歩く大災害のスキンケアと、受付嬢の胃痛
「おーい、みんな。朝の水やりだぞー」
『わぁーい! お水だお水だー!』
『ジンお兄ちゃん、こっちにもちょうだーい!』
『ふぅ……冷たくて生き返るわぁ……』
雲一つない晴天の朝。
俺、ジンは『お悩み相談所・止まり木』の庭で、日課となった家庭菜園への水やりを行っていた。
ルミナが命懸け(?)で森の奥から持ってきた謎の苗たちは、俺の【全言語翻訳】スキルを通して毎日やかましいほどに話しかけてくる。
最初は不気味な赤黒い色をしていた葉っぱも、今ではツヤツヤとした健康的な深緑色になり、中には可愛らしい小さな蕾をつけ始めたものもある。
「ジン様! 本日の周辺警備、異常ありません!」
俺が微笑ましく葉っぱを撫でていると、エプロン姿のルミナがビシッと敬礼しながら報告にやってきた。
「ありがとう、ルミナ。でも、ここは森の入り口だし、そんなに張り詰めなくても大丈夫だよ。ほら、野菜たちもこんなに元気だし」
「はっ! 恐れながらジン様、それは彼らがジン様の圧倒的な覇気の前に完全恭順しているからに他なりません! 私が少しでも気を抜けば、瞬く間に魂を啜られ、干からびた骸に変えられてしまうでしょう!」
「……そ、そう? まあ、怪我だけはしないようにね」
(相変わらず、ルミナの冗談は物騒だなぁ……)
俺は苦笑いしながらジョウロを置いた。
その時だった。
ジュゥゥゥゥゥッ……!!
突然、森の奥から何かを強烈に焦がすような、異様な音が響いてきた。
同時に、ツンとした刺激臭が風に乗って漂ってくる。
「な、なんだ……?」
俺が目を凝らすと、木々の隙間から『それ』が姿を現した。
「ひっ……!? な、なぜ、あんなものが……ッ!!」
ルミナが顔面を蒼白にして後ずさる。
現れたのは、見上げるほど巨大な、ドロドロとした緑色の半透明な塊――巨大スライムだった。
ただのスライムではない。その巨体が触れる端から、周囲の草木がシュウシュウと煙を上げて溶け、地面が黒く変色していく。
「『暴食の溶解粘性体』……ッ!!」
ルミナの震える声が、絶望を帯びていた。
(終わった……! スライム系は物理攻撃が一切通じないうえに、あれほどのサイズの溶解体となれば、魔法で吹き飛ばしても周囲に猛毒の酸を撒き散らすだけ。触れれば骨すら残らない、文字通りの『歩く大災害』……!)
ルミナが腰の短剣に手をかけつつも、どうやってジンを連れて逃げるべきか(逃げ切れるのか)と狼狽していると。
『あぁぁ〜……もう、最悪……。最近お肌の調子が全然ダメだわぁ……』
俺の脳内に、ひどく疲れたような、中年女性の溜め息混じりの声が響いた。
「え?」
俺は思わず二度見した。
『この森、最近乾燥がひどくない? そのせいで私の潤い成分(※猛毒の酸)が外に漏れ出ちゃって、もうカッサカサよぉ……。歩くたびに周りの木とか溶かしちゃって、近所迷惑だし……あーあ、どこかに良いエステでもないかしら……』
「…………」
どう見ても周囲を蹂躙する凶悪なモンスターなのだが、俺の【全言語翻訳(Lv.MAX)】にかかれば、その正体は「極度の乾燥肌に悩む、美意識の高いおばちゃん」だった。
「ルミナ、ちょっと待ってて。あのお客さん、お肌のトラブルで悩んでるみたいだ」
「は……? お、お肌……? ジン様、何を仰って……あっ、危険です!!」
ルミナの制止を振り切り、俺は巨大スライムの正面へと歩み寄った。
『あら? いやだ、人間の男の子じゃないの。ごめんなさいねぇ、今私、お肌が荒れちゃっててスッピンみたいなもんだから、あんまり見ないでちょうだい。あと、近づくと溶けちゃうわよ?』
「いらっしゃいませ。ここは『お悩み相談所』です。お肌の乾燥でお悩みですか?」
俺が普通に話しかけると、スライムの表面が「ポヨン」と驚いたように波打った。
『えっ? あなた、私の言葉がわかるの? しかもお悩み相談って……私のこの乾燥肌、どうにかできるの!?』
「ええ、お任せください。水分と油分のバランスが崩れて、防衛機能が過剰に働いている状態ですね。少しお待ちください」
俺は小屋の裏に回り、ルミナが先日持ち帰ってきた【腐食の魔土】をバケツにすくい、そこに保湿効果の高い『アロエモドキ』の汁をたっぷりと混ぜ合わせた。
「よし、特製マッドパックの完成だ」
「ジ、ジン様!? まさか、その泥をあの『歩く大災害』に……!?」
「ルミナも見る? スキンケアの参考になるかもしれないよ」
俺はバケツを抱えて戻ると、スライムの巨体に近づいた。
「今からこの特製の泥を全身に塗りますね。少しヒヤッとしますよ」
『あら、泥パック? 嬉しいわぁ。お願いするわね』
俺は躊躇なく、素手で特製マッドパックをすくい、スライムのドロドロの表面に塗りたくっていった。
ジュワァァァァッ!!
酸と泥が反応し、猛烈な勢いで白煙が上がる。
「ジン様ぁぁぁッ!!」
ルミナが悲鳴を上げた。
だが、俺の手は一切溶けていなかった。
というのも、【腐食の魔土】がスライムの強酸を中和し、アロエモドキの成分がぐんぐんとスライムの内部へと浸透していったからだ。
『ああっ……! しゅごいぃぃ……! 泥のミネラルがお肌の奥まで浸透していくのがわかるわぁ……! カサカサだった角質層が、プルップルに生まれ変わっていくぅぅ……!』
スライムはうっとりとした声を上げながら、その巨体をブルブルと震わせた。
数分後。
全身に泥を塗り終わった直後、スライムの体からポンッ! という軽い音が鳴り、ドロドロの緑色だった巨体が、透き通るような美しい水色へと変化した。
しかも、見上げるほどあったサイズが、バランスボールくらいの可愛らしい大きさにまで縮んでいる。
『信じられない……! あんなに荒れていたお肌が、赤ちゃんの頃みたいにプルンプルンよ! しかも酸が漏れなくなったから、もう周りを溶かすこともないわ! ありがとう、エステティシャンのお兄さん!』
「どういたしまして。これで気にせず森を散歩できますね」
スライムは嬉しそうに俺の足元でポヨンポヨンと跳ねると、「お礼に、お掃除手伝うわね!」と言って、庭に落ちていた枯れ葉を体内に取り込み、綺麗に分解し始めた。
「おっ、天然のルンバみたいで便利だな。よし、お前は今日から『プル』だ」
かくして、お悩み相談所に「世界を溶かす大災害・プル」が、全自動お掃除ロボットとして仲間入りした。
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(…………私が、間違っていたのだ)
一部始終を見ていたルミナは、木に寄りかかりながら、虚ろな目で空を見上げていた。
王国軍が束になっても敵わない、物理・魔法ともに耐性を持つ最悪の溶解スライム。
それを、ジンはただの「泥」と「雑草の汁」を素手で塗りつけるという、狂気としか思えない方法で完全に無力化してしまったのだ。
(強酸を素手で触れても無傷な無敵の肉体。そして、対象の魔力構造を泥一つで強制的に書き換え、無害な『愛玩動物(掃除用スライム)』へと作り変えてしまう、神をも恐れぬ錬金術の極致……!)
ルミナは震える手で、懐から持参していた胃薬(エルフの秘薬)を取り出し、ボリボリと咀嚼した。
(ジン様の前では、Sランクの魔物すらも、ただの汚れに過ぎない。このお方は、本気になれば一呼吸でこの世界を作り変えることができるのだ……! 私のような未熟者が、警備だの要塞化だのと、なんと烏滸がましいことを……!)
ルミナの中で、ジンへの評価はもはや「畏怖」を通り越し、「絶対的な宗教」の域へと到達しつつあった。
「ルミナ、どうかした? 顔色が悪いよ」
「い、いえ! ジン様の神業を拝見し、己の未熟さを痛感しておりました! 私も、もっとお掃除のスキルを極め、あのスライム(大災害)に負けぬよう精進いたしますぅぅッ!!」
「……? まあ、張り切りすぎるなよ」
今日も『お悩み相談所・止まり木』は、周囲の盛大な勘違いを乗せたまま、のどかに営業を続けるのだった。




