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同じころ、はるか東のオアフ島では、もう一機の未来日本の航空機が完全に停止していた。
ヒッカム飛行場の一角で、Pー1は異様な静けさに包まれていた。四基のジェットエンジンが止まったことで、さきほどまで聞こえていた低い唸りは消えている。その代わり、周囲では何台もの車両が動き、武装した陸軍兵が機体を遠巻きに取り囲んでいた。
誰も不用意には近づかなかった。
目の前の航空機について、知っている者が一人もいなかったからである。
四発機であることは分かる。しかしプロペラがない。翼の下に吊られた四つの発動機らしいものにも、回転するものが見当たらない。胴体は大型爆撃機ほどもあるのに銃座がなく、外板は異様なほど滑らかだった。
そして日の丸がある。
滑走路の端には、先ほどまでPー1を先導していたPー40Bウォーホークが停止していた。操縦士が降りると、飛行帽を外すのも忘れたようにPー1を見つめていた。空中では横からしか見ることができなかった巨大な機体を、今度は地上から眺めている。どう見ても日本機でありながら、自分の知っている日本機とは何一つ似ていなかった。
Pー1の内部でも乗員たちは外の様子を確認していた。
代表団には、機外へ出たあとの行動が改めて伝えられた。武器は携行しない。急な動作をしない。米軍側の指示には可能な範囲で従う。未来については政府から開示を認められた範囲だけを説明する。
最初に外へ出る役目は、あらかじめ決められていた。
機体の扉が開いた。
地上にいた兵士たちの姿勢が一斉に変わった。銃口そのものを向ける者はいなかったが、いつでも構えられる状態になった。
扉から最初に姿を現したのは、日本人ではなかった。
背の高い白人の男だった。
軍服を着ている。
しかし、その軍服を知る者もいなかった。
男はタラップをゆっくりと降りた。両手が見えるようにし、地上へ着くとその場で立ち止まった。胸には見慣れない略綬や徽章があり、階級章も1941年の米陸軍とは違っている。
周囲の米兵たちは互いの顔を見た。
男は英語で自分の姓名を告げ、アメリカ合衆国軍の大佐であると名乗った。
応対に出ていた陸軍将校の表情が険しくなった。目の前の男は間違いなくアメリカ人らしい。発音にも不自然なところはない。ところが名乗った所属が存在しない。
大佐は一瞬言葉を選んだ。
自分が所属するのはアメリカ空軍である。しかし、この時代にはまだその軍種そのものがない。
そこで、在日米軍司令部から派遣された合衆国軍将校であることだけを告げた。
「在日米軍?」
陸軍将校が初めて口を開いた。
現代米軍大佐はうなずいた。
「日本に駐留するアメリカ軍です」
今度は周囲にいた何人もの兵士が顔を見合わせた。
日本にアメリカ軍が駐留している。
その一言だけでも理解し難かった。
陸軍将校は大佐の身分証明書を受け取った。小さなカードを表裏から眺めたが、当然ながら見覚えのない形式だった。記載された英語は読める。アメリカ合衆国を示す文字もある。写真も目の前の男と一致する。しかし発行機関も番号体系も、1941年の軍人には意味をなさなかった。
さらにPー1から人が降りてきた。日本政府代表団の団長を務める外務副大臣、外務省の北米担当者、防衛省と海上自衛隊の連絡要員、在日米大使館から同行した外交官。そして最後のほうに、一人だけ明らかに雰囲気の違う若い女性が姿を現した。
エミリー・カーター、二十七歳。東京大学大学院に留学しているアメリカ人だった。
長身で細身、大きな丸眼鏡をかけ、赤みを帯びた栗色の髪を後ろでまとめている。政府代表団の男たちがスーツを着ているのに対し、エミリーだけは急な招集を受けたため、大学にいたときの服装に近かった。肩から大きなバッグを提げ、その中にはノートPCと紙のノート、それに研究資料が詰め込まれていた。
応対していた陸軍将校の視線がエミリーで止まった。
エミリーは英語で姓名と国籍を告げ、東京の大学院で日米外交史を研究していると説明した。専門は1940年から1941年にかけての日米交渉だった。いま彼女が立っている時代そのものが、博士論文の研究対象だった。
陸軍将校の怪訝な表情はますます深くなった。若いアメリカ人女性が日本から正体不明の航空機で飛来し、日本語を話し、現在進行中の日米交渉を研究しているという。そこへ存在しない米軍組織を名乗る大佐までいる。どこから疑えばよいのか分からないほど話がおかしかった。
代表団は飛行場内の建物へ移された。Pー1には武装兵が残り、機体へ勝手に立ち入らないことだけは現代米軍大佐から強く求められた。
最初の事情聴取が続いている間にも、報告は上へ上へと送られていた。
西から飛来した所属不明の四発機。日本の国籍標識。プロペラなし。東京から無着陸で飛来したと主張。日本政府代表団を搭載。さらにアメリカ軍人を名乗る男とアメリカ人女性が同乗している。
そして、真珠湾攻撃についての警告。
この最後の一項が加わったところで、報告の扱いが変わった。
ヒッカムからの連絡はハワイ航空軍司令部へ上げられた。
(*注)フレデリック・L・マーティン少将は、最初の報告を読み返した。
意味を取り違えたのではないかと確認させたが、返ってきた内容は同じだった。日本から飛来した航空機の乗員が、日本海軍の空母部隊がハワイ攻撃のため北太平洋を航行中だと告げている。
しかも日付は12月7日。
マーティンは追加報告を命じ、自らヒッカムへ向かうことを決めた。
さらにその報告は、ハワイ方面の陸軍部隊を統括するウォルター・C・ショート中将のもとにも届けられた。
ショートにとって、その日はただでさえ穏やかな日ではなかった。ワシントンから対日情勢の悪化を警告する電報が届いていたからである。そこへ今度は、日本方面から正体不明の航空機が現れ、日本海軍がハワイを攻撃すると告げてきた。
偶然として片づけるには、出来すぎていた。
ヒッカムの一室では、まだ事情聴取が続いていた。
エミリーはほとんど口を挟まず、外務副大臣と現代米軍大佐の説明を聞いていた。ところが部屋へ入ってきた将校が、新たに到着する人物の名を告げた瞬間、彼女の手が止まった。
Frederick L. Martin.
エミリーは顔を上げた。
知っている名前だった。
もちろん、会ったことはない。
彼女にとってフレデリック・L・マーティンは、真珠湾攻撃前後の史料に登場する歴史上の人物だった。
それが、いまこの建物へ向かっている。
エミリーは無意識に眼鏡を押し上げた。
机の上には自分の研究ノートが置いてある。その中にも、マーティンの名前が記されていた。
しばらくして廊下が騒がしくなった。
扉が開いた。
入ってきた将校を見た瞬間、エミリーは立ち上がった。
フレデリック・L・マーティン少将だった。
写真でしか知らなかった人物が、自分の足で部屋へ入ってきた。
エミリーは何も言わなかった。
ただ、あまりに長く見つめてしまったらしい。マーティンのほうが一度、怪訝そうに彼女へ視線を向けた。
エミリーは慌てて目をそらした。
その仕草を見た現代米軍大佐だけが、彼女が何に驚いたのか気づいたようだった。
(*注)フレデリック・L・マーティン少将(Major General Frederick Leroy Martin、1882年11月22日 – 1954年2月23日)は、アメリカ陸軍航空軍(USAAF)の将官であり、1941年12月7日の真珠湾攻撃時におけるハワイ空軍(Hawaiian Air Force)の指揮官として、また1924年の世界初の世界一周飛行の初代指揮官として歴史に名を残している人物。Wikipediaより抜粋




