第11話 返せ、
旧搬入口にいた全員が、金属ケースの前で止まっていた。
ケース側面にあるのは、ヴァルトの管理番号。
VLT-N404-C06。
そのすぐ下に、赤黒い文字で、「返せ」と書かれている。
文字はケースの下端に近い場所にあった。
立ったまま書いた位置ではない。
石畳に置かれたケースのそばで、誰かが身を伏せるようにして書いた位置だった。
「返」の一画目の端が丸く潰れ、赤黒い線は途中でかすれている。
液体が垂れた跡ではない。指先を押しつけ、一画ずつ短く引いた跡だ。
「これは、人が書いたものです」
私が言うと、トウマさんの目がケースから私へ移った。
「根拠は」
「位置と、線の端です。ケースを棚に置いて書いた文字じゃありません。石畳に置かれた状態で、低い場所から、指先で押しつけるように書いています」
私は文字の端をライトで照らした。
赤黒い線の端に、乾いた白いコーティング剤が薄く入り込んでいる。
「それに、最近書かれたものでもありません。文字が先で、そのあと隠すようにコーティング剤がかかっています」
職員のペン先が止まった。
「この『返せ』は、ケースが封止される前からあった文字です」
トウマさんがすぐに指示を出す。
「ケースへ直接触れないでください。外周撮影、文字部分の採取、VLT-N404-C06の照合を先に」
突然、ヴァルト担当者が声を上げた。
「中身を確認しないのですか」
トウマさんは彼を見た。
「確認します。ただし、証拠保全手順に従って」
「危険物なら、すぐ隔離を」
「危険物かどうかも含めて、証拠です」
ヴァルト担当者の唇が歪んだ。
彼の手が、ケースの縁へ伸びかける。
トウマさんが1歩、間に入った。
「触れないでください。外周撮影が先です」
「危険物なら、こちらで隔離手順を」
「いまの発言も残します」
担当者は言葉を切り、手を下ろした。
職員の端末には、公式説明の待機ページと広報監視用の小窓が開かれていた。
その小窓では、昨日の救助切り抜きがまだ回っている。
待機ページの関連語欄には「白線の人」「ヴァルト疑惑」「深草迷宮」が増え、事故調査課の公開待機者数も一段上がっていた。
外周撮影が終わる。
文字部分の採取フィルムが、防護袋へ入れられる。
職員が防護手袋をつけ、ケースのロックへ手をかけた。
「ミオさん、離れてください」
「完全には開けないでください」
反射で言っていた。
トウマさんが私を見る。
怒ってはいない。止める準備をしている目だ。
「理由を」
「封止されていた空気が一気に抜けます。中身より先に、漏れ方を見たいです」
トウマさんは1秒だけ考えた。
「では、ミオさんはケースから離れる側、白線の安全側へ。開封角度はあなたが指定してください」
禁止ではなく条件として出された譲歩に、私は頷く。
「右側を3センチだけ。青く光る結晶片が上へ舞ったら閉じる。石畳へ落ちたら採取できます」
「記録しました」
職員がロックを外す。
ケースの下へ、吸着シートが敷かれる。
ケースが3センチだけ開いた。
隙間から、青い光が薄く漏れる。
ケースの下に敷かれた吸着シートの端が、静かに青く染まった。
「深層素材の反応です」
私は言った。
職員がライトを当てる。
ケースの内側には、透明な保管カプセルが固定されていた。
カプセルの中心に、青黒い結晶片が留められている。
カプセルの底面に、小さな紙片が貼りついていた。
文字がある。
KGH-0217-H。その番号を見た瞬間、私は白テープの端を握った。
指先が冷えた。
素材用の管理番号ではない。
この表記は、探索者登録番号に使われるものだった。
職員が、紙片の番号を端末に入力した。
検索結果が出るまで、数秒かかった。
探索者データベースには、久我ハルトの記録が表示された。
―――――――――――――――――――――――――
登録: 抹消済み。事由: 行方不明。
最終活動: 深草迷宮2層旧搬入口。
―――――――――――――――――――――――――
家族欄には、久我アキト。続柄: 兄。
届出人の欄にも、同じ名前があった。
「……アキトさんの、弟さんです」
言ったのは、私だった。
声が自分のものではないみたいに聞こえた。
誰も、すぐには口を開かなかった。
端末の白い画面だけが、ケースの青黒い光を受けていた。
私は清掃バッグのベルトを握ったまま、透明な保全カバーから1歩ぶん離れて立っていることに気づく。
トウマさんも、すぐには次の指示を出さなかった。
3年前、第7ダンジョン2層旧搬入口事故で行方不明。
公式記録では、魔素濃度上昇による迷宮内消失。
その人の登録番号が、未登録縦穴から出てきたヴァルトの封止ケースに残っている。
昨日まで、私が追っていたのは「過去6件の事故」という6つの数字だった。場所も、原因も、ばらばらに並んだ事故の一覧。
その6件のうち1件が、いま、アキトさんの弟さんの名前になった。
きっと、ハルトさんはここで何かを残している。
その何かを、私が読み取らなければいけない。
それだけで、もう偶然ではなかった。
ケースの側面に書かれた「返せ」。
それは深層素材が言った言葉ではなく、怪異の呪いでもなく、ケースが封止される前に、誰かが残した言葉だった。
ただ、誰が書いたのかはまだ分からない。
何を返せと言ったのかも、まだ分からない。
画面の中では、久我ハルトという名前だけが動かずに残っている。
それを見てから、トウマさんは職員へ向き直った。
「久我ハルト氏関連資料を全件保全。ヴァルト提出の搬出物一覧、運用ログ、VLT-N404-C06の管理番号照合表を優先照会してください」
私はケースから離れる側に立ったまま、透明な保全カバーの中のケースを見た。
3年前の事故現場から出てきたヴァルトのケースの中にあった番号が、久我ハルトという名前へつながった。
けれど、アキトさんへ伝えるには順番がいる。
噂ではなく、記録として渡せる形にしなければいけない。
「先に、記録を残しましょう」
私が言うと、トウマさんが静かに頷いた。
「一緒に記録します」




