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その男たちが研究室へ入ってきたとき、エドウィン・O・ライシャワーは机に向かっていた。
十一月も終わりに近づいたケンブリッジはすっかり寒くなっていた。窓の外には葉を落とした木々が並び、研究室の中には書物と紙の匂いがこもっている。机の上にも何冊もの本とノートが開かれ、日本語で印刷された資料が重ねられていた。
ノックの音がした。
返事をすると扉が開き、見知らぬ男が二人入ってきた。
一人は背広姿だった。もう一人も軍服ではない。しかし大学関係者でないことは、名乗られる前から分かった。二人とも研究室を訪ねてきた人間にしては妙に周囲へ注意を払っていた。
「エドウィン・ライシャワー博士ですね」
「そうですが」
背広の男は身分証を見せた。政府関係者だった。ライシャワーは椅子から立ち上がった。国務省や陸軍から日本関係の仕事について声をかけられること自体は、もはやまったく予想外というわけではない。日米関係が日に日に悪化していることは、日本を研究している彼には嫌でも分かっていた。
しかし男が告げた内容は、予想していたどの仕事とも違った。
「ハワイへ行っていただきます」
「ハワイ?」
「はい」
「いつです?」
「これからです」
ライシャワーは男の顔を見た。
「これから、というのは?」
「できるだけ早く出発します」
「何のために?」
「現地で説明します」
「日本関係ですか」
男は一瞬だけ間を置いた。
「そうです」
「もう少し説明していただかないと、私にも準備というものがあります」
「大統領の命令です」
ライシャワーは黙った。
冗談を言っている顔ではなかった。
「ルーズベルト大統領の?」
「そうです」
それ以上の質問には、男は答えなかった。
持っていくものは最小限でいい。数日で戻れるかどうかも分からない。日本語関係の辞書と必要と思われる資料は持ってよい。ただし荷物は自分で運べる範囲にしてほしい。
ライシャワーは時計を見た。
「妻に連絡させてください」
「もちろんです」
研究室の電話を借りた。
エイドリアンにつながるまでの短い時間に、何をどう説明したものか考えた。しかし、そもそも自分にも何も分かっていない。
妻の声が聞こえた。
急な仕事が入ったことを告げた。ハワイへ行かなければならない。いつ帰れるか分からない。日本に関係する仕事らしい。そこまでしか言えなかった。
電話の向こうから当然いくつも質問されたが、答えられることはほとんどなかった。ライシャワー自身も困ったように笑い、大統領命令なのだと説明した。それがいちばん説明になっていないことは自分でも分かっていた。
電話を切る。
男たちはまだ待っていた。
ライシャワーは本棚から何冊かを抜き出した。日本語の辞書、ノート、筆記具、最低限の着替え。あれも必要かもしれない、これも必要かもしれないと思い始めれば際限がない。
大学を出ると、外には車が待っていた。
そこにも政府の人間がいた。
ここで初めて、ライシャワーは妙だと思った。
単に日本語の分かる研究者をハワイへ連れていくにしては、扱いが大げさだった。
車が動き出した。
「私は何を調べるんです?」
「移動中に資料をお渡しします」
「それも今は駄目?」
「ここでは」
ライシャワーは窓の外へ目を向けた。ハーバードの建物が後ろへ流れていった。自分の研究室へ戻るのが数日後なのか、数週間後なのかさえ分からない。
移動は急がされた。
途中から同行者が増えた。政府職員だけではなく軍関係者らしい男も加わった。荷物は常に監視され、ライシャワーが一人になる時間はほとんどなかった。
列車へ乗ると、指定された区画には一般の乗客が近づかないよう手配されていた。
「私は囚人ではないですよね」
さすがにライシャワーが尋ねると、同行していた政府職員は初めて少し笑った。
「もちろんです」
「それにしては、ずいぶん厳重だ」
「博士を守っているわけではありません」
「では?」
「博士がこれから知ることを守っています」
その返答で、かえって不安になった。
列車が動き出してしばらくしてから、ようやく封筒が渡された。表には取り扱いについての注意が記されている。
ライシャワーは封を切った。
最初の一枚は、ハワイから送られてきた報告の要約だった。読み始めて間もなく、眉を寄せた。
日本国籍標識を有する所属不明航空機。
四発大型機。
プロペラなし。
ヒッカム飛行場へ着陸。
東京から無着陸で飛来したと搭乗員は主張。
ライシャワーは顔を上げた。
「これは何です?」
「そのまま読んでください」
「いや、そのまま読めと言われても」
「われわれも同じです」
ライシャワーはもう一度紙へ目を落とした。
次のページへ進む。
航空機の乗員は「日本国政府」の使節であると主張。
所属組織として「海上自衛隊」なる名称を使用。
同行者にアメリカ軍大佐を称する米国人一名。
「海上自衛隊?」
思わず声に出た。
日本語として意味は分かる。
しかし、そのような組織は知らない。
さらにページをめくった。
20XX年。
ライシャワーの指が止まった。
印刷の誤りかと思った。
その次にも同じ数字がある。
使節は、自分たちが20XX年の日本から来たと主張している。
ライシャワーは紙から目を離した。
「これを信じているんですか」
「私は判断する立場にありません」
「大統領は?」
「だから博士がハワイへ行くんです」
ライシャワーは再び読み始めた。
今度は読む速度が遅くなった。
資料には、ハワイ側が確認した事項と、代表団が主張しているだけの事項が分けて記されていた。
正体不明機が実在すること。
Pー40が迎撃したこと。
機体に日の丸があること。
プロペラを持たないこと。
アメリカ人が少なくとも二人搭乗していたこと。
薄い携帯型機械によってカラー映像を再生したこと。
ここまでは、ハワイの米軍関係者が実際に確認した事項だった。
その先は代表団の主張だった。
未来の日本には大日本帝国海軍は存在しない。
代わりに海上自衛隊がある。
日本とアメリカは同盟国である。
アメリカ軍は日本国内に基地を置いている。
そして現在、日本海軍の空母六隻がハワイ攻撃のため北太平洋を航行している。
攻撃予定日。
十二月七日。
ライシャワーはそこで読むのを止めた。
窓の外ではアメリカの風景が流れ続けている。
「これは日本側の情報ですか」
「そうです」
「ワシントンは日本が攻撃に出る可能性を考えている」
「それ以上はお答えできません」
「しかし、ハワイ?」
「それを調べるのも今回の任務です」
資料には六隻の空母の名前まで記されていた。
赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴……。
ライシャワーは軍事専門家ではなかった。それでも、日本がこれほど大規模な空母部隊を一つの作戦へ投入する意味くらいは理解できた。
次の資料で、さらに混乱した。
エミリー・カーター。
二十七歳。アメリカ国籍を主張。東京大学大学院在籍。研究分野、1940年から1941年における日米外交交渉。
本人の出生記録なし。
両親についても現時点で確認不能。理由――本人によれば、まだ生まれていないため。
ライシャワーは眼鏡を外し目頭を指で押さえた。
「この女性も会うんですか」
「その予定です」
「日本語は?」
「非常に流暢だそうです」
「日本研究者?」
「あなた方の時代の日米関係を研究している、と」
あなた方の時代。
その表現が妙に耳へ残った。
ライシャワーは眼鏡を掛け直した。
まだ資料は残っている。
現代の東京だという写真。
高層建築。
巨大な鉄道駅。
見たこともない自動車。
日本の港に停泊する米海軍艦艇。
日の丸と星条旗が同じ場所に掲げられている写真。
写真だけなら精巧な偽造を疑える。
しかし、そのためにプロペラのない巨大航空機までハワイへ飛ばす必要がどこにあるのか。
さらに、代表団が持参したという映像装置についての報告が続いた。
米軍技術者にも原理が分からない。
内部の調査はまだ許可されていない。
ルーズベルト自身が分解を禁じた、と余白の追記にあった。
ライシャワーは思わずそこを二度読んだ。
「大統領もずいぶん慎重ですね」
「壊したくないそうです」
「私も賛成です」
資料を閉じても、頭の中は整理されなかった。
日本についてなら、自分はかなり知っているつもりだった。
東京で生まれた。
日本で育った。
日本語を話す。
日本の歴史を研究してきた。
ところが、これから会うという日本人については、自分の知識がほとんど役に立たない可能性がある。
彼らは日本人でありながら、自分の知っている日本の八十年以上後から来たという。
列車は西へ進んだ。
途中で乗り換え、さらに西へ向かった。駅へ着くたびに政府関係者が先に降り、周囲を確認した。ライシャワーがホームへ出ると、すぐ別の人間が付き添った。
最初は大げさだと思っていた警護も、資料を読み終えたころには違って見えた。
もし、書かれていることの半分でも事実なら、自分たちが運んでいるのは単なる調査団ではない。
国家がまだ理解できていない何かへ向かっている。
夜になってもライシャワーは資料を読み返した。とりわけ気になったのは未来の兵器でも巨大都市でもなかった。日米同盟だった。本とアメリカが戦争をするのではない。
同盟国になる。
日本国内にアメリカ軍基地が置かれる。そこへ至るまでに何が起きるのか資料には書かれていなかった。意図的に削られているらしかった。
そして、もう一つ気になる記述があった。
未来日本側は、個人の将来について原則として回答しない。なぜそのような注意書きが必要なのか。
自分たちは、1941年の人間一人一人についてまで知っているということなのか。
ライシャワーはそこで考えるのをやめた。
考えても答えは出ない。
やがて旅の終わりに、空気が変わった。
東海岸の冷たさが遠ざかり、カリフォルニアへ着いた。ここから先は鉄道ではない。
太平洋だった。
車で移動した先に、巨大な飛行艇が待っていた。
パンアメリカン航空の(*注)ボーイング314だった。
水上に浮かぶその姿は、航空機というより翼を付けた船のように見えた。太平洋を越えるために作られた大型飛行艇である。サンフランシスコからホノルルまで、途中に着陸できる陸地のない二千四百マイル余りを飛ぶ。
ライシャワーは荷物を手にしたまま、その機体の前で立ち止まった。
ここまで来て、ようやく本当にハワイへ行くのだという実感が湧いた。
その先には、日本から飛んできたというもう一機の巨大航空機が待っている。
こちらはプロペラを持つ。
向こうは持たない。
こちらは1941年のアメリカが作り上げた、世界でもっとも進んだ長距離旅客機の一つだった。
向こうは、それを八十年以上過去の機械にしてしまうという。
ライシャワーは手にしていた鞄を持ち直した。
太平洋の向こうには、自分が誰よりよく知っていると思っていた国がある。
しかしハワイで待っているのは、自分がまだ一度も見たことのない日本だった。
(*注)ボーイング314(Boeing 314)は、アメリカ合衆国の航空機メーカーのボーイング社が開発した、長距離旅客輸送用飛行艇である。1938年6月7日初飛行。12機が生産された。




