恐怖の殺人トマトと、元・暗殺者の家庭菜園
「うーむ……。そろそろ、食費について真面目に考えないといけないな」
爽やかな朝の光が差し込む『お悩み相談所・止まり木』のキッチン。
俺、ジンは、戸棚の奥にあるなけなしの保存食を眺めながら、腕を組んで深く息を吐き出していた。
森の入り口にあるこのボロ小屋は、家賃こそタダ同然だが、当然ながらスーパーもコンビニも近くにはない。
これまでは村で買い込んできた乾パンや干し肉で食い繋いできたが、それも徐々に底をつき始めていた。
「ジン様! おはようございます!」
そこに、エプロン姿のルミナが元気よくキッチンへ入ってきた。
エルフ特有の長く美しい銀髪を後ろでまとめ、透き通るような白い肌が朝日に照らされて輝いている。
彼女はあの日、俺に命乞い(?)をしてからというもの、自らこの相談所の『受付嬢 兼 専属メイド』として住み込みで働くようになった。
掃除や洗濯といった家事全般を一生懸命やってくれるので、俺としても非常に助かっている。たまに俺の些細な動作を見ては「ひっ、お命だけは……!」と怯える謎の癖があるが、まあ、エルフなりのジョークなのだろう。
「おはよう、ルミナ。いつも掃除ありがとう」
「も、もったいないお言葉です! 魔王……いえ、ジン様の玉座に塵芥一つ残さぬよう、粉骨砕身の覚悟で磨き上げさせていただきました!」
相変わらず大げさな子だ。
玉座って、ただの木製の丸椅子なんだけどな。
「実はさ、これからの生活費を浮かすために、庭で家庭菜園を始めようかと思ってるんだ」
「……カテイ、サイエン、でございますか?」
「そう。野菜を自分たちで育てれば、わざわざ遠くの街まで買い出しに行く手間も省けるだろ? トマトとか、ナスとか、ちょっとした葉物野菜とかね」
俺がそう提案すると、ルミナはピクリとエルフの長い耳を震わせ、真剣な表情で考え込み始めた。
▼▼▼
(カテイサイエン……。野菜を、育てる……?)
ルミナの脳内では、ジンの発言が凄まじい速度で咀嚼され、そして致命的な方向へと誤変換されていた。
(ジン様ほどの御方が、ただの人間が食べるような脆弱な植物を育てるとは到底思えない。……はっ! まさか、この『深淵の森』の奥深くに眠る、恐るべき『魔植物』たちを培養し、強力な生物兵器の軍団を創り上げるおつもりなのでは……!?)
ルミナの背筋に、戦慄が走った。
そうだ、そうに違いない。
先日、竜王や悪魔を平然と従えてみせたジンである。彼が言う「トマト」や「ナス」が、一般に流通している平和な野菜であるはずがない。
それはおそらく、血を吸って赤く染まった『吸血の果実』や、猛毒を孕んだ『紫色の呪詛の実』の隠語に違いないのだ!
(ジン様は、私を試しておられるのだわ! 『私が求めるにふさわしい種を、お前の手で持ってこい』と……!)
元・王国最高位の暗殺者であるルミナの目に、かつての鋭い殺気が宿る。
「承知いたしました、ジン様! このルミナ、必ずやジン様のお気に召す、最強最悪の『種』と『肥料』を調達してまいります!」
「え? いや、普通の種でいいんだよ? 森の入り口あたりに生えてる野生のベリーとか……」
「ご謙遜を! ジン様の御心、しかと受け止めました! いざッ!」
ルミナはキッチンから飛び出すと、猛烈な速度で『深淵の森』の奥深く――超Sランクの危険地帯へと姿を消していった。
「……あいつ、また一人で勝手に盛り上がってるな。まあ、元気でいいことだ」
俺は苦笑しながら、庭の土を耕すためのクワを探しに納屋へ向かった。
▼▼▼
数時間後。
「ジン様! 帰還いたしました!!」
泥だらけになり、あちこちに擦り傷を作ったルミナが、巨大な麻袋を二つ引きずって戻ってきた。
その息は荒く、相当な激戦を潜り抜けてきたことがうかがえる。
「おかえり、ルミナ。って、うわっ、すごいボロボロじゃないか! 大丈夫か!?」
「問題ございません! ジン様のためならば、この身が灰燼に帰そうとも……ッ! さあ、こちらをご覧ください!」
ルミナがバサァッ!と麻袋を開けると、中から禍々しいオーラを放つ、赤黒い土と、脈打つように蠢く不気味な苗が出てきた。
「これは……?」
「はい! 『深淵の森』の最深部を支配していた、樹齢一千年の『人喰い樹』を討伐し、その根元からえぐり取ってきた最高級の【腐食の魔土】! そして、その土の養分を吸って育つ、近づく者の生命力を根こそぎ奪う『吸血魔蔓』と、『呪怨の赤林檎』の幼生体でございます!」
ルミナは誇らしげに胸を張った。
彼女が持ってきたのは、王国軍の一個大隊が犠牲になっても採取できるかどうかわからない、超危険指定の魔植物たちだった。
だが、俺の目には、それがちょっと元気のない土と、萎びた謎の植物の苗にしか見えなかった。
そして、俺の【全言語翻訳(Lv.MAX)】スキルが、その苗たちが発する微かな振動と魔力の波長を、見事に日本語へと翻訳し始めた。
『あぁぁ……喉渇いたぁ……』
『水……誰かお水ちょうだい……根っこがカサカサだよぉ……』
『日光が強すぎるぅ……もうちょっと日陰に置いてぇ……』
「…………」
どうやら、植物の声まで翻訳できるようだ。
しかも、完全に「水やりを忘れられた可哀想な鉢植え」の文句だった。
「ルミナ。この苗たち、すごく水と日陰を欲しがってるよ」
「えっ?」
俺は麻袋から丁寧に苗を取り出すと、あらかじめ耕しておいた庭の隅の、ちょうど良い日陰になるスペースに穴を掘り、ルミナが持ってきた【腐食の魔土(※俺にとってはただの栄養満点の腐葉土)】をふかふかに敷き詰めた。
「ほら、ここに植えてあげるからな。水もたっぷりやるぞ」
『うわぁぁい! お水だぁぁ! 冷たくて気持ちいいぃぃ!』
『土がふかふかだよぉ! お兄ちゃんありがとう!』
ジョウロで水をかけると、赤黒く脈打っていた禍々しい苗たちが、みるみるうちに健康的な緑色を取り戻し、パタパタと葉っぱを揺らして喜びの声を上げた。
翻訳スキルのせいか、小さな子供が無邪気にはしゃいでいるように聞こえて、なんだかとても微笑ましい。
「よしよし、元気になったな。立派な実をつけるんだぞ」
俺が葉っぱを優しく撫でてやると、苗たちは嬉しそうに俺の手のひらにすり寄ってきた。
「……あり得ない」
その光景を背後で見ていたルミナは、膝から崩れ落ちそうになっていた。
(凶暴で知られ、近づく生物の血を吸い尽くすはずの超Sランク魔植物が……あんな風に、普通の野菜のように懐いている……!?)
ルミナの常識が、音を立てて崩れ去っていく。
魔植物というものは、魔力を餌にして無差別に生物を襲う本能の塊である。それを「水」と「日陰」、そして「ただ撫でるだけ」で完全に屈服させたのだ。
(ああ……やはりジン様は、万物を統べる絶対者。言葉を交わすまでもなく、その圧倒的な存在感だけで、狂暴な魔植物すらも愛玩植物に変えてしまうのですね……!)
「ルミナ、ありがとう。君が持ってきてくれた土、すごく栄養がありそうだよ。これなら、すぐに美味しい野菜(?)が育ちそうだな」
俺が笑顔で振り返ると、ルミナは両手で顔を覆い、感激の涙を流して平伏した。
「もったいなきお言葉……ッ! このルミナ、ジン様の偉大なる『カテイサイエン計画』のため、明日からも森の深部を蹂躙し、さらなる強大な供物を持ち帰ることを誓います!!」
「いや、だから普通の野菜でいいって言ってるのに……」
俺の言葉は、感極まっているルミナの耳には届いていないようだった。
かくして、お悩み相談所の庭には、ちょっと(かなり)個性的な声で喋る、賑やかな家庭菜園が誕生したのだった。
これが後に、どんな外敵の侵入をも許さない『絶対防衛の魔植物園』として王国軍に恐れられることになるのだが、今の俺には知る由もなかった。




