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真珠湾攻撃を阻止するための動きが一段落すると、防衛省で次に始まったのは、太平洋を越えて日本とアメリカをつなぐ通信路を作る作業だった。ハワイにはすでに日本政府代表団がいる。ワシントンも動き始めている。これから本格的な交渉を行うというのに、日本と代表団との連絡を航空機の往復だけに頼るわけにはいかなかった。衛星通信は使えず、20XX年まで日本と世界を結んでいた海底光ケーブルも、その先につながっていた20XX年のアメリカやグアムが存在しない以上、ただ海の途中へ伸びているだけだった。そこで海上自衛隊と海上保安庁が共同で、太平洋上に通信拠点を設ける計画を具体化させた。護衛艦を中継基地として配置し、巡視船にも可能な範囲で通信を担わせ、日本からの短波通信を洋上で受けてさらに先へ送る。海図の上には日本からハワイまで何本もの候補線が引かれ、その途中に艦艇の配置予定地点が書き込まれていった。
例の参謀の机には、その計画に関係する資料が次々と積み上がっていた。艦を出せば燃料がいる。長期間洋上に置けば補給がいる。乗員の交代も必要になる。そこへ気象庁から、太平洋へ出す艦艇から観測気球を上げられないかという要望まで来た。衛星からの赤外線やマイクロ波データを失ったいま、洋上の気圧や風向、上層大気の観測値は以前とは比較にならないほど貴重だった。
「通信中継艦に気象観測ですか。次は何を載せるつもりです」
参謀が資料を持ってきた部下へぼやくと、相手は冗談とも本気ともつかない顔で「外務省から代表団との定時通信も最優先で、と来ています」と答えた。
参謀は机の端の胃薬へ目をやった。
「聞かなかったことにしたいな」
「無理だと思います」
「だろうな」
そう言って資料を受け取った。
短波だけでは心もとないとして、通信関係者は1941年の世界に存在する(*注)海底電信ケーブルにも目をつけていた。日本列島が20XX年のものと入れ替わったため、日本側にあった1941年の陸揚げ設備は消えている。しかし転移範囲の外側には当時のケーブルが残っている可能性がある。戦前の海図や通信史料を引っ張り出し、海底ケーブルを扱える船と技術者を集め、海中からケーブルを探し出して現代側の設備へ接続する計画まで立ち上がった。当然、1941年の電信線を現代の光通信設備へ直接つなぐことなどできない。間に変換設備を置かなければならなかったが、成功すればハワイを経由してアメリカ本土へ至る常設の政府間回線を構築できる可能性があった。
「無線はいつから使えます?」
官邸で高畠が尋ねると、防衛大臣は資料を確認した。
「臨時回線なら順次。安定した中継網にはもう少しかかります」
と答えた。
「もう少しって、どのくらいです」
「それをいま防衛省で詰めています」
「アメリカ側は待ってくれませんよ」
「承知しています。だから護衛艦を出します」
横から総務大臣が口をはさんだ。
「海底ケーブルのほうも調査を始めています」
高畠は少し驚いたように顔を向けた。
「ケーブルが残っているんですか」
「日本側の端は消えました。しかし転移範囲外の海底部分まで消えたとは限りません。見つけて接続できれば、1941年の通信網へこちらから入れる可能性があります」
「八十年前のケーブルと、うちの通信網をつなぐ?」
「乱暴に言えば、そういうことです」
高畠は目の前に並んだ資料を見渡した。昨日までは真珠湾攻撃をどう止めるかだけで政府全体が動いていた。それが止まった途端、今度は1941年世界とどう話すかという問題になった。
「ともかく、ハワイの代表団といつでも連絡できるようにしてください。向こうがワシントンと話を始めてから、いちいち飛行機で返事を持ち帰ってくるわけにはいきません」
そう言ってから高畠は少し間を置いた。
「それと、アメリカだけじゃありません。これが成功したら各国との回線も必要になりますね」
室内の何人かが同時に資料へ目を落とした。誰も否定しなかった。
「……また仕事を増やしました?」
高畠が聞くと、官房長官が「総理がおっしゃったんですが」と答えた。
そこで初めて小さな笑いが起こったが、それも長くは続かなかった。
(*注)1906年(明治39年)に開通した「日米間太平洋横断国際海底電信ケーブル」モールス信号を送るためのもので電話回線ではない。1941年の開戦で、機密保持の点から切断された。




