天使の輪っかの便利な使い方と、震える天界のIT部門
エルディア王国、魔界、そして神聖ガルディア帝国。
世界の三大勢力が『お悩み相談所・止まり木』の庭先で麦茶と焼肉によって完全降伏を遂げてから、数週間が経過した。
「よしよし。今日もみずみずしくて美味しそうなトマトが育ってるな」
俺、ジンは、麦わら帽子の頭上にフワフワと浮遊する『光の輪っか』を乗せたまま、朝の日差しを浴びる家庭菜園の様子をチェックしていた。
かつて人間界の希望であった勇者レオが丹精込めて耕し、大魔王ゼアノスが(趣味で)肥料を配合した土壌。そこで育つ野菜たちは、もはやただの野菜ではない。
俺の目の前には、脈打つように赤く輝く超Sランク魔植物『殺人林檎』が、鈴なりに実をつけていた。
「ん? おや……」
葉の裏をめくると、そこに小さな緑色の虫が数匹、びっしりと張り付いているのを見つけた。
アブラムシだ。
せっかくの無農薬野菜(?)に害虫がつくのは、農家として見過ごせない。
「困ったな。殺虫剤なんて持ってないし……手で取るのも数が多いな」
俺が腕を組んで悩んでいると、頭上でフワフワと浮いている『光の輪っか』――先日、過労気味の天使セラフィエルさんが「有給休暇のために引継ぎします!」と置いていった謎の光るオモチャ――が、視界に入った。
最近気づいたのだが、この輪っか、虫よけランプみたいな不思議な効果があるのだ。
「ちょっとごめんよ」
俺は、頭上の光の輪っかを素手でむんずと掴み取り、アブラムシが群がるトマトの葉っぱに近づけた。
カッ……!
光の輪が淡く明滅した瞬間。
俺の【全言語翻訳(Lv.MAX)】スキルが、アブラムシたちの断末魔の叫びを、なぜか『リストラを宣告された窓際族の悲鳴』として脳内再生した。
『ギャァァァッ!? な、なんだこの光は! 突然、俺たちの存在証明(ID)が世界から削除されていくぅぅッ!』
『嘘だろ!? 俺、まだ住宅ローンが三十年も残ってるのに、こんな理不尽なリストラってアリかよォォォッ!!』
「…………」
俺は「虫のくせに随分と世知辛い鳴き声だな」と苦笑しながら、光の輪っかを葉っぱの裏で2、3回振った。
すると、アブラムシたちは文字通り『跡形もなく』消え去ってしまった。
「おお、やっぱり便利だな、これ。虫眼鏡の光で焼くみたいに、熱もないのに虫だけ消えるし。最高の虫よけグッズだ」
俺は満足げに頷き、再び光の輪っかを頭の上(麦わら帽子の定位置)にポンと戻した。
▼▼▼
(…………本日の、一錠目)
ボロ小屋の縁側で、洗濯物を畳んでいた元・暗殺者のルミナは、静かに胃薬を口に放り込み、水なしでボリボリと咀嚼した。
隣では、元・聖騎士のクラリスが、両手で顔を覆ってガタガタと震え上がっている。
「ル、ルミナさん……。今、ジン様が……あの神使様の『神使の輪』を……物理的に掴んで……」
「ええ。見ましたよ、クラリス。……見なかったことにしたいですが」
ルミナの瞳には、一切の光がなかった。
あの『光の輪』は、世界の物理法則や生命の生死すらも書き換えることができる、天界の超次元デバイス『管理者権限』である。本来であれば、高位の天使ですら直接触れることは許されず、念で操作する絶対不可侵の神具。
それをジンは、「ハエ叩き」や「殺虫剤」と同じ感覚で無造作に引っこ抜き、物理的に振り回したのだ。
「しかもジン様は、あのアブラムシを『焼き殺した』のではありません……。管理者権限を用いて、この世界の根源的情報に直接アクセスし、アブラムシという存在そのものを『最初からこの世に存在しなかったエラー』として、宇宙の歴史から完全に削除されたのです……ッ!」
「あぁぁ……っ! アブラムシを駆除するためだけに、世界の法則を書き換えるなんて……! なんという恐ろしくもスケールの大きい無駄遣い……!」
クラリスが涙目で天を仰ぐ。
ジンが野菜の手入れをするたびに、宇宙の理がパッチ修正されているのだ。もはや、このボロ小屋の庭で起きていることは、創造神すら予測不可能なレベルのバグ改変であった。
「ジン様にとっては、神の権限すらも『ちょっと便利な虫よけ』程度。……ああ、今日もまた、ジン様の手によってエルディア星のシステムが蹂躙されていきます……」
ルミナは達観した表情で洗濯カゴを抱え、ジンに「冷たい麦茶をお持ちしましょうか」と声をかけるため、庭へと歩き出した。
▼▼▼
一方その頃。
人間界から遥か次元を隔てた、宇宙のすべてを管理する天界の最深部――『創造神の管理中枢』は、未曾有の大パニックに陥っていた。
「警告! 警告ォォォッ!!」
純白のシステム空間に、けたたましいサイレンが鳴り響く。
無数のホログラムパネルの前に座る下級天使たちが、頭を抱えて悲鳴を上げていた。
「第三宙域、エルディア星の論理が勝手に書き換えられています! 先ほどから、わずか数秒の間に『存在の抹消』が30回連続で実行されました!」
「な、なんだと!? 対象はなんだ! 魔王か!? それとも邪神の復活か!?」
現場責任者である大天使が、血相を変えてコンソールを叩く。
「い、いえ! 削除されたデータは……『アブラムシ』です!」
「…………は?」
大天使の動きが止まった。
「エルディア星の辺境の森にて、アブラムシ30匹が、最高管理者権限によって、宇宙の歴史から完全に抹消されました! 続いて、『雑草』と認識された植物データも、根本のソースコードごと消滅しています!」
「ふ、ふざけるなァァァッ!」
大天使がデスクを蹴り飛ばす。
「アブラムシ数匹を消すために、星の重力演算と因果律の再構築をやっているだと!? サーバーへの負荷を考えろ! 誰だ、そんな無茶苦茶なコマンドを入力している阿呆は!」
「そ、それが……! エルディア星の担当神使であったセラフィエル様は、先日『有給休暇をいただきます!』と言い残して天界の温泉宿に引きこもってしまい……現在、管理者権限のリングは、現地の『ジン』という人間(?)に無断譲渡されている模様です!」
「人間が管理者権限を持っているだとォォォッ!?」
大天使は白目を剥いて卒倒しかけた。
天界のルールにおいて、神具を下界の者に譲渡するなど、何万回死刑になっても償いきれない大罪である。
「至急、調査部隊を派遣しろ! いや、待て。相手はすでにデバッグツール(天使の輪)を使いこなし、息をするように世界のルールを書き換えているイレギュラーだ。並の天使では、アブラムシと同じように『なかったこと』にされかねん……!」
大天使は滝のような冷や汗を流しながら、天界の最深部に鎮座する、黄金の扉を見上げた。
「……こうなれば、本社の最上位クラス、『監査部』を動かすしかない。エルディア星を、あの謎の男ごと丸ごと『フォーマット(初期化)』するのだ……!」
かくして。
ジンが「虫よけって便利だなぁ」とのんきにトマトを収穫している間に、天界では彼を『宇宙最大のウイルス』と認定し、星ごと消滅させるための極秘プロジェクトが発動しようとしていた。
大魔王をも下したボロ小屋に、今度は「宇宙の理」そのものを司る、超絶ブラックな『本社からの刺客』が迫りつつあることを、ジンたちはまだ誰も知らない。




