魔王様のDIYと、血と魔涙の神殿浴場
「……うーん。やっぱり、狭いよなぁ」
爽やかな朝の光が差し込む中、俺、ジンは、ボロ小屋の裏手にある小さな『風呂場』を眺めながら、腕を組んで深く息を吐き出していた。
家賃タダ同然で借りたこの小屋だが、元々は大家の老人が一人で住んでいた場所だ。風呂場も、五右衛門風呂を少しマシにした程度の、大人一人が入ればいっぱいいっぱいの狭さだった。
だが、今のこの小屋には、俺以外にルミナ、クラリス、レオという三人の居候がいる。
さらに、巨大なフェンリルのポチやスライムのプルも、たまにお風呂に入りたがる(特にポチはシャンプーが大好きだ)。
「昨日の夜も、レオ君とポチが入ったら、お湯が全部溢れちゃったし……。ルミナとクラリスさんも、女の子同士だから、もっと広いお風呂でゆっくりしたいだろうしなぁ」
人間不信で森に引きこもった俺だが、一緒に暮らす仲間たちが不便を強いられているのは、お節介な性格上、どうしても気になってしまう。
「よし。決めた。今日はお悩み相談所を臨時休業にして、お風呂を増築しよう!」
俺は、納屋から錆びついた金槌と鋸、そして「町内会長(国王)」が先日差し入れのついでに置いていった、妙に頑丈でピカピカ光る釘(※超国宝級の魔金釘)を取り出した。
「みんなー! ちょっと集まってくれる?」
俺が縁側から声をかけると、庭で『殺人林檎』に水をやっていたレオ、洗濯物を干していたクラリス、そして俺の影から音もなく現れたルミナが、一瞬で整列した。
「ジン様! おはようございます! 本日の最初のご命令は、どこの国の滅ぼすことでしょうか!?」
ルミナが、殺気を含んだ真剣な表情で膝をつく。
「いや、国は滅ぼさないよ。今日はね、お風呂を大きくしようと思って。DIY(日曜大工)だね」
俺が笑顔で宣言すると、三人は一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
だが、次の瞬間。彼らの脳内で、凄まじい速度の「深読み」が開始された。
▼▼▼
(DIY……? 日曜大工……?)
ルミナの脳裏に、戦慄が走った。
先日、王国軍を麦茶一杯で崩壊させ、神の使いすら逃げ帰らせたジンである。彼が、ただの風呂桶を大きくする程度の、平凡な日曜大工などするはずがない。
(ジン様ほどの御方が、自ら道具を手に取られるということは……。それは、世界の理を書き換えるほどの、神聖なる『儀式』! すなわち……この森に、万物を浄化し、敵対する者の魂を煮え湯に変える、恐るべき『魔王様の聖なる神殿浴場』を建設するという宣言なのだわ……ッ!)
クラリスもまた、エプロンの裾を握り締め、青白い顔でガタガタと震え始めた。
(なんていうことでしょう……。ジン様は、ご自身の圧倒的な魔力を安定させるため、この森の霊脈を直接引き込み、神々すら畏怖する高純度の魔力浴場を欲しておられる……! 私の聖なる力など、一瞬で蒸発してしまうほどの……!)
「そういうわけだから、俺はちょっと森の入り口まで、手頃な木材と石を拾ってくるね。みんなは危ないから、家で大人しくしてて」
ジンは、錆びた鋸を腰に差し、ルミナたちが命懸けで植えた『吸血魔蔓』を「ちょっと邪魔だな」と素手で除けながら、のんきに森の奥へと歩いていった。
「…………行ったわね」
ルミナが、顔から表情を消し、冷酷な暗殺者の瞳で作戦を開始した。
「レオ、クラリス。ジン様は『手頃な木材と石』と仰った。……これは、私たちへの試練よ」
「試練……?」
レオが、クワ(聖剣)を握り直す。
「ええ。『お前たちが、私の神殿にふさわしい、最高級の資材を持ってこい』という無言のご命令よ! もし、ジン様が戻られた時、そこらに落ちているただの木切れしか用意できていなければ……私たちは全員、『無能』として処刑される!」
「ひぃッ!? そんなの嫌だぁぁッ!」
クラリスが悲鳴を上げる。
「私は、この森の最深部に眠る、硬度ダイヤモンド以上の『金剛石の巨岩』を切り出してくるわ! レオ、貴方は『世界樹』の枝を! クラリス、貴方は……その、聖なる力で、最高の『聖水』を無限に生成し続けなさい!」
「「ははぁーッ!!」」
ジンが「ホームセンター感覚」で森を散歩している間に、ボロ小屋では、人類の歴史を塗り替えるほどの超一大国家プロジェクトが、完全にジンの見ていないところで、血と魔涙によって幕を開けたのであった。
▼▼▼
数時間後。
「ふぅ。やっぱり、森の奥の木は丈夫でいいなぁ」
ジンは、森の入り口付近で拾ってきた(と本人は思っている)、妙に七色に輝く頑丈な丸太(※世界樹の枝)と、暗闇で青白く光る綺麗な石(※魔光石の原石)を数個抱えて、小屋に戻ってきた。
「ただいまー。よし、さっそく作業を……え?」
小屋の裏手に回った瞬間、ジンは抱えていた木材を落としそうになった。
「…………何、これ?」
俺が朝まで見ていた、狭くて古びた風呂場は、跡形もなく消え去っていた。
そこには、見上げるほど巨大な、純白の大理石(※金剛石)で造られた、ギリシャの神殿のような建物がそびえ立っていたのだ。
柱には、ルミナが短剣で削り出した、ジンの(無駄にかっこいい)英雄譚を模した、緻密で美しいレリーフが彫り込まれている。
「ジン様、お帰りなさいませ」
神殿の入り口には、エプロン姿のルミナとクラリス、そして泥だらけになったレオが、一滴の汗すら流さず(実際には全魔力を使い果たして死にかけているが)、直立不動で並んでいた。
「……あ、あの。これ、どうしたの? 誰が作ったの?」
俺の問いに、ルミナはフッ……と、誇らしげに微笑んだ。
「ジン様が森へ行かれている間、私たちで少しだけ『模様替え』を施させていただきました。ジン様のDIYの手間を省くため、微力ながらお手伝いを……」
「模様替えってレベルじゃないだろ!」
俺は思わず、ツッコミを入れた。
「それに、このお風呂……なんか、光ってない?」
神殿の中に入ると、そこにはプールのように巨大な浴槽があり、その中には、温かいお湯……ではなく、透き通るような白銀色の、妙にドロドロとした液体(※クラリスが生成した超高純度聖水)が、なみなみと注がれていた。
さらに、ポチが「わーい、大きいお風呂だー!」と言ってその中に飛び込むと、お湯が虹色に輝き、フェンリルの毛並みが、以前にも増して神々しい光を放ち始めた。
「ジン様、このお風呂の床には、レオ殿が世界樹の根を編み込んで造った、天然の『魔力床暖房』が敷き詰められております。さらに、クラリス殿が生成した聖水は、あらゆる状態異常を完治させ、浸かるだけで魔力を限界突破させる効果がございますわ」
ルミナが、何でもないことのように解説する。
「…………」
俺は言葉を失った。
【全言語翻訳】がカンストしているため、ルミナの言葉が「100パーセントの真実」として脳内に響いてくる。
つまり、このお風呂は、浸かっただけで瀕死の重傷も治り、レベルも爆上がりするという、とんでもない危険物なのだ。
(しまった……。みんな、俺のために良かれと思って、こんなとんでもないものを……。でも、みんなが一生懸命作ってくれたんだし、ここで『やりすぎだ』と怒るのも可哀想だよな……)
俺は少し悩んだ末、平和主義者としての結論を出した。
「そっか。みんな、俺のために一生懸命作ってくれたんだね。ありがとう。すごく綺麗だし、広いお風呂で、みんなと一緒に入れるのは嬉しいよ」
「ッ……!!」
俺が笑顔でそう言うと、ルミナとクラリスは顔を見合わせ、そして同時に涙を流して崩れ落ちた。
「も、もったいないお言葉です、ジン様……! 私たちの、このような拙い『おもてなし』を、お褒めいただけるとは……ッ!」
「ジン様……! 私は、私はもう……このお風呂に浸かって、一生ジン様にお仕えしますわぁぁッ!」
「あ、クラリスさん、エプロンのまま入ったら濡れちゃうよ!」
かくして。
お悩み相談所の裏庭には、ジンの「日曜大工」の結果として、天界すらも畏怖する絶対防衛神殿浴場『聖域の湯・止まり木』が完成したのだった。
その日の夜、ジンと居候たちは、広い神殿浴場でみんなでお風呂に入り、疲れを癒やした。
レオは「うおおおっ! 筋肉が、筋肉が再生していく……ッ!」と叫び、ポチは「ワォォォォンッ!!(※意訳:このシャンプー、泡立ち最高だぜ!!)」と大喜び。クラリスは「えへへ、ジン様と一緒にお風呂……」と顔を真っ赤にして茹で上がっていた。
そして、ルミナは。
(……ジン様は、このお風呂に浸かることで、私たちの忠誠心をさらに高め、世界の管理権限をより強固なものにされた。……ああ、今日もまた、この絶望の要塞のQOLが、恐ろしいレベルで更新されてしまったのですね……)
彼女は、聖水に浸かりながら、本日十錠目となる胃薬を、ボリボリと咀嚼していた。
ジンにとっての「ただの広いお風呂」は、周囲にとってはさらなる勘違いと胃痛を加速させる、新たな『伝説の場所』となってしまったのである。




