星の終焉を告げる地殻変動と、便利な「床下収納」(中編)
『原初たる混沌の牢獄』。
その入り口に足を踏み入れた瞬間、勇者レオと大魔王ゼアノスは、肺が凍りつくような冷気に襲われた。
松明の火すらも呑み込む濃密な闇。壁には、触れた者の肉体を腐敗させる呪詛の文字が刻まれ、奥からは数万年の恨みを孕んだ亡霊の啜り泣きが聞こえてくる。
「ひ、ひぃぃ……。ゼフさん、これマジで洒落になってないっすよ。一段下りるたびに、俺の聖剣が『ここから逃げろ』って震えてるんすけど……」
「……我が魔力も、この深淵の瘴気に食い荒らされておる。ジン殿、せめて我の背後に……」
ゼアノスが警告しようと振り返った、その時だった。
「あー、やっぱり空気が澱んでるね。湿気もひどいし、これじゃあお米や味噌を置いたらすぐにカビちゃうよ。レオ君、そこにある『空気清浄機(換気扇)』、スイッチ入れてみて」
「……え? かんきせん?」
ジンが指差したのは、通路の天井に設置された、巨大な刃が回転する「断罪の処刑鎌」だった。
本来は侵入者の首を一瞬で跳ね飛ばす、不可視の魔風を纏った死の罠である。
「よし、僕がやるよ。……よいしょっと」
ジンが、麦わら帽子の上の『神使の輪』をひょいと手に取り、回転する刃に向かって投げつけた。
カッ……!!!
聖なる光が物理法則を強引に上書きする。
処刑鎌から放たれていた殺戮の魔風は、瞬時に『爽やかなミントの香りがするサーキュレーターの風』へとデバッグ(最適化)された。
「おお! 動き出したね。うん、いい風だ。これで換気はバッチリだね」
「…………」
ゼアノスとレオは、首を刈るはずの旋風を顔に浴びながら、絶句した。
迷宮のトラップが、ジンの手によって「空調設備」として再利用された瞬間であった。
▼▼▼
(…………本日の、二錠目。……いや、三錠目でしたか)
ルミナは、ピカピカに磨き上げられた階段を(掃除機ロボのおかげで)下りながら、胃薬を喉の奥へ押し込んだ。
彼女の暗殺者としての勘が、この迷宮の「本当の恐怖」を告げていた。
ここはただの迷宮ではない。奥へ進むほど、物理的な空間そのものが「悪意」に満ちて歪んでいるのだ。
「キュイィィン♪ 汚れ、発見ニャ! 徹底的に抹消するニャン!」
先頭を走る白銀の円盤ロボットが、ガシャガシャと『粒子分解レーザー』を乱射し、通路に巣食う怨霊や亡者たちを「塵芥」として一瞬で消去していく。
もはや、迷宮の住人たちにとっては、この掃除機こそが「死の神」そのものであった。
だが、迷宮の「核心」は、そんな彼らの前へ、ついにその巨大な姿を現した。
ズズゥゥゥゥゥンッ……!!!
通路が急に開け、広大なドーム状の空間に出た。
そこには、神話の時代に創造神に牙を剥き、地下深くに封印されたという伝説の原初の番人――『死の魔竜』マルファスが鎮座していた。
全長百メートルを超える、骨と腐肉に覆われた巨大な体。
その眼窩には紅蓮の炎が宿り、ただそこに存在するだけで周囲の生命エネルギーを吸い尽くす、宇宙最凶の「バグ(怪物)」である。
「グォォォォォォォォォォォォッッ!!!」
魔竜の咆哮が迷宮を揺らし、レオとゼアノスは強烈な威圧感にその場に膝をついた。
「ま、マルファス……ッ! 実在したのか! 天界の禁忌目録に記された、世界を一度滅ぼしかけた死の権化が……ッ!」
「……終わった。我らの命も、ジン殿の日常も、すべてこの竜の息吹で塵に……」
だが。
懐中電灯でその巨体を照らしたジンは、眉をひそめてこう言った。
「うわぁ……。これ、ひどいなぁ。地下室を放置しすぎたせいで、こんなに大きな『ネズミの死骸』が転がってるよ。不衛生だなぁ」
「…………ねずみ?」
ゼアノスが、裏返った声を上げた。
「これじゃあ臭いも出るし、何より場所を取りすぎだよ。よし、お掃除機くん! これ、早めに『不燃ゴミ』として処分しちゃってくれる?」
『了解ニャ! 巨大な不衛生ゴミ、直ちにデリートするニャン♪』
円盤ロボットのセンサーが、魔竜マルファスを『粗大ゴミ』としてロックオンした。
「グ、グオォ……!?(な、なんだこの円盤は……!? 殺気が、殺気が私の存在概念を消去しようとして……ギャ、ギャアアアアアッ!?)」
殺戮兵器(掃除機)から放たれた、フルパワーの『存在抹消波動』。
神々すら封印することしかできなかった原初の魔竜は、戦う間もなく、一瞬にして『チリ一つない光の粒子』へと分解され、掃除機ロボの内蔵タンク(異次元空間)へと吸い込まれていった。
「ふぅ。スッキリしたね。やっぱり定期的に大掃除しないとダメだなぁ」
ジンは、魔竜がいた場所をホウキでサッサッと掃きながら、のんきに笑った。
世界を滅ぼす災厄が、ジンの手にかかれば「掃除の邪魔な大型ゴミ」に過ぎなかった。
▼▼▼
(…………四錠目。……ああ、胃液が逆流してきました)
ルミナは、魔竜という概念すら消え去った平坦な地面を見つめ、静かに崩れ落ちた。
「終わりました……。宇宙創生の負の遺産が、ジン様の発言一つで『不燃ゴミ』として処理されました……。ジン様にとって、この迷宮の恐怖は、ただの『片付けの面倒くささ』でしかないのです……」
「よし、広いスペースが確保できたぞ! ここを棚にして、魔界の漬物石(呪いの石)を並べようかな」
ジンが楽しそうに壁の寸法を測り始める。
だが、その時。
ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
迷宮のさらに奥、魔竜が守っていた背後の巨大な扉が、ゆっくりと開き始めた。
そこから漏れ出してきたのは、先ほどの魔竜すら前座に思えるほどの、冷徹で、絶対的な『神の意志』。
「……ん? まだ奥に部屋があるのかな。大家さん、随分と広い地下室を作ったんだなぁ」
ジンの好奇心は止まらない。
だが、天界のヴェリタスがその映像を見て「そこは開けてはダメェェェッ!」とモニターに向かって絶叫していることを、彼はまだ知らなかった。
床下収納リノベーション(迷宮踏破)は、ついに「迷宮の主」が待つ最深部へと、土足で踏み込んでいく――。




