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第20話 公式記録

 その話が始まろうとした瞬間、ヴァルト公式チャンネルの画面が真っ黒になった。


 《切った》

 《逃げた》

 《映像遮断要求の直後に切るな》

 《事故調査課の公式へ行け》


 3秒後、事故調査課の公式配信の同接表示が跳ね上がった。


 事故調査課の公式配信、レオさんの足元配信、参加配信者たちの中継。ばらばらだった画面が、同じ白線と搬出扉奥の青黒い光を映している。


 もう、誰かの顔芸でごまかせる配信ではなかった。


 顔を映す配信から、通路を映す配信へ切り替わった。


 公開説明用ステージの上に、白い長机が並んでいた。


 並んでいるのは、ヴァルト本社、深町さんの名前が入った空席、スポンサー企業の代表。

 ダンジョン庁事故調査課。

 それから、トウマさんとマシロさん。


 私は、その少し下に立っていた。


 ステージへ上がるように言われたけれど、断った。


 白線と足元が見えにくくなるから。


 もう来場者はいない。配信者も、運営スタッフも、外へ出た。


 それでも第3試験区画には、白線と、危険を避けて人が動いた跡が残っている。

 スタッフ通路の踏み替え線、ブース裏の小さな三角、使わなかった第2観客通路。

 全部が、今ここで何が起きたのかを黙って示していた。


 ハルトさんの白線は、事故の中へ消えた落書きではなかった。

 人の避難路に危険物の搬出路を重ねた証拠も、公式配信の記録に残っている。


 「安全経路受付(仮)」という項目は、仮受付欄の端に小さく残っていた。

 まだ受付ではない。誰かが今夜また危険な通路の写真を送っても、受け止める先はない。


 次の通知を、1人で開くのは嫌だった。

 ヴァルトを追及しても、依頼は止まらない。

 清掃バッグのベルトが、肩に食い込んでいる。

 この受付が動けば、次は1人で開かなくていい。


『深層フェス安全統括説明会、緊急公開説明を開始します』


 夏目主任の声が会場に響き、配信にも流れた。


『本説明は、事故調査課の現場保全記録、公式カメラ、参加配信者の映像原本を封印した上で行います』

『通信ログと搬出台車制御ログも、同時刻で保全済みです』


 長い前置きではなかった。


 封印、という語で、机の向こうの何人かが手を止めた。


 ヴァルト本社の担当者は、机の上で指を組んだまま動かず、スポンサー代表たちも誰も笑っていない。


 コメント欄は、いつもより遅かった。


 同接表示は見たことのない桁に届いているのに、いつもの草も煽りも少ない。

 急上昇欄には「白線の人」「未報告ゲート」「安全経路受付」が並んでいる。

 数字だけが先に走って、言葉は追いついていなかった。


 《会見じゃなくて事故説明だ》

 《足元を映して》

 《ヴァルト逃げるな》

 《証拠映ってる》

 《受付って誰が見るの》


 レオさんの配信画面は、私の顔でもヴァルト本社の顔でもなく、まだ足元を映していた。

 白線、搬出扉奥の青黒い光、青く染まった吸着シート。

 画面の中心に残っているのは、言葉ではなく現場だった。


『確認した場所は、3つです。3年前の2層旧搬入口、隠されていた封止ケース、そして現在の第3試験区画です』


 夏目主任が言う。


 大型スクリーンが3分割された。

 左には、旧搬入口の事故前日写真。黄色いA-12コーティング剤と、溝へ押し込められた灰色の魔素汚染。

 中央には、封止ケース。管理番号と内容物タグ、ケース外周に残ったA-12とA-17のコーティング剤。

 右には、第3試験区画の搬出扉奥。青黒いゲート、深層素材コンテナ、搬出台車の右後輪、私が半分だけ貼った短い白テープ。


『旧搬入口では、事故前日に危険な魔素汚染を溝ごと塞いでいた痕跡を確認しました』


 大型スクリーンの左画面で、写真が拡大された。


『封止ケースでは、行方不明者の登録番号が、素材搬出タグへ変換されていました』


 中央画面で、管理番号照合表が並ぶ。


『第3試験区画では、届出のないゲートと、来場者の退避導線に重なる搬出路を確認しています』


 スポンサー代表の1人が、机の上で指を止めた。


 私も、足元の白テープを見た。


 退避導線という言葉はきれいだけれど、画面の右側に残っているのは危険物の搬出路だった。人を逃がす道に見せかけて、深層素材を動かす道を重ねていた。


『ヴァルト本社端末からは、3件の遠隔命令が確認されています』


 マシロさんが画面を切り替えた。


 時刻、端末番号、命令名。短い文字列が並ぶ。


『搬出台車固定解除。深層素材コンテナの優先回収。現場映像遮断要求』


 スポンサー代表の1人が、マイクの台座から手を離した。


 コメント欄は、最後の語で一度止まってから荒れた。


 《映像遮断要求》

 《人より素材?》

 《固定解除も出てる》


 ヴァルト本社の担当者がマイクへ手を伸ばした。


『弊社としては、現場判断の詳細を確認中であり』


『確認中ではありません』


 トウマさんが静かに遮った。


 声は大きくない。けれど、示した時刻ははっきりしていた。


『時刻が一致します。現場封鎖を告げたあとで、搬出台車固定解除と映像遮断要求が送られています』


 ヴァルト担当者の口が止まった。

 隣の本社席では、誰もマイクを上げなかった。


 夏目主任が、そこで説明を引き取った。


『結論は3点です』

『1つ、未報告ゲートが存在しました』

『2つ、搬出路を避難路に偽装していました』

『3つ、3年前の事故と同じ隠し方が、今日も使われていました』


 スクリーンには、3年前の写真が出た。

 久我ハルトさんが事故前日に送った石畳の写真。そこに残る短い白線と、清掃メモ。


 「輪にするな。隙間を残せ」


 その文字が映った瞬間、私は白テープの端を握ったまま動けなくなった。


 もう何度も見た。


『久我ハルト氏の白線について』


 夏目主任の声が低くなった。

 右画面の足元映像へ、写真の短い白線が重ねられる。

 白テープ、吸着シート、右後輪の停止ログが、同じ秒で青く点いた。


『本日のゲート封鎖には、3年前の清掃メモと事故前日写真を使っています』

『事故調査課は、その線を、封鎖作業の根拠として記録します』


 その言葉で、私は一度だけ目を閉じた。


 ハルトさんの線は、写真の端に残った落書きではなく、今日の白線と同じ画面に置かれていた。


『事故調査課は、久我ハルト氏の白線と清掃メモを、3年前の事故再調査と本日の封鎖記録に残します』


 会場が、静かになった。


 コメント欄も、一瞬だけ止まった。


 それから、短いコメントが流れた。


 《残るんだ》

 《ハルトさん……》

 《落書きじゃなかった》

 《仕事だったんだ》

 《アキトさん見てる?》


 トウマさんが画面端の通話枠を開くと、事故調査課の椅子に座るアキトさんが映った。


 前より、背筋が伸びて見えた。


『久我様』


 夏目主任が言った。


『弟さんの清掃メモと事故前日写真は、事故調査記録に正式資料として残ります』

『本日の封鎖を成立させた作業判断としても、久我ハルト氏の記録を記載します』


 アキトさんは、すぐには答えなかった。


 画面越しに、白線を見ていた。


『……弟の名前が、残るんですね』


『はい』


『事故に巻き込まれた人としてだけじゃなく』


 夏目主任が、アキトさんの言葉を引き取った。


『清掃職として危険を認識し、止める位置を残した人物として扱います』


 アキトさんの口元が震えた。


 私は、石畳に残る白線を見た。視線を上げる前に、深く息を吸った。


『……3年、あいつのこと、ちゃんと弟だと思えなかった』


 アキトさんの声は、いつもより低かった。


『無茶をした、無責任なやつだって、片づけたほうが楽だった』


 長い沈黙があった。


『ありがとうございます』


 アキトさんは、頭を下げた。


『ハルトに、やっと言えます。お前の仕事は、残ったって』


 その言葉で、会場に短い間が落ちた。


 その言葉が、ハルトさん本人まで届くかどうかは、誰にも分からない。

 それでも、事故調査記録に名前と手順が残れば、次の現場で同じ危険に入る前に止まれる。


 通話枠のアキトさんは、何も言わなかった。スマホを胸元へ寄せ、画面の中の白線を見ていた。


 夏目主任が、次の画面へ進めた。


 私は石畳の灰色の魔素汚染へ視線を戻した。泣いている時間はないし、次に線を引く場所がある。


『深町リョウスケ氏は、すでに事故調査課が確保しています。未報告ゲートの資料不提出と、3年前の補修指示記録が理由です』


 スクリーンに、深町さんの入館記録と端末操作履歴が並ぶ。


 安全確認完了、避難補助導線、通常補修。そのきれいな言葉の横で、素材回収、コーティング剤使用、映像遮断要求の時刻が赤く重なった。


 深町さんが「避難補助導線」と説明した映像の上に、台車の車輪跡が重ねられる。

 説明映像の中の深町さんは口を開いたまま止まり、横に並んだ操作履歴だけが動いた。

 スポンサー席の1人が、深町さんの名札から目を逸らす。


『ヴァルト本社には、未報告ゲートと素材搬出に関する記録をすべて提出してもらいます。映像遮断要求も含めます』


 スポンサー席で、マイクが1つだけ上がった。


『深層フェス関連協賛を停止します。調査完了まで、新規出稿も行いません』


 別の代表が頷き、会場の協賛表示が1つ消えた。

 続けて、もう1つ消える。

 弁明を整える間もなく、広告も会場運営の権限も、ヴァルト担当者の手から離れていった。


 コメント欄は短くざわめいたが、足元の映像からは離れない。


 でも私は、白テープの端に残った灰色の魔素汚染から目を離せなかった。

 画面では、その横に、リコさんのライト映像、マシロさんの時刻ログ、レオさんの足元配信、事故調査課の通路開放時刻が小さく束ねられている。

 誰かの表彰欄ではなく、白線を消さないための記録欄だった。


『ミオ』


 レオさんの配信画面は、まだ白線を映していた。


 顔は映らないまま、声だけが入った。


『俺からも、1つ言わせてくれ』


 会場の視線が、カメラへ向く。


『謝罪で終わらせない。俺が捨てた清掃ログの件も、今日の未編集アーカイブも、証言として出す』

『今後、俺のチャンネルは顔じゃなくて、退避ルートの足元を映す。圧力があったら、その圧力も残す』


 レオさんの配信画面に、固定コメントが追加された。


 未編集アーカイブ提出、圧力ログ保存、証言準備中。


『補足します』


 トウマさんが、すぐに補足した。


『協力しても、責任は消えません』


 レオさんの画面端に、未編集アーカイブと圧力ログの保存済み表示が出た。画面は、白線から動かなかった。


 私は、すぐには答えられなかった。


 許したわけではない。追放された日のことも、捨てられたメモのことも、なくならない。


 それでも今日の第3試験区画で、レオさんはカメラを白線から動かさなかった。

 第2観客通路で人を止めた。

 謝罪配信ではなく、退避配信にしたことも、事実だった。


「……完全に、許したわけじゃありません」


 自分の声は思ったより小さかったけれど、マイクは拾った。


「でも、今後も白線を映してくれるなら。中継と証言を、途中で切らないなら」


 私は画面に残る白線を見た。


「行動で返してください」


『ああ』


 レオさんが答えた。


『返す。切らない。足元を映す』


 コメント欄は割れた。

 《信用はまだ無理》の横を、《足元係で草》が流れていく。


 ついさっきまで、コメント欄に流れていたのは「白線の人」だった。


 今は、その横に「セーフルート」が混じっている。私の顔ではなく、次の依頼をどこへ送ればいいのかを聞くコメントが増えていた。


 スクリーン端の灰色だった仮受付欄に、初めて名前が入る。


 ――安全経路支援窓口 セーフルート


 《セーフルート?》

 《なにそれ》

 《送れるの?》

 《ミオたん倒れるナリ》


 私の個人端末の画面端で、未処理通知の赤いバッジがいくつも重なった。

 まだ開いていない窓口へ回せない分だけ、「掃除係」宛てのまま私の手元へ戻ってくる。


 この未処理通知を1人で開き続ける役目には、もう戻りたくなかった。

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