元・暗殺者と聖騎士の家事対決、そして胃薬の消費量は加速する
澄み切った小鳥のさえずりが、『深淵の森』の朝を告げる。
『お悩み相談所・止まり木』の裏庭では、今日も元・熱血勇者のレオが、「おはようございます! 今日も最高のトマト(※殺人林檎)が育ってますよ!」と爽やかにクワを振り下ろし、その横で巨大なフェンリルのポチがあくびをしていた。
そんなのどかな風景の中、ボロ小屋のキッチンだけは、異常なまでの緊迫感と殺気に包まれていた。
「……随分と早いお目覚めね、元・聖騎士団総長のクラリス殿。でも、ジン様の朝食を用意するのは、筆頭メイドであるこの私の役目よ。貴女のような新入りは、庭の草むしりでもしていなさい」
王国最強の元・暗殺者であるエルフのルミナは、手にした包丁を指先でクルクルと回しながら、氷のように冷たい視線を放った。
彼女の視線の先には、かつて白銀の重鎧に身を包んでいた『聖光の乙女』クラリスの姿があった。
現在のクラリスは、鎧を完全に脱ぎ捨て、ルミナが(ジンに命じられて渋々)仕立てた、フリフリのレースがあしらわれた可愛らしいピンク色のエプロンを身に纏っている。
「おはようございます、ルミナさん。ええ、とってもよく眠れました。王国の重圧から解放されて、ふかふかの干し草ベッドで眠るのが、こんなに幸せだなんて」
クラリスは、かつての厳格な表情が嘘のように、年相応の無邪気な笑みを浮かべた。
だが、その瞳の奥には、聖騎士としての強靭な闘志が、全く別のベクトルで燃え上がっていた。
「でも、朝食の準備なら私も手伝います。私を地獄から救ってくださったジン様に、少しでも恩返しがしたいんです。ですから、今日のメインディッシュは私が作ります!」
「……ほう。この私に、厨房での戦いを挑むと?」
「ええ。負けませんよ!」
バチバチバチッ……!
エルフの暗殺者と、人間の聖騎士。
かつては王国の裏と表を象徴する最強の二人が、エプロン姿で向かい合い、大根と人参を挟んで凄絶なオーラをぶつけ合っていた。
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(……この女、完全にジン様の『精神支配』に染まりきっているわね)
ルミナは、クラリスの輝くような笑顔を見ながら、内心で激しく戦慄していた。
ジンがたった一個のパウンドケーキで数万の軍勢を崩壊させ、この高潔な聖騎士を陥落させた光景は、ルミナの胃壁に深いダメージを刻み込んでいる。
(ジン様は、私とこの女を競わせることで、より高度な『奉仕』を要求しているのだわ。もしここで私が家事の主導権を奪われれば、ジン様にとって私は『無価値なゴミ』となり、庭の肥料として処理される……ッ!)
絶対に負けられない。己の生存を懸けた、血で血を洗う料理対決なのだ。
「いいでしょう。ならば、その腕前を見せてもらうわ。……無音殺撃・千切りッ!!」
ルミナの姿がブレた。
彼女は暗殺の絶技を料理に応用し、目にも留まらぬ神速でキャベツを切り刻み始めた。トトトトトッ! という音すら置き去りにする、真空の刃。
空中に舞い上がったキャベツが、重力に従ってまな板に落ちる頃には、すべてが完璧なミリ単位の極細千切りへと変貌していた。
「ふふっ……どう? これが、ジン様の玉座を守護する筆頭メイドの包丁捌きよ」
「素晴らしいです。でも、お肉の下ごしらえなら私にお任せください! ……聖騎士の加護、最大展開ッ!!」
クラリスの体から、黄金色の神聖なオーラが爆発的に噴き出した。
彼女はその莫大な闘気を両手に集中させ、まな板の上の巨大な『暴れ猪(※森の危険生物)』のブロック肉に向かって、目にも留まらぬ連続正拳突きを放った。
ドゴォォォォォォォンッ!!
オラオラオラオラオラオラッ!!
神聖なる鉄拳制裁(物理)によって、硬い魔物の肉の繊維が瞬く間に破壊され、極上の柔らかさへと変化していく。
さらにクラリスは、両手を合わせて祈りを捧げた。
「邪悪なる菌よ、神の御名において消え去りなさい……ッ! 浄化の光!!」
カァァァァァァッ!!
目も眩むような強烈な聖なる光がキッチンを包み込み、まな板、包丁、そして食材のすべての雑菌が一瞬にして滅菌された。もはや無菌室レベルの衛生状態である。
「くっ……! やるわね! ならば私は、魔法の火を使わずに摩擦熱だけでスープを沸騰させる『炎の暗殺術』を……ッ!」
「私は、生地を空中に放り投げて聖なる風で練り上げる『天使の息吹』でパンを焼きます!」
ボロ小屋のキッチンは、飛び交う暗殺術と神聖魔法によって、さながら世界最終戦争の最前線のような惨状(しかし料理は完璧に進行している)を呈していた。
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「ふぁ〜あ……。なんだかキッチンから、すごい音が聞こえるな……」
寝癖をつけたままのジンが、目をこすりながらリビングへとやってきた。
キッチンの入り口から中を覗くと、ルミナとクラリスが、包丁とボウルを構えながら、お互いに恐ろしいほどの殺気と魔力をぶつけ合っているではないか。
普通なら「やめろ! 小屋が吹き飛ぶ!」と止める場面である。
しかし、ジンの【全言語翻訳(Lv.MAX)】スキルは、二人が放つ凄まじいオーラの『根底にある感情』を、容赦なく日本語へと変換して脳内に響かせた。
『ジン様に喜んでもらうために、私が一番美味しい朝ごはんを作るんだからッ!』
『ううん、私だって負けないわ! ジン様が笑顔になる最高のスープを作るのよッ!』
「…………」
ジンは、平和主義者としての温かい笑みを浮かべた。
(なんだ。二人とも、新生活の朝ごはん作りで張り切ってるだけか。ルミナも、クラリスさんが入ってきて同年代の友達ができたから、嬉しくて一緒にはしゃいでるんだな)
ジンの目には、神話級のオーラを放って睨み合う二人が、『キャッキャと笑い合いながら仲良く料理をする女子たち』にしか見えていなかった。
「おはよう、二人とも。朝から元気だね」
「「ッ!! ジン様!!」」
ジンの声を聞いた瞬間、二人はビクッと肩を震わせ、瞬時に魔法と殺気を霧散させて直立不動の姿勢をとった。
「ジン様! 申し訳ございません、私の指導不足ゆえに、このような新入りの粗相を……!」
「ち、違いますジン様! 私はただ、ジン様のために最高のお肉を……!」
二人が青ざめながら言い訳をしようとするが、ジンは優しく微笑んで二人の頭をポンポンと撫でた。
「いい匂いがするね。二人で協力して、僕のために朝ごはんを作ってくれてたんだろ? ありがとう。すごく嬉しいよ」
「「えっ……?」」
「ほら、スープが吹きこぼれそうだよ。あとは僕も手伝うから、一緒に仕上げようか。レオ君やポチたちもお腹を空かせてる頃だろうし」
ジンがエプロンを手に取りながらそう言うと、ルミナとクラリスは顔を見合わせ、そして同時に顔を真っ赤にして俯いた。
(ああ……ジン様は、私とこの女の醜い争いを、すべて『協力』という言葉で包み込んでくださった……。なんて深き慈愛……!)
(ジン様……私のような者の料理でも、嬉しいって言ってくださるのね……!)
二人の乙女心が、ジンの全く意図しないところで限界突破していく。
「よし、じゃあパンが焼けるまでに、サラダを盛り付けちゃおう。クラリスさん、お肉の焼き加減、すごく上手だね」
「は、はいっ! ジン様のお口に合うよう、聖なる力で徹底的に叩きのめしました!」
「ルミナの千切りも相変わらず綺麗だなぁ。まるでお店みたいだ」
「もったいなきお言葉……! ジン様のためならば、この身を削ってでも大根を切り刻んでみせます!」
ジンが間に入ったことで、キッチンは(物理的な破壊活動を伴うものの)なんとか平和な空気を取り戻した。
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数十分後。
『お悩み相談所・止まり木』の広い縁側には、長いテーブルが出され、豪華な朝食が並べられていた。
「うおおおおっ! すっげえ豪華! いただきまーす!」
畑仕事で泥だらけになったレオが、凄まじい勢いで山盛りのサラダ(※超Sランクの魔植物の葉)を口に運ぶ。
『ワッフ! ワッフ!(※意訳:この肉、最高に美味え!)』
ポチも専用の巨大なボウルに顔を突っ込み、尻尾をちぎれんばかりに振っている。
『あらあら、美味しいわねぇ』
アシッド・スライムのプルは、こぼれたスープを綺麗に吸収して床を掃除してくれている。
「みんな、ゆっくり食べてね。おかわりはたくさんあるから」
ジンが麦茶を注いで回りながら微笑む。
その平和すぎる光景の端っこで、ルミナはひっそりと、本日最初となる胃薬を取り出していた。
(……ジン様は、私とクラリスの力を『完全に拮抗している』と判断された。つまり、どちらかが少しでも気を抜けば、即座に切り捨てられるという無言のプレッシャー……! ああ、今日もまた、この絶望の要塞で生き残るための過酷な一日が始まるのですね……!)
ルミナがボリボリと胃薬を咀嚼する横で、クラリスは「えへへ、ジン様に褒められちゃった」と幸せそうにパンをかじっている。
外の世界では、王国が「軍が全滅した! 世界の終わりだ!」と絶望のどん底に陥っているというのに、深淵の森のボロ小屋は、今日も今日とて、圧倒的なまでにスローでカオスな日常を謳歌しているのであった。




