聖騎士団の突撃と、熱血農家(元勇者)の狂気なる布教
「全軍、陣形を崩すな! あの禍々しき結界を『聖浄破城槌』で粉砕し、一気に魔王の喉首を狙うのです!」
「「「おおおおおおおッ!!」」」
『聖光の乙女』クラリスの号令に応え、数万の王国軍が地鳴りを立てて『深淵の森』の最深部へと雪崩れ込んだ。
彼らの眼前には、漆黒のオーラ(※赤い石の魔力)を放つ柵に囲まれた、一軒のボロ小屋……もとい『絶望の要塞』がそびえ立っている。
「第一魔術大隊、詠唱開始! 結界を吹き飛ばせ!」
数百名の魔術師が一斉に杖を掲げ、眩い光の奔流が小屋を囲む黒い柵へと撃ち込まれた。
ドォォォォォォンッ!!
凄まじい爆発音が森を揺らし、土煙が舞い上がる。
「やったか!?」
騎士の一人が叫ぶが、煙が晴れた後には、傷一つない黒い柵と、その内側で風に揺れる不気味な赤い花々――『曼珠沙華・アビス』の姿があった。
「ば、馬鹿な……! 数百の高位魔術を集中させて、傷痕一つ残せないだと!?」
「ひぃッ!? 見ろ、あの花……! 魔法の余波を吸い取って、さらに巨大化しているぞ!」
聖騎士たちは驚愕と戦慄に顔面を蒼白にさせた。
彼らには知る由もなかった。その花々が、つい先ほどまでジンに「あー、お客さんがクラッカー鳴らして遊んでるよ。お水多めにあげるから怖がらないでね」と優しく撫でられ、愛情たっぷりに育てられた超Sランク魔植物であることを。
『わーい! お外の人間さんたちが、キラキラのご飯(魔力)くれたー!』
『ジンお兄ちゃんに褒めてもらうために、もっと大きくなるぞー!』
魔植物たちが嬉しそうに葉を揺らすたび、王国軍の兵士たちは「花が……獲物を求めて蠢いている……!」と畏怖し、後ずさった。
「怯むなッ! 神の加護は我らと共にあります!」
クラリスが愛馬の上で聖剣を抜き放ち、士気を鼓舞しようとした、その時だった。
ギィィ……と、小屋の扉が開いた。
「出たぞ! 魔王軍の先兵だ! 全軍、構え……ッ!?」
クラリスの叫びが、途中で裏返った。
小屋の中から現れたのは、恐ろしい魔物でも、禍々しい悪魔でもなかった。
「あれ? 皆さん、どうしたんですかそんなに大勢で。うちの畑に何か用ですか?」
麦わら帽子を被り、首にタオルを巻き、泥だらけのエプロン姿で現れた青年。
その手には、かつて神々しい光を放っていた伝説の武器――『聖剣』が、完全に『クワ』としての機能しか果たしていない状態で握りしめられていた。
「ゆ、勇者レオ殿……ッ!!」
クラリスは、悲痛な叫びを上げた。
かつて王都で見た、希望に満ちた熱血勇者の面影はそこにはない。
彼の表情は、戦いの緊張感など微塵も感じさせない、ただの『大自然を愛する快活な農家』のそれへと完全に作り変えられていたのだ。
「ああ、なんていうことだ……! 伝説の聖剣を農具として扱い、あまつさえ、その瞳からは戦う意志が完全に削ぎ落とされている……。魔王め、なんという無惨な洗脳を……!」
クラリスの瞳から、悔し涙がこぼれ落ちる。
「勇者殿! 今お助けします! 貴方の魂を縛る邪悪な呪いを、私の浄化魔法で……!」
「え? 呪い? 洗脳? 何を言ってるんですか、クラリス様」
レオはクワ(聖剣)を肩に担いだまま、爽やかな、しかしどこか狂気を孕んだ満面の笑みで首を傾げた。
「俺は今、これまでの人生で最高に自由で、充実した日々を送っていますよ! ジンさんのおかげで、人間にとって本当に大切なものが何かに気づけたんです!」
「レ、レオ殿……?」
「考えてもみてください! 日本でも王国でも、俺はいつも誰かの期待に応えるために、息を詰まらせて生きてきました! 残業代ゼロのブラックな勇者業なんて、もうまっぴらです! 見てください、このトマト! 俺が手塩にかけて育てた、最高に甘い果実を!」
レオは、背後の『殺人林檎』を指差し、誇らしげに胸を張った。
「ジンさんは俺の痛みを理解し、温かい麦茶と共に居場所をくれました。クラリス様も、こんな鎧なんて脱ぎ捨てて、一緒に土を耕しませんか!? 汗を流した後にポチ(フェンリル)の背中で昼寝するのは、天国以上の快感ですよ!!」
レオの熱血ぶりは健在だった。
ただ、そのベクトルのすべてが『農業』と『スローライフへの布教』へと全振りされていたのである。
「…………狂っている」
クラリスは、絶望のあまり眩暈を覚えた。
勇者の自我は、魔王の恐るべき精神支配によって、完全に不可逆の領域まで捻じ曲げられてしまったのだ。
「もはや、言葉は届きませんか。……ならば、せめて私の手で、貴方を苦しみから解放しましょう」
クラリスは悲壮な決意と共に、全魔力を聖剣に集中させた。
彼女の背後に巨大な天使の幻影が浮かび上がり、極大の神聖魔法『天罰の光柱』が構築されていく。
それは、山をも消し飛ばす聖騎士団最強の攻撃魔法だった。
「消え去りなさい、邪悪なる要塞よッ!!」
クラリスが剣を振り下ろした瞬間、純白の光の柱が、小屋目掛けて一直線に放たれた。
数万の騎士たちが、勝利を確信して息を呑む。
だが。
『あらあら、なんだか外が埃っぽいわねぇ。お掃除しなくちゃ』
ぽよんっ。
どこからともなく這い出てきた、バランスボールほどの大きさの水色をしたスライム。
世界を溶かす大災害『溶解粘性体』のプルが、光の柱の軌道上に、のんびりとした動きで飛び出した。
そして、信じられない光景が起こった。
山を消し飛ばすはずの『天罰の光柱』が、プルの体内に吸い込まれるようにスゥーッと消滅してしまったのだ。
「は……?」
クラリスの口から、間の抜けた声が漏れた。
『ふぅ、助かったわぁ。最近ちょっと魔力不足で、お肌のツヤが悪かったのよね。人間さんたち、素敵な光のゴミ(美容液)をありがとうねぇ』
プルは美味しそうに「ゲップ」を一つすると、全身をキラキラと輝かせて満足そうに庭の隅へと戻っていった。
「ば、馬鹿な……! 私の渾身のジャッジメント・レイが、ただの下級スライムに『食べられた』だと……!?」
「総長! あ、あれはただのスライムではありません! 魔力の波長は……超Sランクの大災害、『溶解粘性体』です! しかも、聖なる力を喰らい、完全に適応している……ッ!」
「あり得ない……! スライムが神聖魔法を無効化するなど、世界の法則が狂っている!」
パニックに陥る王国軍。
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(ええ、狂っていますとも。ジン様の手にかかれば、世界の法則など粘土細工も同然なのです)
その様子を小屋の窓から覗き見ていたルミナは、六錠目の胃薬を水で流し込みながら、達観したような虚無の表情を浮かべていた。
もはや彼女の心の中には、かつて所属していた王国軍への同情すら湧かなかった。
ただ、「なぜあんなにも愚かに、神の逆鱗に触れようとするのか」と、哀れみすら感じていた。
「おーい、レオ君。お客さんたち、ずいぶん外で元気にしてるみたいだけど、お茶の数足りるかな?」
そこに、のんびりとした足音と共にジンが現れた。
彼の手には、大きなお盆に乗せられた大量の急須と、湯気の立つ湯呑みが乗せられている。
「あ、ジンさん! はい、なんか外でピカピカ光って遊んでたみたいです! 俺、麦茶でも配ってきますよ!」
「ありがとう。人数が多いから、ポチにも手伝ってもらおうか」
ジンがそう言うと、縁側で昼寝をしていた神話の巨狼フェンリルが『ワォン!(※意訳:任せとけ!)』と元気よく鳴き、背中にお盆を乗せて立ち上がった。
そして、ギィィ……と、小屋の扉が大きく開かれた。
「お待たせしました、お客さん。遠いところからわざわざご苦労様です。立ち話もなんですし、まずは温かいお茶でもどうですか?」
ジンが、数万の殺気立つ軍勢の前に、一切の怯懦もなく、満面の笑みで姿を現した。
その隣には、クワを持った勇者と、お盆を背負った神話の巨狼が、これまた満面の笑みで並んでいる。
「…………ッ!!」
その瞬間、クラリスをはじめとする数万の王国軍全員が、息をすることを忘れた。
彼らには、お盆を持って微笑むだけのジンの姿が、世界を漆黒の底へと叩き落とす『真の魔王の絶対的なプレッシャー』として、脳髄を焼き切らんばかりに直接叩きつけられたのだ。
「こ、これが……真の魔王……ッ!!」
クラリスは、愛馬が恐怖のあまりその場に崩れ落ちたため、地面に投げ出された。
立ち上がろうとするが、膝の震えが止まらない。
平和すぎるジンの「おもてなし」と、クラリスたちの「大真面目な絶望」。
この決定的なすれ違いが、いよいよ最高潮を迎えようとしていた。




