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アメリカとの交渉にようやく道筋が見え始めたという報告を受け、高畠は久しぶりに椅子の背へ深く身体を預けた。真珠湾攻撃は回避された。ハワイには日本政府代表団がおり、ワシントンからも調査団が到着している。高畠の親書もアメリカ政府中枢へ送られ、日本側代表団を本土へ招いて本格的な政府間協議を始める準備まで進んでいた。太平洋上では海上自衛隊と海上保安庁による通信中継網の構築が始まり、海底ケーブルを利用した常設回線の調査も進んでいる。数日前まで、日本とアメリカが本当に戦争へ突入するのを止められるのかさえ分からなかったことを考えれば、大きな前進だった。
「これで、少なくともアメリカとは話ができますね」
高畠がそう言うと、外務大臣もうなずいた。
「まだ入口ですが、入口までは来ました」
「入口で十分です。話し合える相手がいるだけでも、数日前とは全然違います」
そこで官房長官が、机の端に置かれていた別の資料へ手を伸ばした。
「総理、次はこちらです」
「次?」
高畠の顔に浮かんでいた安堵が消えた。
資料の表紙には、大陸情勢と記されていた。
高畠はページを開いた。朝鮮半島、台湾、満州、中国大陸、東南アジア。日本列島が1941年へ移動したからといって、日本という国家に関係していた地域まで一緒に消えたわけではない。そこには1941年の日本人が暮らし、行政機関があり、軍隊があり、日本政府からの命令を待っている組織まで存在する。
「……そうでした」
高畠は小さくつぶやいた。
「朝鮮総督府がありますね」
「あります。台湾総督府も健在です」
「満州も」
「はい」
外務大臣の返事が少し重くなった。
「むしろ、そちらが一番厄介です」
高畠は満州の資料を開いた。(*注1)満州国。(*注2)関東軍。新京。(*注3)溥儀。学校の歴史で習った名前が、今度はすべて現在形で並んでいる。数日前まで南雲忠一もキンメルもルーズベルトも歴史上の人物だった。それが次々と生身の人間になっている。満州についても同じだった。
「溥儀は、いま本当に皇帝なんですね」
「満州国皇帝です」
「関東軍もそのまま?」
「そのままです」
高畠は資料を閉じかけ、思い直してもう一度開いた。
「この人たち、日本列島で何が起きたか知っているんですか」
「断片的には異変を察知しているでしょう。ただし、現代日本政府が1941年へ移動したなどという事情を正確に把握しているとは考えられません」
「では向こうから見れば、ある日突然、本国との連絡がおかしくなった」
「そうなります」
「しかも、東京から新しい命令が来ない」
「はい」
高畠は額へ手を当てた。真珠湾攻撃を止めるときには、歴史を知っているという圧倒的な情報上の優位があった。しかし大陸には、別の種類の問題がある。関東軍は巨大な武装組織であり、満州国という国家機構まで存在する。現代日本政府が突然現れて「未来から来たので今後はこちらと話をしてください」と言ったところで、素直に従う保証などどこにもなかった。
「関東軍は、こちらの命令を聞きますか」
防衛大臣はすぐには答えなかった。
「命令する、という考え方そのものを避けたほうがいいと思います」
「南雲司令官のときと同じですね」
「むしろ難しいでしょう。第一航空艦隊は一つの作戦を中止するかどうかでした。満州では軍だけでなく行政、外交、満州国政府まで絡みます」
「溥儀本人とも話さなければならない?」
「最終的には必要になると思います」
高畠は再び資料へ目を落とした。満州国が日本の強い影響下に置かれていたことも、その後どうなったかも、現代日本側は知っている。しかし、その知識をそのまま1941年の当事者へ突きつければ済む話ではない。
「まず人を送りましょう」
高畠が言った。
「通信が整うのを待っていたら遅すぎます。こちらから直接行って、何が起きたか説明するしかありません」
「航空機を使いますか」
「使えるものは?」
防衛大臣が資料を開いた。
「九州方面からなら、オスプレイを使う案があります。航続距離と途中の補給について詰める必要がありますが、固定翼機ほど滑走路条件に左右されません。現地の飛行場事情が分からない場所でも選択肢が増えます」
「それでお願いします」
高畠は即答してから、すぐに付け加えた。
「ただし軍人だけで行かせないでください」
「もちろんです」
「外務省からも人を。満州国側との話があります。関東軍だけ説得して終わりでは困ります」
(*注1)満州国は、満洲事変により日本軍が占領した満洲(現在の中国東北3省遼寧省、吉林省、黒竜江省)、内蒙古、熱河省を領土として1932年(昭和7年/大同元年)に成立した国家。
(*注2)関東軍(かんとうぐん、旧字体: 關東軍)は、大日本帝国陸軍の総軍の一つ(1942年(昭和17年)10月1日以前は軍の一つ)
(*注3)愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ、アイシンギョロ・プーイー、満洲語 gioro pu i)1906年2月7日 - 1967年10月17日)清の第12代で最後の皇帝、後に満洲国執政、満洲国皇帝。1960年から中華人民共和国中国人民政治協商会議文史研究委員会専門委員、1964年から政協全国委員を兼任。 字は「耀之」で、号は「浩然」。辛亥革命後の呼称としては、廃帝と中華民国側から呼ばれる一方、旧清朝の立場からは遜帝とも呼ばれた。Wikipediaより抜粋




