天界のストライキと、裏庭の炊き出し
「……ズズッ……うぅっ……創造神様、申し訳ありません……。クーリングオフ、されてしまいました……」
天界の最深部、『創造神の管理中枢』。
純白の神殿に、天界の全軍を統べる大天使長ミカエルの、あまりにも情けない嗚咽が響き渡っていた。
泥だらけのスーツ、光を失った六枚の翼。彼はジンから貰った空の湯呑みを大事そうに抱きしめながら、魂の抜け殻のようになっていた。
「ミカエル様……! あの無敵の大天使長が、心に深いトラウマを負って帰還されたぞ……!」
「監査局長のヴェリタス様に続き、ミカエル様まで……。もはやあの『ボロ小屋』は、我々がどうにかできる特異点ではない……!」
下級天使や神官たちが、絶望の表情でざわめき合う。
だが、その絶望は、やがて別の感情へと変質し始めていた。
「……なぁ。あのボロ小屋に行けば、最高に美味い『麦茶』が飲めて、極上のマッサージが受けられるんだろ?」
「それに、あのジンという男は、我々の『過重労働(宇宙の管理)』を心から心配してくれるらしいじゃないか……」
「……俺、もう何万年も有給取ってない。毎日毎日、下界のバグ処理ばかりで……もう限界だ」
一人の天使の呟きが、引火した火薬のように天界全体へと燃え広がった。
そう、天界の神々は疲弊していたのだ。終わりのない宇宙の維持管理という名の『超絶ブラック労働』に。
「そうだ! バグの処理なんて、全部あのボロ小屋(ゴミ箱)がやってくれるんだ! 我々が働く意味なんてない!」
「ストライキだ! ボイコットだ! 俺たちも、あのボロ小屋で麦茶を飲んでスローライフを送るんだァァァッ!!」
「お、お前たち、正気か!? 持ち場を離れれば、星々の瞬きが止まってしまうぞ!」
ヴェリタスが必死に制止しようとするが、もはや限界を迎えた社畜(天使)たちの暴走は止められなかった。
「うるせぇぇッ! 宇宙の法則より、俺の有給休暇の方が大事なんだよォォォッ!!」
かくして。
天界創生以来、初となる『神々の大規模ストライキ』が勃発したのである。
▼▼▼
一方その頃、人間界。
『深淵の森』のボロ小屋では、のどかな秋の午後が過ぎていた。
「いやぁ、今日は一段と空が澄んでるなぁ。……おや?」
縁側で干し柿を作っていた俺、ジンは、青空に無数の「光の筋」が走っているのを見つけた。
シュゥゥゥゥッ……!!
ピカッ! キラキラキラ……!
「おおーっ! 昼間から流星群だ! すごい数だなあ!」
俺が麦わら帽子を押さえて歓声を上げると、隣で大根を洗っていた勇者レオと、新聞(魔界日報)を読んでいた大魔王ゼアノスが、顔面を真っ青にして空を仰いだ。
「なっ……!? ジ、ジン殿! あれは流星ではない! 天界の神使たちが、自らの神格を放棄して、物理的に下界へ堕ちてきているのだッ!」
「マジっすか!? 天使が空から何十人も降ってくるなんて、世界の終わり、いや『天地崩壊』の予兆っすよ!!」
ゼアノスとレオがパニックに陥る中、光の筋は次々と『深淵の森』の周囲、そしてボロ小屋の裏庭へと墜落してきた。
ズドォォォォンッ!!
ドサッ! ボスッ!!
「いっててて……。つ、着いた……。ここが噂の、究極の癒やしスポット……」
「休ませてくれ……。書類仕事はもう嫌だ……。麦茶を……」
裏庭の土煙の中から這い出してきたのは、純白の法衣を泥だらけにし、背中の羽をボロボロにした天使たちだった。
その数、ざっと五十人。
全員が死にそうな顔で地面を這いつくばり、ジンのボロ小屋に向かって手を伸ばしている。
「ひぃぃぃぃッ!? て、天界の軍勢が、ジン様のボロ小屋に直接攻め込んできましたわぁぁッ!」
クラリスが聖剣を抜いて震え上がる。
だが、俺の【全言語翻訳(Lv.MAX)】スキルは、天使たちが放つ『神聖なる悲鳴』を、このように翻訳していた。
『うわぁぁん! もう残業は嫌だぁぁ! 社長(創造神)のパワハラに耐えられない! 頼む、匿ってくれ! 暖かいご飯と寝る場所を恵んでくれぇぇっ!』
「…………」
俺は、干し柿の紐を結ぶ手を止め、深く、深くため息をついた。
「……なるほどね。本社のブラックな労働環境に耐えかねて、下請け(うち)の噂を聞きつけた社員さんたちが、集団で逃げてきちゃったのか」
俺は、地面を這いずる天使たち(※神話級の存在)を見下ろし、優しく微笑みかけた。
「みんな、よく頑張って逃げてきたね。辛かったでしょ」
「あ、あぁ……。貴方が、ジン様……ッ! そうです、私たちはもう限界で……」
『うぅっ……。ジンさん、俺たちに救いを……!』
「よし。ルミナ、クラリスさん! 大鍋を出して! 急いでお湯を沸かすんだ! レオ君とゼフさんは、物置からブルーシートと毛布を全部出してきて!」
「えっ!? じ、ジン様、この者たちをどうされるおつもりで!?」
ルミナが目を白黒させる。
「決まってるだろ。『炊き出し』だよ。こんなにボロボロになるまで働かされて……まずは温かい豚汁とおにぎりでお腹を満たしてあげないと。その後のことは、食べてから考えよう」
▼▼▼
(…………本日の、一錠目。いや、もう数えるのはやめましょう)
ルミナは、完全に感情の抜け落ちた顔で、大鍋に野菜を放り込んでいた。
「終わりました……。天界の運行を司る上位天使たちが集団脱走し……あまつさえ、ジン様が彼らを『ブラック企業から逃げてきた可哀想な人たち』として、裏庭で炊き出し(豚汁)を振る舞っている……」
ボロ小屋の裏庭にはブルーシートが敷かれ、大魔王ゼアノスが「ほれ、毛布だ。風邪を引くでないぞ」と天使たちに毛布を配り、古代邪神ゾルギアが「若いのに苦労しとるのう」と温かいお茶を注いでいる。
「うまっ……! なんだこの豚汁……! 五臓六腑に染み渡る……!」
「塩むすび……っ! ただの塩と米が、なんでこんなに美味しいの……っ!」
天使たちは、ジンが握ったおにぎり(※無自覚な魔力最適化により『生命の霊薬』と同等の回復力を持つ)を頬張り、ポロポロと涙を流しながら貪り食っていた。
もはやそこには、神と悪魔という種族の壁すら存在しない。ただ「疲れた労働者」と「心優しき炊き出しのボランティア」がいるだけである。
「ゆっくり食べてね。おかわりはいっぱいあるから」
ジンが割烹着姿で笑顔を振りまく中、事態はさらに最悪(最高)の方向へと転がり始める。
「……フザケルナ。誰ノ許可ヲ得テ、勝手ニ休息ヲトッテイル……ッ!!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………!!!!
突如、空が『真っ黒』に反転した。
昼間であるはずの空に、無数の亀裂が走り、宇宙の深淵から直接、底知れぬ怒りの声が響き渡った。
「ヒィィィィッ!? しゃ、社長(創造神)だァァァッ!!」
豚汁を飲んでいた天使たちが、一斉に悲鳴を上げてブルーシートの端に縮こまる。
空の亀裂を押し広げ、ついに、この宇宙のすべてを創り出した絶対的な存在――『創造神』が、自らの社員(天使)を連れ戻すために、ボロ小屋の上空へと直接その姿を現したのである。
「ジ、ジン殿ォォォッ! アレはダメだ! アレだけは流石に勝てん! 宇宙の『ルールそのもの』だぞォォォッ!!」
ゼアノスが絶望のあまり尻餅をつく。
だが、ジンはお玉を持ったまま、空の亀裂を見上げて不満げに眉をひそめた。
「……あーあ。とうとう『ブラック企業のワンマン社長』が、直接社員を怒鳴り込みに来ちゃったよ。非常識だなぁ」
宇宙の創造主を相手に、ジンの「労働基準法(物理)」を守るための闘いが、いよいよ幕を開けようとしていた。




