冥界王との労使交渉と、究極の「有給休暇」宣言
「……ここが、社長さんのオフィスか。ずいぶんと天井が高くて立派だけど、照明が暗くて目が悪くなりそうだね」
次元の最下層、すべての魂を裁く絶対領域――『閻魔庁』の最奥部。
俺、ジンは、手作りの三段重(お弁当)を抱え、のんきな足取りで巨大なホールの中心へと進み出た。
俺の後ろには、ガクガクと震えながらついてくる元・暗殺者のルミナと、案内役の三人の『冥府の執行官』。そして、「キュゥゥン」と鼻を鳴らしながら俺の踵に擦り寄ってくる、三つ首の巨大な駄犬が続いている。
「…………ッ!!」
ホールの一番奥、『裁きの玉座』に腰掛けていた冥界王ハデスは、その光景を見て、あまりの屈辱と混乱に声すら出せずにいた。
自軍の最強エージェントが、まるでツアーガイドのようにお辞儀をしている。
絶対的な防衛ラインであるはずの地獄の番犬が、尻尾を振りながら人間に媚びを売っている。
冥界の尊厳は、この麦わら帽子の男が歩いた軌跡の上で、ことごとく粉砕されていた。
『……ヨクゾ来タ、生者ヨ。我ラガ領域ヲ蹂躙シタ罪、最早万死ニ値スル……ッ!』
ハデスが、立ち上がった。
漆黒のローブから立ち昇る、絶対的な「死」のオーラ。それは、神々ですら触れれば塵と化す、宇宙の終焉を凝縮したような猛毒の瘴気である。
『貴様ガ何者デアロウト関係ナイ。我ハ冥界ノ王! 宇宙ノ循環ヲ乱ス異分子ハ、コノ手デ直接、虚無ヘト還シテクレルワァァァッ!!』
ハデスが、身の丈の三倍はある『終焉の大鎌』を振り上げ、ジンに向かって飛翔した。
玉座の間を埋め尽くすほどの死の波動が、大津波となってジンに襲い掛かる。
だが。
俺の【全言語翻訳(Lv.MAX)】スキルは、ハデスのその威圧的な殺意を、このように翻訳していた。
『……よくも来やがったな、クレーマー(元凶)め! お前のせいでうちの会社は倒産寸前なんだよ! 営業妨害も甚だしい! お前なんか出禁だ! 慰謝料払って今すぐ帰れェェェッ!!』
「…………」
俺は、大鎌を振り下ろしてくるハデスに対し、逃げも隠れもせず、ただ深く、深く頭を下げた。
「社長さん! この度は、俺の『ルールの説明不足』のせいで、そちらの会社に多大なるご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした!!」
『――……ハ?』
ドスゥゥゥゥンッ!!!
ハデスの振り下ろした大鎌は、ジンの頭上の『神使の輪』が放つ「心からの謝罪バリア(管理者権限の絶対防御)」に阻まれ、火花を散らしてピタッと停止した。
「俺が、あの双六の時に『一回休み』なんて中途半端なルール(仕様変更)を提案したせいで……人間界で、休息のない無限労働(ブラック奴隷化)なんていう悲劇を生んでしまった。そのしわ寄せで、社長さんの会社も仕事がなくなってしまったんですよね」
『な、ナンダト……? 貴様、自分ノシタコトノ重大サヲ……理解シテイルノカ?』
「はい。ですから今日は、そのお詫びと、新しい『就業規則』のご提案に伺いました」
ジンは、頭を上げると、持っていた風呂敷包みを解き、見事な三段重の弁当箱をハデスの目の前にスッと差し出した。
「まずはこれ、うちの畑で採れた野菜と、魔界の特産品で作ったお弁当です。これを食べて、少し落ち着いてお話ししませんか?」
『……バ、バカニ・スルナァァァッ!! 誰ガ貴様ノヨウナ生者ノ食事ナド……ッ!』
ハデスが大鎌を振るって弁当を弾き飛ばそうとした、その瞬間。
弁当箱の蓋がわずかに開き、中から『生命の霊薬』と同等の輝きを放つ、暴力的なまでの出汁の香りと、魔力最適化された肉の旨味が溢れ出した。
『…………ッ!?』
ハデスの全身の骨が、いや、冥界のシステムそのものが、数十日ぶりの「超高密度のエネルギー(栄養)」の匂いに、強制的にフリーズした。
「ほら、社長さん。お腹が空いてると、良いアイデアも浮かびませんよ」
ジンが、箸で卵焼き(※天界の神鳥の卵を使用)を摘み、呆然としているハデスの口に「あーん」と放り込んだ。
『…………!? !!? !!!??』
冥界王の脳内に、ビッグバンが起きた。
『美味い! ナンダコレハ! 出汁ノ旨味ガ……死ノ概念デ構成サレタ我ガ霊体ニ、熱トシテ浸透シテイク……ッ! 噛ムホドニ溢レル優シサ……! コレガ、コレガ生者ノ喜ビ……ッ!』
ハデスは、気付けば大鎌を放り捨て、両手で三段重を抱え込み、涙(青い炎)をボロボロとこぼしながら、猛烈な勢いで弁当を貪り食っていた。
▼▼▼
食後。
すっかり毒気(と空腹)を抜かれ、お茶をすする冥界王ハデス。
その対面には、腕を組んで真剣な表情を浮かべるジンが座っていた。
「……なるほど。人間界の領主たちが『死なないなら休ませる必要はない』と、領民をゾンビのように24時間働かせている。そして、死後の世界であるここ(冥界)には魂が来なくなり、経営破綻しかけていると」
『左様ダ……。貴様ノ「一回休ミ」トイウ概念ハ、魂ノサイクルヲ完全ニ狂ワセタ。人間界ハ、安息ノナイ地獄ト化シテイルノダ……』
ハデスが、お茶請けの温泉まんじゅうを食べながら渋い顔をする。
「最低だ。労働基準法をなんだと思ってるんだ。……社長さん、これはもう『一回休み』なんて生易しいルールじゃダメです」
「……ト、言ウト?」
ジンが、バッと立ち上がった。
「『一回休み(休憩)』の後には、必ず『有給休暇』を挟まなきゃいけないルールにしましょう! 働いて、倒れて、そのまままた働かせるなんて絶対に許されない! 魂には、手厚い慰労とバカンスが必要なんです!」
『……ユウキュウ・キュウカ? ナンダソレハ?』
「生前、一生懸命働いた魂たちが、次の人生(輪廻転生)に向かう前に、温泉に入ったり、美味しいものを食べたりして、最高の気分で休める『ご褒美の期間』のことですよ! つまり……この冥界を、魂の『超高級リゾート施設』にリニューアルするんです!」
カァァァァァァァァァァッ……!!!!
ジンが高らかに宣言した瞬間。
ジンの頭上の『神使の輪』が、冥界創生以来、最大出力の白銀の光を放った。
ジンの【全言語翻訳(Lv.MAX)】に付随する「管理者権限」が、宇宙の基幹システムである『死』の概念を、強引に、かつ不可逆的に【魂の慰安旅行】へとパッチ修正(上書き)したのである。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!!
「な、何ガ起キテイル……ッ!?」
ハデスが驚愕の声を上げる。
薄暗く、陰惨だった閻魔庁の天井がパカッと開き、そこから『常夏の太陽(※魔力で作られた擬似太陽)』の光が降り注いだ。
冷たい石造りの床は、ふかふかの真っ白な砂浜へと変貌し、針の山や血の池地獄は、見渡す限りの「超大型温泉プール」と「南国風のスパリゾート」へと強制的にリノベーションされていく!
そして、ハデス自身が纏っていた漆黒のローブも、光に包まれたかと思うと――。
『ア、アァ……!? 我ガ、我ガ冥界王ノ威厳アル正装ガ……ッ!』
光が収まった後、そこには、真っ赤なハイビスカス柄の【アロハシャツ】を着て、首からレイ(花の首飾り)を下げ、手にはトロピカルジュースを持たされたハデス(リゾート支配人)の姿があった。
「おおー! 似合ってますよ、支配人! これなら、人間界から来るお客さん(魂)たちも、安心してくつろげますね!」
ジンが満面の笑みで親指を立てる。
『支配人!? 我ハ冥界ノ王ダゾォォォッ!!』
「ほら、君たちも! これからは魂を刈り取るんじゃなくて、おもてなしするベルボーイだ!」
ジンが指差すと、漆黒のローブを着ていた『冥府の執行官』たちも、瞬く間に「パリッとしたホテルマンの制服(アロハ仕様)」へと着替えさせられていた。
『――システム・アップデート完了。我ラハコレヨリ、お客様ノお荷物ヲお持チシ、最高ノ笑顔デ接客ヲ実行シマス』
死神たちが、完璧な角度でお辞儀をする。
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(…………本日の、三錠目。いや、もう数えるのも馬鹿馬鹿しいですわね)
ルミナは、リゾートホテルと化した閻魔庁のロビー(旧・玉座の間)で、ココナッツジュースを啜りながら、真顔で胃薬を噛み砕いていた。
「終わりました……。宇宙の絶対的なサイクルである『死』が、ジン様の手によって『有給消化のためのハワイ旅行』へと書き換えられました……。冥界王はアロハシャツを着せられ、死神はホテルマンに……。私の常識も、いよいよ輪廻の輪から外れそうです……」
「社長さん、いや、支配人! さっそく人間界で『ブラック労働』させられてる魂たちを、有給休暇に招待してあげましょう! 最高のサービスで、日頃の疲れを癒してあげるんです!」
『……クッ、殺セ……ッ! 冥界ノ尊厳ガ……アロハシャツに……ッ!』
ハデスは、トロピカルジュースを握りしめながら膝から崩れ落ちた。
かくして。
ジンの勘違いから生じた「死なない世界」のバグは、冥界を『魂の超高級リゾート施設』へと強制リノベーションするという、宇宙の創造神すら腰を抜かす規格外の方法で解決(?)へと向かうのであった。




