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挿絵(By みてみん)

 北太平洋を東へ進む機動部隊の上空は、低く垂れ込めた雲に覆われていた。海面には白波が絶え間なく走り、六隻の航空母艦を中心とした艦艇群は、それぞれ一定の間隔を保ちながら灰色の海を進んでいた。艦首が波を割るたびに白い飛沫が上がり、飛行甲板を冷たい風が吹き抜けていく。


 最初に異変を見つけたのは、外周を警戒する艦の見張り員だった。双眼鏡を構えていた手が止まり、いったん目を離して肉眼で空を確かめてから、再びレンズを目へ押し当てた。雲の切れ間に小さな点が見える。それはしばらく同じ方角にあり、やがて目に見えて大きくなり始めた。

 報告はすぐに艦橋へ上げられ、さらに旗艦へ送られた。各艦でも次々に見張り員が同じ方角へ双眼鏡を向け始めた。接近してくるものが航空機であることは間もなく分かった。しかも単発でも双発でもない。四つの発動機を持つ大型機だった。

 飛行甲板の動きが慌ただしくなった。待機していた搭乗員が機体へ向かい、整備兵が発動機の始動準備に取りかかる。対空機銃にも兵がつき、艦橋では将校たちが双眼鏡を手にした。機動部隊は無線封止を続けている。予定された味方機が飛来する時刻でもなく、そもそもこの海域へ近づく航空機があること自体が異常だった。


 機影はなおも近づいてきた。

 四発の大型飛行艇だった。

 そこまでは理解できた。しかし、そこから先が分からなかった。海軍のどの飛行艇とも姿が違う。太い艇体と長い主翼を持ちながら、全体の線は妙に滑らかで、外板には遠目にも分かるような凹凸が少ない。四つの発動機も見慣れたものではなく、機体の大きさに比べて機首周辺には武装らしいものが見当たらなかった。


 大型飛行艇は艦隊へ一直線には向かわず、かなり離れた位置で針路を変えた。艦列と並ぶように飛びながら、一度ゆっくりと側面を見せた。

 何人もの見張り員が同時に気づいた。

 主翼と胴体に日の丸があった。


 艦橋へ新しい報告が届いた。双眼鏡を手にした将校たちは、今度は機体の標識を確かめようと争うようにレンズを向けた。確かに日の丸である。敵国機が偽装している可能性も捨て切れないが、日本機ならば、あの飛行艇が何なのか分からないことのほうがおかしかった。

 飛行艇はさらに速度を落とした。機動部隊の針路に合わせ、一定の距離を保ちながら並行する。艦隊側が警戒していることを承知しているかのように、それ以上は近づいてこなかった。

 その機首付近で、光が点滅した。

 艦橋にいた信号員が反応した。双眼鏡を下ろし、すぐに点滅へ注意を集中する。短い光と長い光が規則正しく繰り返されている。でたらめな明滅ではなかった。信号員の鉛筆が紙の上を走り始めた。

 和文モールスだった。

 読み取られた文字が順番に並んでいった。


 ワレ ニホンキ。

 コウゲキノ イシナシ。


 周囲にいた将校たちの視線が紙へ集まった。もう一度信号が繰り返され、読み違いでないことが確認された。日の丸を付けた正体不明の飛行艇が、自ら日本機と名乗り、攻撃の意思はないと伝えている。

 旗艦から発光信号が返された。


 ショゾク シメセ。


 大型飛行艇からの返答はすぐに来た。信号員が符号を追い、紙へ文字を書き加えていく。途中で鉛筆が一瞬止まった。読み間違えたと思ったのか、信号員は顔を上げ、もう一度送信を要求した。

 同じ点滅が繰り返された。

 今度は間違いようがなかった。


 カイジョウジエイタイ。


 紙を受け取った将校が眉を寄せた。「海上」も「自衛」も意味の分からない言葉ではない。だが、海上自衛隊などという組織は日本には存在しなかった。陸軍でも海軍でもなく、それでいて日の丸を掲げ、自らを日本の組織だと名乗っている。

 飛行艇が再び発光した。


 ニホンコクセイフ メイニヨリ キカンニ ツウコクアリ。


 今度は艦橋の空気が明らかに変わった。

 日本国政府。

 その言葉自体がおかしかった。日本には政府があり、内閣もある。しかし軍用機がこのような形で「日本国政府」の命を受けたと名乗り、海軍の機動部隊へ直接接触してくることなど考えられない。まして、その航空機の所属は海軍ではなく、聞いたこともない海上自衛隊である。

 各艦では依然として対空警戒が続いていたが、すぐに射撃が始まる気配はなくなった。甲板上の兵たちは作業の手を止めることを許されないまま、それでも隙を見ては上空の巨大な飛行艇を見上げていた。

 飛行艇はさらに高度を下げた。

 そのとき、赤城の見張り員が機体側面に書かれた文字を読み取った。双眼鏡を持つ手に力が入り、隣の兵へ渡す。兵も同じ場所を確認した。そこには確かに、先ほど発光信号で名乗ったものと同じ文字が記されていた。


 海上自衛隊。

 そして、その下には見慣れない数字や小さな文字が並んでいる。機体そのものの造りも奇妙だった。窓は大きく、艇体には海軍機なら当然あるはずの銃座がない。大型飛行艇でありながら、敵を攻撃するために作られた機体には見えなかった。

 旗艦から再び信号が送られた。


 ヨウケン シメセ。

 USー2からの点滅が返ってきた。

 シンジュワン コウゲキニ カンスル キンキュウツウコク。

 信号員の手が止まった。


 書き取られた紙はすぐに将校へ渡され、さらに上へ送られた。艦橋内で何人もの顔が見合わせられた。

 真珠湾。

 その地名を、この艦隊の乗員が知らないはずはなかった。

 しかも、この飛行艇は「真珠湾攻撃」と明確に送ってきた。

 艦隊の目的は秘匿されていた。乗員のすべてが作戦の全容を知らされているわけではなく、まして外部の所属不明機が知っているはずはない。上空を飛ぶ一機の正体について、それまで抱かれていた疑念とは別の種類の緊張が艦橋に広がった。

 しばらく返答はなかった。

 USー2は急かすこともなく、艦隊と並行して飛び続けた。やがて旗艦の信号灯が再び点滅した。


 チャクスイ カノウカ。

 USー2から短い返答があった。

 カノウ。


 艦隊の一部が動いた。周辺海面の警戒が強化され、駆逐艦の一隻が位置を変え始める。信号によって着水すべき方向が示され、USー2は艦隊からいったん離れた。風向きと波の状態を確認するように大きく旋回する。

 甲板上の兵たちの視線が、空を動く飛行艇を追った。

 四つの発動機の音が変化した。USー2は風上へ回り、高度を下げていく。巨大な艇体が海面へ近づき、やがて最初の接触とともに白い水煙が盛大に上がった。一度波の上を跳ねるように見えた機体は、そのまま海面を長く滑走した。両側へ白い飛沫を上げながら速度を落とし、ついには波間に浮かぶ一隻の小船のようになった。

 飛行甲板や上甲板にいた兵たちは、声もなくその光景を眺めていた。

 あれほど大きな飛行艇が、荒れた北太平洋へ難なく降りたのである。


 旗艦からの命令を受け、(*注)内火艇(ないかてい)を降ろす準備が始まった。水兵たちが手早く動き、艇が海面へ降ろされる。将校と選ばれた兵が乗り込むと、内火艇は波を越えながらUSー2へ向かった。

 近づくにつれて、飛行艇の異様さはいっそう際立った。外板は滑らかで、窓には透明度の高い厚い板がはめ込まれている。塗装も、機体に記された文字も、見慣れた軍用機とはまるで違う。それでも日の丸だけは、どこから見ても日の丸だった。

 内火艇がUSー2の側面へ近づき、速度を落とした。

 しばらく双方に動きはなかった。


 やがて飛行艇の側面の一部が動いた。

 扉だった。

 開いた内部から人影が現れた。

 海軍の軍服ではない。色も形も違う制服を着ている。しかし顔立ちは日本人だった。続いてもう一人が姿を見せ、内火艇を見下ろした。

 艇上の水兵たちは無言のまま、その人物たちを見上げていた。

 USー2から現れた男も、しばらく彼らを見つめていた。目の前にいるのは映像でも写真でもない。軍帽をかぶり、海軍の軍服を着た、一九四一年の日本海軍軍人だった。

 男が姿勢を正した。

 右手を上げ、敬礼した。

 内火艇の将校は一瞬動かなかった。

 やがて姿勢を正した。

 ゆっくりと右手を上げ、答礼した。

 北太平洋の波間で、八十年以上の時を隔てた二つの日本の軍人が、初めて互いに敬礼を交わした。

(*注)内火艇とは、内燃機関を動力とする小型の船舶の総称である。旧軍が内燃機関を内火機関と呼んでいたことによる。

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