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今度こそ室内に動揺が走った。
ここまで機動部隊は、その存在そのものを秘匿するため無線封止を守ってきた。それを南雲自身が破ろうとしている。
「連合艦隊司令部へ緊急電。所属不明の日本航空機と接触し、ハワイ作戦の企図が米側に通報された可能性極めて大なり。奇襲成立の見込みなし。機動部隊は攻撃行動を中止し、反転する。爾後の命令を請う」
草鹿がうなずいた。
南雲はさらに続けた。
「第六艦隊にも送れ。潜水艦部隊に攻撃行動を取らせるな。こちらから命令できぬなら、作戦中止を緊急通報して、上級司令部の指示を仰がせろ」
海自大佐が初めて口を開いた。
「潜水艦については、われわれも捜索を続けます」
南雲は大佐を見た。
「見つけられるのか」
「すでに複数の位置を確認しています」
その返答にも南雲はもう驚かなかった。しばらく大佐を見つめ、それから小さくうなずいた。
「ならば頼む」
それは、この会談が始まってから初めて南雲が未来日本側へ向けて発した依頼だった。
命令が動き始めた。
幕僚が部屋を出ていき、通信員へ指示が伝えられた。信号員も配置についた。それまで未来人との奇妙な会談が行われていた赤城の艦内が、再び軍艦として動き始める。
南雲は机の上に置かれた高畠首相の文書へ目を落とした。
「ひとつだけ、はっきりさせておく」
大佐は姿勢を正した。
「私は、君たちの話をすべて信じたわけではない」
「承知しています」
「あの機械も、あの飛行艇も、私には分からん。八十年先から来たという話も、今すぐ納得できるものではない」
そこで南雲は言葉を切った。
「だが、作戦が敵に知られたという一点だけは別だ」
海自大佐は黙って聞いていた。
「ハワイ側がすでに警戒している可能性がある以上、このまま予定どおり突入することはできん。これは未来を信じたからではない。艦隊を預かる者としての判断だ」
「はい」
「勘違いするな。作戦を永久に放棄したのでもない。上級司令部の命令を待つ。その間、攻撃行動は停止する」
この言葉は重要だった。
南雲には戦争を止める権限などない。日本の国策を変更する権限もない。自分が指揮する機動部隊について、現在の作戦前提が失われたと判断し、いったん刃を収める。それが彼にできる最大限だった。
海自大佐は深く一礼した。
「それで十分です」
南雲は答えなかった。
艦内のどこかで信号が鳴った。
命令は赤城から各艦へ伝わっていった。
最初に変化したのは、旗艦周辺の艦艇だった。信号旗が上がり、発光信号が送られ、各艦の艦橋で双眼鏡が一斉に赤城へ向けられた。受信した信号員が内容を書き取り、それを将校が確認する。命令を読んだ者の中には、思わずもう一度紙面を見直す者もいた。
作戦中止。
反転。
各艦は警戒を維持しつつ、旗艦の運動に従え。
赤城の艦橋から操舵への命令が伝わった。
巨大な船体がゆっくりと傾き始めた。
艦首が、それまで目指していた東から外れていく。
甲板上の兵たちは何が起きたのか分からないまま、足元から伝わる船体の動きに気づいた。見張り員は周囲の艦艇へ双眼鏡を向けた。
加賀が続いた。
さらに蒼龍、飛龍。
翔鶴と瑞鶴も針路を変え始めた。
外周を固めていた護衛艦艇も次々と旋回に入り、それまで東へ向かって伸びていた白い航跡が、北太平洋の海面に大きな弧を描き始めた。
海上に浮かぶUSー2からも、その変化は見えていた。
艇内の隊員たちは窓越しに艦隊を見つめていた。誰も声を上げなかった。目の前で六隻の航空母艦を中心とする巨大な艦列が、ゆっくりと向きを変えている。
赤城の艦内では、例の二曹が通路の舷窓から外を見ていた。
その後ろを水兵たちが慌ただしく通り過ぎていく。作戦が中止された理由を知る者はまだごくわずかだった。命令だけが先に艦内を走り、兵たちはそれに従って動いている。
二曹はふと通路の向こうへ目を向けた。
あの若い水兵がいた。
曾祖父かもしれない男だった。
水兵は仲間と何かを運んでおり、こちらには気づかなかった。その姿はやがて隔壁の向こうへ消えた。
二曹は追わなかった。
未来の記録では、その男は1942年6月に戦死することになっていた。
だが、いま赤城はミッドウェーへ向かっているのではない。
真珠湾へさえ向かわなくなった。
これから先、その男がどこで何をするのかは、もう二曹にも分からなかった。
それでいいような気がした。
司令部では、南雲が海図の前に立っていた。
海自大佐もその横に立った。
海図にはハワイまでの航路が引かれている。昨日までは、その線の先に真珠湾があった。
南雲はその線をしばらく見つめた。
「君たちの歴史では、我々はこのまま進んだのだな」
「はい」
「そして攻撃した」
「はい」
「その先も、全部知っていた」
「今日までは」
南雲が大佐を見た。
「今日までは?」
「貴艦隊が反転した記録は、われわれの歴史にはありません」
南雲は黙った。
「ですから、ここから先については、われわれも知りません」
海図の上には、反転した艦隊の新しい針路が書き込まれ始めていた。
それはどの歴史書にも載っていない線だった。
南雲はその線を見つめたまま、しばらく動かなかった。
やがて低い声で命じた。
「全艦、反転を継続。警戒を厳にせよ」
草鹿が復唱した。
赤城は西へ向かっていた。
その後ろを五隻の空母と護衛艦艇が続いている。
一九四一年十一月二十七日、北太平洋。
真珠湾へ向かっていた機動部隊は、史実には存在しない航跡を海面に描き始めた。




