遺言①
広い応接室だ。
真ん中にでんと置かれた長方形のテーブルを、ぐるりとソファーが取り囲んでいる。横長のソファーには四人が楽々、腰を降ろすことができた。
縦方向には一人掛けのソファーが二つ、並べてある。計十二人が座ることができた。
一人掛けのソファーに中森が座り、横長のソファーの中森に近い場所に誠一が座った。対面のソファーには翔子と正春が並んで座った。
柊と茂木は中森の正面のソファーに座った。
正春は覚えていないようだが、翔子はかつて、育ての親だったことがある。翔子が正春を見る目はまるで母親のようだ。
中森は隣のソファーにブリーフケースを置くと、中から一通の封書を取り出した。
東城秋香の遺言書だ。
中森が厳かに封筒から遺言書を取り出す。
「それでは東城秋香氏の遺言を公開いたします。本遺言書は民法の規定に基づき、作成されたものですので、法的効力を有します。遺言書の作成には、私も立ち合わせて頂きました」
中森が遺言書を開封した。
「遺言者、東城秋香は本遺言書で次のとおり遺言する。ひとつ、遺言者は遺言者の所有する下記の財産を、遺言者の妹である近田翔子に相続させる。群馬県利根郡湯野沢村に所有する家屋、家財、土地、並びに山林。八重洲銀行品川支店にある遺言者名義の普通預金口座の預貯金」と遺言書を読み上げてから、中森は「このお屋敷と妙仏山のことです。呪い谷に所有する全ての不動産を近田さんにお譲りするということです。それに、昨日時点での八重洲銀行の口座残高ですが、ええっと・・・あった、これだ。五億二千六百十七万三千五百四十六円です。この全額が近田さん、あなたのものになります」とブリーフケースから銀行の取引明細書を取り出して翔子に見せた。
翔子はあんぐりと口を開けたままだ。驚きの内容に、翔子は勿論、誠一も正春も言葉を失った。誠一は見開いた目から目の玉が零れ落ちそうだった。
中森が言う。「東城秋香氏より近田翔子さんに遺言があります。こちらは故人の意志を示すもので、法的なものではありません。今、申し上げた遺産を相続するには、ひとつ条件があります」
「条件?やっぱりね。あのお姉さんが私に、沢山、財産を残してくれるはずないもの」
「遺産相続の条件はただひとつ、『お父さん、お母さんを大切にして下さい』とのことです」
「えっ!」翔子が絶句する。次の瞬間、翔子は「お姉ちゃん――!」と悲痛な叫び声を上げると、テーブルに突っ伏して、「あ~!あ~!」と大声を上げながら子供のように泣き出した。
端で見ていた誠一も正春も、呆気に取られた。姉に対する反発は愛情の裏返しであったのかもしれない。遺言を聞かされて、緊張の糸が切れてしまったようだ。
翔子は一人、泣き続けた。隣に座っていた正春が見かねて、優しく翔子の背中を撫でた。すると、翔子は益々、激しくむせび泣いた。
翔子が泣き止むまで、遺言書の公開が中断された。誠一が貧乏ゆすりをしながら、翔子が落ち着くのを待っていた。
翔子が泣き止むと、「それでは、続きを読み上げます。よろしいですか?」と中森が言った。誠一が「お願いします」と答える。
「ひとつ、遺言者は遺言者の所有する下記の財産を、遺言者の息子である石田正春に相続させる。東城グループの株式全部」また、中森がブリーフケースから別の書類を取り出した。「ええっと・・・東城グループの株式は未公開株ですので、正確に株価を算定することが出来ません。東城秋香氏が大半を所有されており、株式の総額はざっと十億円前後だと思います」
今度は正春が「十億・・・」と絶句する。
「石田正春さん、あなたにも遺言があります。お母様はあなたに会社を継いでもらいたかったようです。大学で経営学をしっかり勉強してもらい、大学を卒業したら、東城グループに入社してもらいたいそうです。『あなたは八田正剛と私の間に出来た子供なんですもの、きっと良い経営者になれるはず。私があなたに残してあげられるのは、これくらいしかないから』とおっしゃっていました」
正春が顔を歪める。「俺は泣かないよ」と言いながらも、目が真っ赤だった。今度は翔子が正春の背中に手をやる。正春は必死に涙が零れ落ちるのを我慢していた。
誠一の貧乏ゆすりが止まらない。秋香が遺言を残しているなんて、思いもしなかったのだろう。当然、秋香の遺産は実子である正春と折半になるものと思っていたはずだ。
それが近田翔子に五億を持って行かれてしまった。呪い谷の屋敷や山には正直、興味がなかったが、現金は痛かった。
それに、東城グループの株式を全て正春に譲られてしまうと、残った遺産など、たかが知れたものだ。
中森が残りの遺言内容を読み上げる。「ひとつ、遺言者は、上記の財産を除く、遺言者の所有する全ての財産を東城誠一に相続させる。ひとつ、遺言者は、この遺言の遺言執行者として、中森昭市を指定する。遺言執行者は、相続人の同意を得ることなく、不動産の登記手続き、預貯金債権の払戻し又は名義の書換え、その他、本遺言執行のために必要な全ての行為を行う権限を有するものとする」
「中森さん。これだと、僕が相続できるものなんて、何もないじゃないですか!」溜まりかねて誠一が叫ぶ。




