三途の川の観光船コンサルと、冥府の番犬の腹見せ
「……ここが、君たちの会社の入り口?」
『――肯定。ココヨリ先ハ、生者ノ理ヲ拒絶スル死ノ領域……【冥界】デス』
『深淵の森』のさらに奥深く、空間の歪みを抜けた先に広がっていたのは、太陽の光が一切届かない、灰色の空と荒涼たる大地だった。
空気は氷のように冷たく、呼吸をするだけで生命力が削り取られていくような、絶対的な『死』の気配が充満している。
俺、ジンは、案内役の三人の『冥府の執行官』たちに連れられ、薄暗い河のほとりへとやってきていた。
目の前を流れるのは、どす黒く濁った巨大な河。水面からは無数の亡者の手が伸び、苦悶の声を上げている。
「うわぁ……ずいぶんと水質が悪い河だね。不法投棄でもされてるのかな」
「ジ、ジン様……! アレは水質汚濁などではありません! 魂の重さに耐えきれず沈んだ罪人たちが苦しむ、正真正銘の『三途の川(アケロン河)』ですわ!」
俺の後ろを歩いていた元・暗殺者のルミナが、手作りの三段重(お弁当)を抱えながら、ガチガチと歯を鳴らして叫んだ。
「おや? 船着き場に誰かいるよ」
俺が指差した先、朽ち果てた木の桟橋には、ボロボロの小舟と、長い櫂を持ったボロ布姿の骸骨が、体育座りをして頭を抱えていた。
『アァ……。ドウシテ、ドウシテ魂ガ来ナイノダ……。コレデハ、舟ノ維持費モ、ローンノ返済モデキナイ……。私ノ舟ガ、差シ押サエラレテシマウ……』
怨念と絶望が入り混じった、身の毛もよだつような怨嗟の声。
だが、俺の【全言語翻訳(Lv.MAX)】スキルは、この骸骨の嘆きを「不況の煽りを受けて、自営業の資金繰りに苦しむおじさんのリアルな愚痴」として完璧に翻訳していた。
「……あの人、渡し守さん? ずいぶんと落ち込んでるみたいだけど」
俺が歩み寄ると、骸骨――三途の川の渡し守であるカロンは、空ろな眼窩の奥の青い炎を揺らしてこちらを見上げた。
『……生者……? バカな、ナゼ生者ガ冥界ニ……。いや、誰デモイイ。頼ム、私ノ舟ニ乗ッテクレ! 運賃ノ六文銭(魂ノ欠片)ヲ払ッテクレ! サモナケレバ、私ハ借金(魔力枯渇)デ消滅シテシマウ!』
カロンが、すがるように俺の足首を掴んできた。
骨だけの指先から放たれる凍てつく冷気が、本来ならば生者の肉体を一瞬で壊死させるはずだったが――俺の『神使の輪』がその冷気を「ちょっと冷え性の手」へと自動でデバッグ(無効化)していた。
「なるほど。お客さんが全然来なくて、船のローンが払えないんだね。それは辛いなぁ」
俺は、カロンの骨の肩を優しくポンと叩いた。
「でもね、渡し守さん。ただ待ってるだけじゃダメだよ。この川、ちょっとドロドロしてて不気味だけど、見方を変えれば『最高のアトラクション』になると思わない?」
『……アトラクション?』
「そう! 亡者の手が伸びてくるスリル満点の『三途の川・激流ライン下り』! 冥界の社員さんたちや、たまに来る視察のお客さん向けに、観光船としてリニューアルするんだよ!」
カッ……!!!
俺が提案した瞬間、神使の輪が眩い光を放ち、宇宙の法則を強制的に書き換えた。
どす黒く濁っていた三途の川の水質が、突如として「エメラルドグリーンに輝く、程よくスリリングな激流(※亡者の手は安全なアトラクションのギミックに変更)」へとパッチ修正されたのである。
おまけに、ボロボロだった小舟は、ライフジャケット完備の頑丈な『観光用ゴムボート』へと姿を変えていた。
『な、ナンデストォォォッ!? 私ノ……数千年ノ伝統アル渡し舟ガ……!』
「これなら、お客さんもスリルを求めて乗りに来てくれるよ! はい、これ、観光船の再建マニュアル(※ただのメモ帳)! 頑張ってローン返してね!」
『オ、オオォォォッ……! 激流ライン下リ……。コレナラ、冥界ノ新タナ名物ニナルカモシレナイ……! アリガトウ、生者ヨ! 私ハモウ一度、舟ヲ漕イデミセル!』
カロンは、真新しいオールを掲げ、感動の涙(青い炎)を流しながら、観光船の営業準備を始めてしまった。
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(…………本日の、二錠目)
ルミナは、激流ライン下りのポスターを自作し始めた骸骨を横目に、胃薬を口に放り込んだ。
(終わっています……。冥界の入り口である三途の川が、ジン様の一言で『絶叫系テーマパーク』へと姿を変えました……。もはや、この方に通行税や関所という概念は通用しないのですわ……)
「よし、川も渡ったし、社長さん(冥界王)のオフィスまであと少しだね」
執行官たちに案内され、荒野を進む一行。
やがて、天を衝くほどの巨大な漆黒の門――『冥府の門』が見えてきた。
そして、その門の前に鎮座していたのは、山のように巨大な体躯を持つ、三つ首の魔犬だった。
「グォォォォォォォォォォッッ!!!」
大気を震わせ、魂をすり潰すような圧倒的な咆哮。
冥界の絶対的な番犬、『地獄の番犬』である。
「ヒィィィィッ!? け、ケルベロスですわ! ジン様、アレはダメです! 神の軍勢すら噛み砕く、冥界最強の門番……ッ!」
ルミナが弁当箱を抱きしめて後ずさる。
冥府の玉座から、ハデスの『生者を食い殺せ!』という絶対命令を受けたケルベロスは、三つの口から灼熱の業火と猛毒のよだれを垂らし、ジンに向かって跳躍した!
――ドスゥゥゥゥンッ!!!
地響きを立てて、ジンの目の前に着地した巨大な三つ首の魔犬。
だが、その真ん中の首が、ジンの『麦わら帽子』と『のんきな笑顔』を視認した瞬間。
『……ピタッ』
ケルベロスの動きが、完全にフリーズした。
三つの巨大な顔が、信じられないものを見るように見開かれ、みるみるうちに「恐怖」と「トラウマ」に染まっていく。
「あ、お前。どっかで見たことあるなと思ったら、この前、魔界の『サファリパーク(※魔界の超危険地帯)』にいたワンちゃんじゃないか! 元気にしてた?」
そう。ジンは、第2章で魔界へ慰安旅行へ行った際、たまたま出くわしたケルベロスの別個体(あるいは親戚)に対し、のんきに「お手」や「お座り」を強要し、宇宙の法則レベルで『ただの駄犬』へとデバッグした前科があったのだ。
『キ、キュゥゥゥゥゥンッ……!?(な、ナンデアンタガコンナトコロニイルノ!? アノ時、俺ノ親戚ガ『狂犬病ノ予防接種(※ジンの魔力注入)』サレテ、三日三晩寝込ンダンダゾォォォッ!?)』
冥界最強の番犬は、ジンの顔を見た瞬間、すべての戦意を喪失した。
「ほら、よしよし。いい子だねぇ。お座り!」
『……スッ』
ケルベロスは、反射的に、山のような巨体を縮こまらせて、完璧な姿勢で『お座り』をした。
「お手! おかわり!」
『(ブルブル震えながら)……スッ、スッ』
巨大な前足が、ジンの小さな手のひらに、そっと乗せられる。
「ははは! 賢いなぁ。よし、ご褒美だ。ジャーキー(※魔界の干し肉)食べるか?」
ジンが鞄から干し肉を取り出すと、ケルベロスは三つの尻尾を千切れんばかりに振り回し、ジンの足元にゴロンと仰向けになって『へそ天(服従のポーズ)』をキメてしまったのである。
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一方その頃、冥界の閻魔庁。
「バ、バ、バ、バカなァァァァァァァッッ!!!」
遠隔視覚の映像で、自軍の最強の防衛ライン(三途の川とケルベロス)が、わずか数分で「レジャー施設」と「駄犬」に成り下がる様を見せつけられた冥界王ハデスは、玉座から滑り落ちて白目を剥いていた。
「我が……我が冥界の誇りが……尊厳が……! ただの『麦わら帽子の人間』に、撫で回されているだとォォォッ!?」
もはや、軍事力やシステムによる防衛は不可能。
ハデスは、震える手で自らの顔を覆った。
「……こうなれば、仕方あるまい。奴がここへ来る前に、私が直接『交渉(あるいは刺し違える覚悟)』をするしかない……!」
冥界の王は、ボロボロになったプライドをかき集め、ジンの待ち受ける冥府の門へと、自ら重い足取りで向かうのであった。




