容疑者二・佐藤晴彦①
東城誠一の作成したリストのトップに秋香の秘書、佐藤晴彦の名前があった。
佐藤は死亡推定時刻に秋香を尋ねている。遺体発見時、寝室に鍵がかかっていた。密室だった訳だが、トリックを用いて部屋を密室にすることが出来たなら、最も疑わしい人物と言えた。
柊と茂木は上杉湯に向かった。
屋敷の坂を下ると、薄く積もった雪が更に薄くなり、シャーベットのようになっていた。阿房宮の辺りまでは、山頂の雪が吹き飛ばされて来ていたが、村までは届かなかったようだ。
雪の上に、警察車両が踏み荒らした轍が幾つも残っていた。秋香の死亡推定時刻は、まだ風花現象が起きる前だ。雪は積もっていなかった。
突然、フロントガラスの前を黒い物体が横切った。ハンドルを握っていた柊が「うわっ!」と驚いてブレーキを踏んだ。
「カラスですね。黒でしたよ」と茂木が言うと、柊は「ふん」と鼻を鳴らして、車をスタートさせた。
この辺りにはカラスが多いようだ。
上杉謙信が湯治をしたと謳う上杉湯は創業、四百五十年を公称している。最も、旅館がそこまでは古い訳ではなく、旅館としては創業して六十年が経過している程度だ。上杉謙信が湯治をしたというのは、この辺りで伝わる伝説に過ぎない。
上杉湯は本館と建て増しされた別館に分かれている。
呪い谷で最大規模の旅館だが、本館、別館を合わせても部屋数は二十二室しかない。それも公称であって、仲居や料理人の負担を考えると、実質は十五、六室が営業の限界だった。
仲居や料理人は全て村の人間だ。無闇に人を増やせない。急がしい時期に臨時に、アルバイトを雇い入れることがあったが、それも過疎化の村だ。限界があった。
冬場の観光シーズンをやや外れていたが、上杉湯は満室の状態だった。そう、東城秋香の関係者が大挙して呪い谷に押し寄せて来ているからだ。
上杉湯の好意で、事情聴取用に風情溢れる旅館の空き室を一室、借りることが出来た。満室なのだが空き部屋はある。二間続きの部屋で、踏込という靴を脱ぐ土間に当たる部分があり、前室と主室があった。主室には縁側があって、庭を見渡せた。だが、風情は邪魔だ。障子に囲まれた前室で、柊と茂木は宿泊客から事情聴取を行なった。
真っ先に佐藤晴彦が呼ばれた。
「佐藤さん。社長が亡くなられて、さぞお困りでしょう。これから、色々、大変だと思いますが、事件当夜の様子について、詳しくお聞かせ下さい。今のところ、あなた以外、被害者を殺害できた人間がいないのです」柊が言う。遠慮がない。
「ま、待って下さい。刑事さん。僕じゃありません。僕は社長を殺してなんかいません。嫌だなあ、刑事さん。僕が屋敷に行った時には、寝室には鍵がかかっていて、中に入れなかったのですから」
佐藤は事件当夜の状況を説明した。
旅館の門前にある小木乃屋で飲んでいると、誠一がやって来た。秋香が「用事があるから来て欲しい」と言っていると言うので、誠一から車と玄関の鍵を借りて、阿房宮に向かった。寝室の場所は分かっている。玄関から一直線に寝室に向かった。
寝室の前で、「社長、佐藤です」と声をかけたが反応がなかった。ドアをノックしてみたが同じだった。ドアノブを回してみると鍵がかかっていた。秋香は寝付きが悪い時、睡眠導入剤を服用することがある。きっと薬を飲んで寝たのだろうと思い、屋敷を後にした。
小木乃屋に戻り、車と鍵を誠一に返して、後は二人で飲んだ。その時、誠一から秋香が「頭が痛い」と言っていたという話を聞いた。
「頭痛薬を飲んで寝ていたのだろう――とその時は、思いました」
佐藤の話を聞いて、開口一番、柊は「あなた、飲酒運転をしたのですか⁉」と言った。
「えっ?」
「だって、居酒屋で飲んでいるところに東城誠一さんが来て、彼から車と鍵を借りて阿房宮に向かったのでしょう」
「ああ、いえ。そう言いましたが、酔ってなんかいませんでした」
「飲酒運転は困りますね~」
「すいません」
「本当に寝室に鍵がかかっていたのですか?」やっと本題だ。
「かかっていました! 翌朝、飯島さんが鍵を開けて中に入ったと聞きました。鍵がかかっていなかったのなら、一体、どうやって鍵をかけたと言うんです? 僕は寝室の鍵なんて、持っていませんよ」
「ふむ。それをあなたにお聞きしたかったんですけどね。お分かりにならない? まあ、いい。ところで、あなた、東城社長とはうまく行ってなかったのですか?」
「いいえ、とんでもない。うまく行っていましたよ」
「へえ、そうですか。では、何故、東城誠一さんに作ってもらった“東城社長を恨んでいる人間のリスト”のトップに、あなたの名前があるのでしょうね?」
「えっ! 誠一さんが社長のことを恨んでいる人間として、僕の名前を真っ先に挙げたというのですか!? ま、全く、余計なことを・・・それは、多分、私の実家のことを言っているのでしょう。ですがね、刑事さん。そのことで、私は社長を恨んでなんかいませんでした」
「実家のこと? 詳しくお聞かせ願えますか」
佐藤はひとつ大きくため息をつくと話し始めた。「私の実家は都内の下町で小さな工場を経営していました。ネジやナットなんかを作る小さな工場です。親父とお袋が、それこそ朝から晩まで真っ黒になって働いて、二人いた従業員を食わせて行くのがやっとの状況でした。正直、私にあの町工場を継げ――なんて言われたら、どうしようと思っていたのです。私は親父みたいになりたくなかった。
私が大学生の時ですかね。そろそろ、町工場の跡取りが現実味を帯びて来た頃です。不景気でね。親父の会社、資金繰りが行き詰まったのです。銀行を当たってみたのですが、貸してくれるところがなくて、親父は頭を抱えていました。その時、現れたのが社長です」




