アリバイ①
年は三十前後だろうか。美人だ。きりりと吊りあがった眉毛の下に憂いを含んだ大きな目が輝いている。額は狭く、口が大きく、鷲鼻なのだが、バランスが良い。顔全体を見ると、誰が見ても美人だと思ってしまう。
スラリと背が高く、足も長い。スタイルが良すぎて、ふくよかさに欠ける点が、難点と言えば難点かもしれない。
「わざわざ、こんなところまで、お運び頂き、ありがとうございました」柊の言葉はどこか皮肉っぽい。
群馬県警の取調室で、柊と茂木は飯塚茉莉を相手に事情聴取を行っていた。
「いいえ。仕事で高崎まで来る用事がありましたので、前橋まで足を伸ばしただけです。これから都内に戻らなければなりません。手短にお願いできますか?」
「分かりました」と柊は頷くと、「一昨日、東城秋香社長が殺害されたことはご存知ですよね?あなたが東城社長のことを恨んでいたことは分かっています」と尋ねた。
「知っています。今日、わざわざこんなところにまで来たのは、そのことについて警察が話を聞きたいだろうと思ったからです。確かに、あの女を殺したいほど憎んでいました。父の命を奪った憎っくき仇ですからね。できることなら、私の手で殺してやりたかった。あの女を殺してくれた犯人に感謝したいくらいです。ですが、私ではありません。私のことを疑っているのでしょうが、ムダです。一昨日の夜、私に、あの女を殺すことは出来なかったのですから」
「アリバイがある――と言う意味ですか?」
「ええ、そうです。一昨日の夜、私は日本にいなかったのです」茉莉が高らかに言った。
「日本にいなかった?」
「はい。シンガポールに出張しておりました。一昨日の夜のフライトで日本に戻ったばかりです。東城秋香が殺された時刻、私は空の上でした」これ以上ない完璧なアリバイだ。
「海外出張ですか!?失礼ですが、どういったお仕事をされているのですか?」
「証券会社に勤めています。外国為替関連の部署に所属しており、アジアの金融センターであるシンガポールには、よく出張に行きます。父親を殺され、残された母親を抱えて、生きて行かなければなりませんからね」
「お父様は自殺だったはずですが?」
「あの女に殺されたも同然です」茉莉は秋香への殺意を隠そうともしない。
「お母様の面倒を見ているのですか?確か、上にお兄さんが二人いたのでは?」
「あんな役立たずたちに、母の面倒を見る甲斐性なんてありません。はっきり言って、あいつらがもう少ししっかりしていたら、東城秋香の殺害を考える余裕があったのですけどね。ふふ」
母親の面倒を見るためではないだろうが、茉莉は独身で、都内のマンションで母親と二人で暮らしていた。
父親の死後、かろうじて残った遺産を母親と子供たちで分けた。
次男は大学を卒業後に、父親の会社とは関係のない一般企業に就職していた。父親の自殺後も生活に支障はないようだが、長男は会社を継ぐために父親の会社に勤めていた。父親の自殺後、会社が倒産し、職を失い、今はろくに働きもせずに、父親の遺産を食い潰しながら生活している。茉莉にとって、長兄の存在は頭の痛い問題だった。
秋香は憎かったが、恨みを晴らして、服役する余裕などないと言った。
「随分、手厳しいですな。それにしても、海外出張とは・・・」柊が残念そうな顔をした。それを目ざとく見てとった茉莉は、「あら、刑事さん。そんなに残念そうな顔をされては困ります」と朗らかに言った。
「ええ、残念ですね。あなたには立派な動機があるのに、容疑者リストから外さなければなりません」柊は正直だ。
「ふふ」と茉莉は嬉しそうに笑った。
「今度、海外に出張される際は、事前にご連絡頂けますか?当分、日本に居ていて、もらいたいのです」
「そうですね。仕事次第ですわ」
「あなたが事件当日、空の上にいたことを確認できるものがありますか?例えばパスポートとか」
「ええ」茉莉はパスポートを持参して来ていた。パスポートには、事件の日の翌日の入国スタンプが押されていた。鉄壁のアリバイと言えた。
登場した航空機の便名を聞き、飯島茉莉からの事情聴取は、呆気ないほどに簡単に終わってしまった。
茉莉の後ろ姿を見送ってから、柊が茂木に尋ねた。「どうだ、あの女は?」
「東城社長への殺意を隠そうとしないのは、鉄壁のアリバイがあるからでしょう。しかし、飛行機となると、アリバイを偽装するのは不可能ですね」
「そうか?誰かに代わるに飛行機に乗ってもらう方法がないか?」
「無理でしょう。税関がありますから、本人に成りすますなんて、とてもとても――」
「ああ、そうだな」柊はあっさり自説を捨てた。「そう言えば、飯塚茉莉の他に、もう二名、アリバイを調べる必要がある人物がいたな。係長はちゃんと調べてくれたのか?」
まったく、どちらが上司だか分からない。
「八田楓と西岡工ですね。大丈夫です。係長の指示で、小島さんと益田さんが調べてくれたみたいです」
小島も益田も、一課の同僚だ。
「ほ、ほう~それで、どうだった?」柊の性格だ。職場に親しい人間などいない。同僚や上司から情報を仕入れるのは、もっぱら茂木の仕事だ。
茂木は懐から手帳を取り出した。
「先ずは八田楓です。都内の大手都銀に勤務しています。期末間近のこの時期ですから、普通の会社員だと、まとまって休みなんか取れません。ましてや銀行マン、いや銀行ウーマンだと忙しい時期でしょう。犯行当日は何時も通り出勤しています。事件当夜は残業で遅くなったようです。夜、八時過ぎに退勤しています。出退勤記録がちゃんと残っていました」
「死亡推定時刻は夜八時から十一時の間だ。都内で八時に会社を出たのなら、車を飛ばせば、ぎりぎり死亡推定時刻の十一時に間にぎりぎり合うかもしれないぞ。その辺、ちゃんと調べたのか?」




