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挿絵(By みてみん)

 内火艇が赤城へ近づくにつれ、海自隊員たちはしだいに口数を失っていった。

 海面から見上げる赤城は、写真や模型から想像していたよりもはるかに巨大だった。灰色に塗られた船腹が波間からそそり立ち、その上を長大な飛行甲板が覆(おお)っている。艦首がうねりを押し分けるたび、船体に沿って白い波が崩れた。現代の護衛艦とは違う。鋼板の継ぎ目も、舷側に並ぶ開口部も、甲板から突き出す構造物も、すべてが八十年以上前の造船技術によって作られている。それでも、それが巨大な軍艦であることには変わりなかった。


 大佐は内火艇の中央に腰を据えたまま、赤城を見上げていた。隣に座る二曹は、先ほどからほとんど動かなかった。海上自衛官である以上、赤城について知らないわけではない。だが、知識として知っていることと、その実物が目の前で数万トンの船体を揺らしていることはまったく違った。


 内火艇が舷側へ寄せられた。上から縄梯子が下ろされ、旧海軍の水兵たちが並んでこちらを見下ろしている。先に大佐が取りつき、そのあとを隊員たちが続いた。波で艇が上下するたび梯子が揺れた。現代艦艇の舷門から乗り込む感覚とは違い、手袋越しにも濡れた縄の感触が伝わってきた。

 甲板へ上がったところで、待ち構えていた海軍将校が敬礼した。大佐も答礼する。将校の視線が大佐の帽章から肩、胸、袖へと動いた。制服は見たことがない。しかし錨を意匠に取り入れた標章や階級を示す記章から、少なくとも目の前の男が海に属する組織の高級士官であるらしいことは察したようだった。

 周囲には水兵たちが集まっていた。露骨に取り囲んでいるわけではないが、誰もが未来から現れた一行を見ている。海自側も同じだった。目の前を通り過ぎる水兵の軍服、帽子、靴、腰に下げた装具、その一つ一つが博物館の展示物ではなく、現役の軍用品として使われている。

 案内役の将校が歩き出した。

 一行はその後について艦内へ入った。


 途端に空気が変わった。

 外の冷たい海風が消え、代わりに油と金属、それに人間の生活臭が混じった重い空気が鼻をついた。通路は狭く、頭上には配管や電線が這い、ところどころ裸電球が黄色い光を落としている。床には滑り止めが施され、隔壁を抜けるたびに高い縁をまたがなければならなかった。

 現代の護衛艦も決して広い場所ではない。しかし赤城の内部には、別の種類の窮屈さがあった。人間と機械を巨大な船体の中へ可能な限り詰め込み、そこへ航空機まで載せて海を渡るために作られた空間だった。

 通路を行き交う水兵たちは、壁際へ寄って一行を通した。そのたびに視線が海自隊員へ向けられる。未来人を見る目というより、まず制服を観察していた。海軍の軍服とは違う。それでも外国人には見えない。顔も言葉も日本人で、姿勢や歩き方には軍人らしいものがある。


 階段に差しかかった。

 大佐が一瞬足を止めた。階段というより梯子に近い急角度だった。手すりを握って上がると、途中から発動機の音とは別の機械音が強くなり、どこかで金属を打つ音が響いてきた。

 格納庫へ出た。

 海自隊員たちの足が自然に止まった。

 航空機が並んでいた。

 翼を折り畳んだ機体の周囲を整備兵たちが動き、工具を手に機体へ潜り込む者、燃料や装備を扱う者、部品を運ぶ者が忙しく行き交っている。現代の航空機格納庫とは違い、機械と人間の距離が近い。鼻につく燃料の臭いも濃かった。

 機体には日の丸が描かれている。


 二曹の目が一機に吸い寄せられた。零式艦上戦闘機だった。映像でも復元機でもない。外板には使用の跡があり、整備兵が脚の周囲へしゃがみ込み、別の兵が機体を押している。これから十日あまり後には、同じ型の航空機が真珠湾上空を飛ぶことになる。

 大佐は振り返らず、先へ進んだ。

 二曹も遅れて歩き出した。

 格納庫を抜ける途中、海自側の一人が天井を見上げた。巨大な空母でありながら、現代艦なら当然あるはずの設備がない。火災探知、防火設備、照明、換気、そのどれもが彼らの知るものとは比較にならなかった。現代の海自隊員から見れば危険に思えるものが、ここでは当たり前の状態で使われている。

 しかし誰も感想を口にしなかった。

 彼らは、この艦が翌年六月にどうなるか知っていた。


 格納庫に燃料を入れた航空機が並び、爆弾や魚雷を扱う。その状態で飛行甲板を爆弾が貫けば何が起きるか。その結果まで知っている人間が、まだ無傷の赤城の格納庫を歩いているのである。

 再び狭い通路へ入った。食事時にはまだ早いはずだが、どこからか炊いた米の匂いが漂ってきた。開いた扉の向こうには大きな釜が並び、白い作業着姿の兵が動いている。別の区画では洗った食器が重ねられ、その横を汗まみれの機関科員らしい男たちが通り過ぎた。


 二曹はそこで、ふと足を止めた。

 向こうから数人の水兵が歩いてきた。

 そのうちの一人を見た瞬間だった。

 二曹は何も言わなかった。ただ、顔だけが水兵の動きを追った。

 二十歳(はたち)を少し過ぎた程度だろう。日に焼けた顔をしている。特に目立つところのない若い水兵だった。すれ違う直前、その水兵も二曹へ視線を向けた。


 二人の目が合った。

 水兵の眉がわずかに動いた。

 二曹も動かなかった。

 どこか似ていた。


 他人の空似と言ってしまえばそれまでだった。だが、二曹には幼いころから何度も見た顔があった。仏壇の脇に置かれていた古い写真である。海軍の軍服を着た若い男が、硬い表情で正面を向いていた。

 写真の裏には名前が書かれていた。

 赤城乗組。

 昭和十七年六月、戦死。

 すれ違った水兵の胸元へ目が行った。

 姓が見えた。

 二曹の足が止まった。


 後ろを歩いていた隊員がぶつかりそうになり、慌てて避けた。案内役の海軍将校も振り返ったが、二曹はすぐに何でもないというように歩き始めた。

 振り返らなかった。

 振り返れば、もう一度顔を見てしまう。

 それが本人なのか確かめたくなる。

 名前を聞きたくなる。

 出身地を聞けば、間違いなく分かるかもしれない。

 しかし、分かったところで何を言えばいいのか。


 あなたは私の曾祖父です。

 あなたは半年後に死にます。


 だが、これからわれわれが真珠湾攻撃を止めれば、あなたが死ぬミッドウェー海戦そのものが起きないかもしれません。

 そんなことを言えるはずがなかった。

 二曹は前を歩く大佐の背中だけを見て歩いた。


 そのころ、先ほどの若い水兵は通路の向こうで一度だけ振り返っていた。見知らぬ制服を着た男の後ろ姿をしばらく眺め、首をかしげる。それから仲間に促され、再び歩き始めた。

 一行はさらに艦内を進んだ。

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