休憩室に低く重なるだけになっていた。


 コメント欄では、「白線の人」と「セーフルート」が並んで使われている。

 地方の現場からは、塞いではいけない場所を空けて白線を引いた、という投稿も届いていた。


 リコさんが、機材ケースを持って入ってきた。


「ミオ、カメラのテスト、終わった」


 ケースには、配信用のロゴではなく、「足元撮影研修中」と小さなラベルが貼られていた。

 撮るのは顔ではない。現場の足元だ。


 レオさんからのメッセージは、「今日も足元映す」だけだった。


 トウマさんからは、セーフルートの確認手順をダンジョン庁側へ渡したという連絡が来ていた。


 アキトさんからのメッセージは、それより短かった。


 ――弟のメモを、仕事として読んでくれて、ありがとう。


 私はメッセージを開いたままにせず、端末を受付画面の横へ伏せた。

 返事は、明日の現場で返すことにした。


 以前の私なら、こういう短いメッセージほど、端末を何度も開き直していたと思う。返事を書きかけては消して、画面の前で朝まで固まっていた。


 今朝は違った。伏せた端末の上で、指先は静かに止まっていた。


 大勢の前に出ることが、平気になったわけではない。それでも、受け取った言葉をすぐ返さなくていいと選べるくらいの時間は、自分の中に残せるようになっていた。


 私は、白テープの新しい巻きを清掃バッグに入れた。


 今日は現場ではない。でも、白テープはいつも持っておく。


 受付画面の地方投稿を、もう一度開く。

 石畳の溝の手前で白テープが途切れ、空けた場所に小さな札が置かれていた。

 そこには「ここは塞がない」と手書きで残っている。


 ハルトさんが引いた線と同じ意味の白線を、今日、地方のどこかで別の誰かが引いている。


 私は清掃員、三倉ミオ。


 明日もまた、誰かが帰れるように、足元を見て白線を引く。清掃バッグの口を閉じて、肩へ掛けた。


 窓の外から差し込む朝の光が、白テープの端を明るくしていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


初めて書いた作品なので、こうして完結まで届けることができてほっとしています。

少しでも楽しんでいただけていたなら嬉しいです。

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