魔界の呪縛双六と、すべてを書き換える究極の「一回休み」
『シャドウ・ベヒーモス』を改装した豪華サロンバスは、魔界の空を覆う暗雲を切り裂き、荒涼たる大地を猛スピードで爆走していた。
窓の外には、煮えたぎる血の池や、天を突くような骨の塔が通り過ぎていく。
「いやぁ、すごい景色だなあ! テーマパークのお化け屋敷みたいで、すごく凝ってる。町内会の旅行も、たまにはこういうファンタジーな場所もいいよね」
ジンは、窓の景色を眺めながら、持参した水筒の麦茶を美味しそうに飲んでいた。
彼の【全言語翻訳(Lv.MAX)】スキルは、外から聞こえる亡者たちの怨嗟の叫びを、すべて『BGM(愉快なハロウィンのテーマ)』へと変換しているため、彼にとっては完全にディズニー級のアトラクション感覚であった。
「ジン殿が楽しんでくれているようで何よりだ! だが、秘湯まではまだ時間がかかる。そこで、長旅を退屈させぬよう、我が魔界の『伝統的なボードゲーム』を持参したぞ!」
大魔王ゼアノスが、得意げにドンッ!とテーブルに置いたのは、禍々しい紫色のオーラを放つ、骨で出来たサイコロと羊皮紙の盤面だった。
「ひぃッ!? ぜ、ゼアノス様、それはまさか……!」
向かいの席に座っていたクラリスが、顔面を蒼白にして悲鳴を上げた。
「フハハ! いかにも! 神話の時代より伝わる魔界の国宝、『運命の呪盤』! この双六で止まったマスの出来事は、因果律を強制的に捻じ曲げ、『現実』に引き起こされるのだ!」
ゼアノスがドヤ顔で解説する。
(ば、馬鹿な……! あの双六のマスには『業火の雨』や『魂の搾取』といった、対象を確実に死に至らしめる呪いがビッシリと書き込まれているのに……! ゼアノスは、ジン様の実力を試すために、あえてこんな凶悪な呪物を……ッ!?)
ルミナは、本日四錠目の胃薬を握りしめながら、冷や汗を流した。
だが、当のゼアノスの本心は全く違っていた。
『ジン殿なら、どんな恐ろしい呪いのマスに止まっても、絶対に「おお、すごいアトラクションだな!」って喜んでくれるはず! 俺、このゲームでジン殿と一緒にワイワイ盛り上がりたいんだ!』
魔界の絶対君主は、完全に「友達とボードゲームで遊びたい中学生」のメンタルに退行していたのである。
「へぇ、人生ゲームみたいなものか。面白そうだね、やろうやろう!」
ジンは、呪いのオーラなど一切気にせず、骨のサイコロを手に取った。
「よし、じゃあレオ君からだ!」
「おっす! 俺、こういうの得意っすよ! そりゃあっ!」
レオがサイコロを振る。出た目は『4』。
彼のコマが、ドクロのマークが描かれたマスに止まった。
その瞬間。
『――業火の雨、発動』
不気味なアナウンスが車内に響き、バスの天井に魔法陣が浮かび上がった。
次の瞬間、空からすべてを溶かす灼熱のマグマが、レオの頭上に降り注ごうとした!
「レオ! 危ないッ!」
クラリスが聖剣を抜こうとした、その時。
「お、レオ君、あったかい『おしぼり』のマスだね。タイミングいいなぁ」
ジンがのんきに呟いた瞬間。
ジンの麦わら帽子に乗っていた『神使の輪』(最高管理者権限)が、ピカッ!と光った。
すると、降り注ぐはずだったマグマが、空中でクルクルと形を変え……なんと、本当に『フカフカの温かいおしぼり』となって、レオの手にふわりと落ちてきたのである。
「うおおっ!? マジっすか! ちょうど手ぇ拭きたかったんすよ! あっつあつで気持ちいい〜!」
レオが、マグマ(おしぼり)で顔をごしごしと拭き始めた。
「…………え?」
ゼアノスは、自分の目を疑った。魔界の国宝が放つ絶対的な呪いが、ただの『おしぼりサービス』に書き換えられただと?
▼▼▼
「次、クラリスさんどうぞ」
「ひ、ひぃぃっ……! わ、私ですか……! えいっ!」
クラリスが震える手でサイコロを振る。出た目は『2』。
止まったのは、禍々しい目玉が描かれた『狂気の幻覚』のマス。
対象の脳に直接、宇宙の深淵のビジョンを見せつけ、精神を崩壊させる極悪トラップだ。
『――狂気の幻覚、発動』
クラリスの目の前が真っ暗になり、無数の触手が彼女の精神を侵食しようと迫り来る。
「あ、ああぁぁぁっ! 狂う、狂ってしまいますわぁぁっ!」
「おっ、クラリスさんは『VR体験マス』だね。お花畑が見えるやつかな?」
ジンがニコッと笑う。
カッ……!
神使の輪が再び光る。
すると、クラリスの脳内を侵食していたおぞましい触手が、一瞬にして『満開のチューリップと、ファンシーな妖精さんたち』へと書き換えられた。
「……あ、あれ? 綺麗なお花がいっぱい……ふふっ、蝶々さんが飛んでますわ……えへへ……」
クラリスは、狂気ではなく、完全なる『癒やし』のビジョンに包まれ、シートに背中を預けて幸せそうに微笑み始めた。
「な、なんだとォォォッ!?」
ゼアノスが頭を抱える。
呪いが……俺の用意した最高のアトラクション(呪い)が、全部『極上の接待イベント』に書き換えられている!
▼▼▼
(…………本日の、五錠目)
ルミナは、胃薬を水で流し込みながら、天(バスの天井)を仰いだ。
「終わりました……。ジン様は、ただ言葉を発するだけで、魔界の『因果律の強制』を、ご自身の都合のいい『ゲームのルール』へと上書きされているのです……。もはや、この双六は『ジン様の機嫌を取るための接待ツール』でしかありません……!」
「次はゼフさんの番ですね。ほら、サイコロ」
「お、おう……! 我、いや俺の番だな!」
ゼアノスが、緊張で汗を流しながらサイコロを振る。
止まったのは、黒い渦が描かれたマス。『魂の搾取』だ。
止まった者の生命力と魔力を根こそぎ奪い取る、魔王ですら危険なマス。
『――魂の搾取、発動』
ゼアノスの足元に黒い渦が出現し、彼の強大な魔力がズズズッと吸い取られ始める。
「グッ……!? し、しまった! 俺自身が罠に……ッ!」
「あ、ゼフさんは『肩こり吸い取りマス』ですね! よかったじゃないですか!」
ジンがパンッと手を叩く。
カッ……!
その瞬間、ゼアノスの魔力を奪っていた黒い渦が反転し、彼が千年溜め込んでいた『肩こりの芯』や『眼精疲労』『腰痛のタネ』だけを、ピンポイントでズボォォォッ!と吸い出していったのだ。
「アヒィィィィィィィィッッ!!? なんだこれ!? 肩が! 肩がめっちゃ軽くなるぅぅぅっ! あ、そこ! もうちょっと右のコリも吸ってぇぇぇっ!!」
魔界の絶対君主が、車内でだらしなく悶え始めた。
「ははは。ゲームしながらマッサージ効果もあるなんて、よくできた双六ですね。最後は俺の番だ」
ジンが、無造作にサイコロを転がす。
出た目は『6』。
彼のコマが進んだ先は、盤面の最奥。真っ赤なドクロが三つ並んだ、この双六の最悪のマス。
『絶対的死の宣告』。
対象の「死」という結果だけを先に確定させ、あらゆる防御も蘇生も許さない、因果律の終着点。
「ジ、ジン様ァァァッ!! そこはダメですわァァァッ!!」
ルミナが、ついに暗殺者の冷静さを失って絶叫した。
クラリスもレオも、青ざめて立ち上がる。
『――絶対的死の宣告、発動』
車内の空気が完全に凍りつき、絶対的な『死の概念』が、黒い鎌となってジンの首筋へと振り下ろされた!
だが。
「あ、これ。真っ赤なマスだし、『一回休み』か。じゃあ、俺はここでお茶飲んで休憩してるよ。みんな続けて」
ジンが、急須から麦茶を湯呑みに注ぎながら、のんきに言った。
カァァァァァァァァァッ……!!!
ジンの頭上の『神使の輪』が、かつてないほどの激しい光を放った。
直後。
宇宙の法則が、凄まじい音を立てて軋み、へし折れ、そして『再構築』された。
ジンに振り下ろされようとしていた黒い鎌(死の概念)は、空中でピタッと停止したかと思うと、なんと『肩たたき棒』の形へと変形し、ポムッ、ポムッ、とジンの肩を優しく叩き始めたのである。
さらに。
『死』という絶対的な終わりそのものが、ジンの言葉によって、宇宙の辞書から『一回休み(休憩時間)』へと完全に書き換えられてしまった。
この瞬間からエルディア星では、誰かが命を落としかけても、「ちょっと長めのお昼寝」をしてケロッと生き返るという、とんでもない平和なバグシステムが実装されてしまったのだ。
「…………」
ルミナは、何も言わずに、六錠目の胃薬を口に入れた。
「あー、肩たたき気持ちいいなぁ。レオ君、俺が一回休み(死)の間、俺の代わりにサイコロ振ってくれる?」
「あ、はいっす! ジンさん、休憩ゆっくりしてください!」
「ハハ……ハハハハ……」
ゼアノスは、完全に虚ろな目で笑うしかなかった。
自分が持ってきた呪いのゲームが、宇宙の生死の概念すらも『肩たたき付きの休憩』に書き換えてしまったのだ。もはや、この男を前にして「死」すらも脅威ではない。
こうして、町内会の楽しいバス旅行は、道中で宇宙の法則を一つ(致命的に)改変しながら、目的地の『奈落の果ての紅蓮泉』へと向かって爆走していくのであった。




